雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

かみなりさま

2012年07月14日 | ポエム

  ▲先週末の午後、梅雨の中休みで青空がのぞいた。今週の大雨は想像出来ない。

 かみなりさま
 
 7月12日未明。自宅の寝室で目が覚めた。近くで落雷があったのか、振動を伴う大きな雷鳴が響いた。すぐ近くにある中学校の4階建ての校舎の避雷針に落ちたのかもしれない。
 その大きな雷鳴に前後して、遠くの雷の音や屋根を叩く大きな雨音に、何度も目が覚める。その度強い雨が降っていることを意識する。翌日の大雨の予想は知っていた。それでも布団の上で「これは尋常じゃない」と感じ、ただでは済まないことを予感した。
 前回のブログに大雨のことを書いた。その続きとして今回は車の運転中に時間100ミリの雨を経験したことを中心に書く予定だった。
 朝起きてすぐテレビのニュースで熊本県の阿蘇地方で未明から時間100ミリ以上の雨が降ったことを知る。それが3時間も続いたというのだ。時間100ミリを越す雨など、ちょっと前まで日本中でも年に数回あるかどうかのありえない大雨ではなかったか。それが3時間も続くとは。空の上にそれだけの量の水があることが、とても理解出来ない。
 テレビでは気象庁の発表で「これまでに経験したことのないような大雨」という表現が使われていた。家人と話し合い、未明には朝様子をみて出勤することを決めていた。7時を過ぎたあたりで小やみとなり、さらに1時間半、様子をみて出勤した。いつもの近道や狭い道路は避け、国道などの広い道を選んで通勤した。新幹線も三角線も不通のままだ。
 朝のテレビ報道では、熊本市の中心部を流れる白川の様子が何度も映し出されていた。すでに、今にも堤防から溢れ出しそうな水位だ。流域には避難指示が発令された。昭和28年6月26日に白川が決壊し、熊本市街は大きな被害を受けた。熊本では「六ニ六水害」と呼ばれている。そのとき被災して家財が流されたカミさんの実家にも当然避難指示が出ている。だが義理の母は、避難指示を全く意に会していない。六ニ六水害の後に結婚して博多から熊本に来た義母は「もう雨が降っていないから大丈夫」と娘の電話にも耳を貸さない。山中の一軒家と違い、町中のビルに囲まれた家なので、土砂崩れなどで命の危険にさらされることは無いだろう。水に濡れたら取り返しがつかない貴重品や通帳・年金証書などの書類だけは、すぐに2階に移せる様に心づもりをお願いした。
 雷が鳴ると、祖母を思い出す。
 小さい頃からお転婆で、孫から見ていても肝のすわっていた祖母の唯一の弱点は「かみなりさま」だった。雷鳴が近づいてくると、大急ぎで蚊帳を吊って、布団を被って震えていた。蚊帳の中は雷が落ちないと言われていた。
 幼い私は、怖がる祖母には悪い気がしたが、怖いもの見たさに、夕立の最中に縁側の硝子戸のカーテンの隙間から、稲光を怖々と眺めた。暗くなった景色が一瞬真昼のように輝いたり、様々な稲妻の形を見て美しいと思っていた。
 私が育った実家の裏には、通称「こんぴらさん」という小さな神社があり、その横に巨大なクスノキが神社を見守るように植わっていた。あるとき、他の兄弟の誰かと夕方の稲光を眺めていたら、大きな音と共に、まぶしい光がその木にぶつかる様子を見た。地響きがし樹の形が変わる位、大きな枝が折れていた。音も凄かったが、バシっというような電気的な音が生生しかった。
 祖母は学校の下校中に、私達と同じように間近で落雷を見る経験したのだが、祖母が見たのは樹ではなく、すぐ側にいた人への落雷だった。一瞬で目の前にいた人の命を奪った雷に対する恐怖。家の中にいるのと無防備な外にいたことの違い。落雷の対象が植物と人であることもおおいに違う。
 未だに雷は恐いけど見たい。そして雷が鳴ると、24年前に亡くなった祖母を必ず思い出している。
(2012.7.13)

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