雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

西瓜は真夏が上手い!!

2012年07月20日 | ポエム
▲早く梅雨明けしてほしい!!

 西瓜は真夏が上手い!!

 四季がはっきりしている日本では、野菜や果物、魚介類といった食材には本来旬がある。日本の沿岸で獲れる魚介類のほとんどには、その獲れる時期がある。初夏のカツオ、秋のサンマ、冬の牡蠣などが頭に浮かぶ。ところが冷凍技術や養殖技術の進歩で、1年中安定供給をされている魚介類も多くなって来た。キャベツやレタス、ネギ、たまねぎ、ジャガイモやキュウリ、トマトなどの定番野菜はほとんど1年を通して八百屋やスーパーマーケットの店先に並んでいる。ビニールハウスなどで温度や日照を管理された中での栽培は様々な農作物で盛んに採用されている。また保存の技術も進んで、収穫したものを需要に併せて少しずつ供給することも行われている。それによって、消費者は1年中低価格でそれらの食材を手にすることができるが、考えたらその作物の本来の旬を知らないこともある。
 それでも田舎に住んでいると、周囲の畑の作物の成長が日々見えているし、その作物の旬になると、ありがたいことに「これでもか」という位、あちこちからお声がかかり、同じ作物をいただく。魚介類も数や種類は限られるが、地元で採れる頃にはお裾分けをいただくことも多い。
 「ああ、今が旬なんだ」と思い、そして旬のものはみな美味しい。
 小さい頃、夏休みの暑い昼下がりに、縁側でパンツ1枚の姿になって、兄弟そろって食べたのがスイカ。
 まるまる1個のスイカを井戸の中に吊るして冷やしてある。大きなお盆に塩の入った皿と爪楊枝。そして出刃庖丁。昼寝から目を覚ました子ども達は、切り分けるのが待ち切れない。蔓のついた頭とお尻をまず切る。底が平になり安定したスイカの中央に刃を入れる。熟れ具合が分かる緊張の瞬間だ。瑞々しさではち切れんばかりのスイカは、ちょっと刃を入れただけで、ブリブリと音をたてて割れてしまう。
 好みの熟れ具合は、それぞれ。私は身がしっかりとしたものが好きで、熟れ過ぎてホヤホヤに柔らかくなったところは好きではない。一時は種無しスイカや果肉が黄色のスイカも目にすることがあった。
 大きなスイカは、半分に切ったものを4等分し、今度は食べやすい大きさで厚さ3、4センチに楯にスライスする。そして仕上げに塩をふりかける。口にしたスイカは表面の塩辛さを感じ、その後の実の甘さが際立つのだ。表面に露出したタネは、爪楊枝でほじくり出す。
 中くらいの玉なら、8等分したメロンの切り身の形をしたものを、そのまま両手に持って食らいつく。タネも豪快にそのまま一度口にいれ、縁側から「プっプっ」と吹き飛ばす。
 さらに小玉であれば、半玉を一人で食べることがある。私はめったに出来ないこの食べ方が好きだった。その場合は、食らいつくことが出来ないので、スイカスプーン(本来はメロン用のスプーンかもしれない)なる柄の長い先割れスプーンを使用する。この食べ方の利点は、予め自分の取り分が決まっているので、急いで食べる必要が無い点だ。もう一つ、スイカを食べる際に裸のお腹やパンツにさえもこぼれる赤い汁が、半玉を食べる際には残した皮がそのまま器になって、こぼれず溜まることである。実を食べ尽くし、最後にスイカの皮の器をかかえて溜まった汁も飲み干す。
 熊本県は植木スイカをはじめ、スイカの名産地である。ところが、いつの頃からか、気がつくと一番スイカを食べたいと思う、夏の盛りに、熊本でも店頭からスイカの姿が消えてしまった。何処にいったのだと思っていると、スイカはクリスマスに高級フルーツとして売ら出されていたり、6月から季節を先取りするように売られている。ハウスを使って早期に栽培しないと、旬を待っていたのではスイカ農家も商売にならないのだ。
 あの暑い盛りの旬のスイカが食べたい。
 真夏の日々。子どもの頃の私は、スイカのように丸く突き出たスイカ腹をぽんぽんと叩きながら、満腹感の幸福感の中で密かに、大人が言うように、飲み込んでしまったタネがへそから芽を出したら嫌だなと、いつも少し不安に思っていた。
(2012.7.20)
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