▲我が家に古くからある正月用の松竹梅と鶴が描かれた皿。何か好きだなあ。
餅つきと餅と雑煮
昔はそれこそお正月の三が日はおせちと雑煮だけだったように思う。
お店が年越しの前後1週間から10日は閉まったから、それ間のおせちを始め保存食の準備は大変だったようだ。現在のように年中無休のコンビニやスーパーマーケットは無いし、家庭に冷凍庫も無い。でもお正月は雑煮が続くことを子どもながらに納得していたし、それはそれで正月らしくて良かった。
その前に、子どもの頃の年末の楽しみは餅つき。
餅屋さんのグループが、餅米を洗って待つ各家庭を順番に回って、餅をついて行く。順番が近づくと先発隊が来て、ドラム缶で作った窯で大きな鍋にお湯を沸かし、湯が沸くとその上に重ねたセイロに洗った餅米を入れて蒸す。
どういう拍子か、その炊き上げた餅米に香ばしいおこげができることがあった。それをおねだりして、塩おにぎりにしてもらい食べた。餅つきの日の最初の楽しみ。
杵とうす等、餅つき道具一式を携えて餅つき本体が到着すると、女子どもは前掛けやエプロンをして縁側に並び、つき上がった餅を丸める。餡餅用の小豆餡もたっぷりと用意してある。その他に大根おろしと醤油の準備も怠らない。
まだかまだかと持ちかねた餅屋さんが到着すると、すぐに餅つきが始まる。杵、3本体制の息の合った素早いリズムの餅つきだ。合間に餅の位置を修正したり、米粒が残る端の餅を真ん中に移動したりするのだが、誤って杵で手をついてしまわないかハラハラする。
最初につきあがった餅は、餅屋さんが大きな鏡餅に整形する。
次につきあがった餅は粉をふったモロブタに。大きな熱くやわらかい餅のかたまりを祖母が1個の餅の大きさに素早くちぎり、待ち構えていた母が丸めた餡のボールを1個ずつ入れる。さらに次に待ち構えている私ら子どもが小さな掌で団子状にゴロゴロと餅をまるめ、モロブタに並べる。最後にセイロ何個か分の餅米をつきあがったものが白餅となる。膨大な数である。
餅を丸めるのに飽きた頃、作業の途中で、大根おろしをたっぷりと入れ醤油をたらしたものを大きめの皿に入れ、つきたての餅を祖母に要求する。すると、粉を打ったモロブタに入れる前に、祖母の指示で餅屋さんが大皿に突立ての熱くやわらかい餅を入れてくれる。熱々を手でちぎり、大根おろしと一緒に口の中に放り込む。粉がついていないことがミソ。
この突立てのお餅を食べることが餅つきの最高の喜び。大根おろしのあっさりした味で、餅自体の風味が際立ち、いくらでも食べられそうだ。
餅は、お正月の雑煮以外に、きな粉餅、醤油餅、海苔餅などにする他、鍋に入れて食べる。小学校の高学年になる頃には物資が豊かになり醤油餅にバターを付けて食べたりした。お雑煮以外は、小腹がすいたときの食間に食べるオヤツだ。これには現在の家庭では見られなくなった火鉢が付き物で、火鉢に餅網を乗せ、餅を炙って少し部分的に焦げるくらい箸で転がしながら焼く。しばらくすると、固い餅の表面を割ってぷーっと白くやわらかい餅が風船のように膨らむ。
すぐに食べるのも美味しいが、祖母が焼いた餅を砂糖醤油に潜らせ、海苔をまいたものを、火鉢の渕において数時間たったものもまた美味しい。味がよくしみ込み、弾力のある、ほどよい固さが何とも言えない食感だ。火鉢があったからこそ美味しい食べ方で、作りおきし冷えたものを電子レンジであたため直してもこうは行くまい。
大量の餅は正月をピークに日々、消化されていった。鏡開きで、かちかちになってヒビの入った餅をカナヅチと出刃包丁で小さく切り、ぜんざいに入れて食べる。さすがに冬と言えども南国天草では餅の表面にカビが生えてくることもあるので、それ以降、残った餅は「水餅」と言って、大きな瓶に水を張りその中につけていた。
お雑煮は、ほとんど具は食べず、餅ばかりを何個もお代わりをした。
「歳のしこ食べナッセ」と祖母や母に言われ、歳の数の餅を食べていたのは、何歳のお正月までだっただろう。今や1年に食べる餅の数は知れていて、もちっと物足りない気がしている。
(2013.1.11)
餅つきと餅と雑煮
昔はそれこそお正月の三が日はおせちと雑煮だけだったように思う。
お店が年越しの前後1週間から10日は閉まったから、それ間のおせちを始め保存食の準備は大変だったようだ。現在のように年中無休のコンビニやスーパーマーケットは無いし、家庭に冷凍庫も無い。でもお正月は雑煮が続くことを子どもながらに納得していたし、それはそれで正月らしくて良かった。
その前に、子どもの頃の年末の楽しみは餅つき。
餅屋さんのグループが、餅米を洗って待つ各家庭を順番に回って、餅をついて行く。順番が近づくと先発隊が来て、ドラム缶で作った窯で大きな鍋にお湯を沸かし、湯が沸くとその上に重ねたセイロに洗った餅米を入れて蒸す。
どういう拍子か、その炊き上げた餅米に香ばしいおこげができることがあった。それをおねだりして、塩おにぎりにしてもらい食べた。餅つきの日の最初の楽しみ。
杵とうす等、餅つき道具一式を携えて餅つき本体が到着すると、女子どもは前掛けやエプロンをして縁側に並び、つき上がった餅を丸める。餡餅用の小豆餡もたっぷりと用意してある。その他に大根おろしと醤油の準備も怠らない。
まだかまだかと持ちかねた餅屋さんが到着すると、すぐに餅つきが始まる。杵、3本体制の息の合った素早いリズムの餅つきだ。合間に餅の位置を修正したり、米粒が残る端の餅を真ん中に移動したりするのだが、誤って杵で手をついてしまわないかハラハラする。
最初につきあがった餅は、餅屋さんが大きな鏡餅に整形する。
次につきあがった餅は粉をふったモロブタに。大きな熱くやわらかい餅のかたまりを祖母が1個の餅の大きさに素早くちぎり、待ち構えていた母が丸めた餡のボールを1個ずつ入れる。さらに次に待ち構えている私ら子どもが小さな掌で団子状にゴロゴロと餅をまるめ、モロブタに並べる。最後にセイロ何個か分の餅米をつきあがったものが白餅となる。膨大な数である。
餅を丸めるのに飽きた頃、作業の途中で、大根おろしをたっぷりと入れ醤油をたらしたものを大きめの皿に入れ、つきたての餅を祖母に要求する。すると、粉を打ったモロブタに入れる前に、祖母の指示で餅屋さんが大皿に突立ての熱くやわらかい餅を入れてくれる。熱々を手でちぎり、大根おろしと一緒に口の中に放り込む。粉がついていないことがミソ。
この突立てのお餅を食べることが餅つきの最高の喜び。大根おろしのあっさりした味で、餅自体の風味が際立ち、いくらでも食べられそうだ。
餅は、お正月の雑煮以外に、きな粉餅、醤油餅、海苔餅などにする他、鍋に入れて食べる。小学校の高学年になる頃には物資が豊かになり醤油餅にバターを付けて食べたりした。お雑煮以外は、小腹がすいたときの食間に食べるオヤツだ。これには現在の家庭では見られなくなった火鉢が付き物で、火鉢に餅網を乗せ、餅を炙って少し部分的に焦げるくらい箸で転がしながら焼く。しばらくすると、固い餅の表面を割ってぷーっと白くやわらかい餅が風船のように膨らむ。
すぐに食べるのも美味しいが、祖母が焼いた餅を砂糖醤油に潜らせ、海苔をまいたものを、火鉢の渕において数時間たったものもまた美味しい。味がよくしみ込み、弾力のある、ほどよい固さが何とも言えない食感だ。火鉢があったからこそ美味しい食べ方で、作りおきし冷えたものを電子レンジであたため直してもこうは行くまい。
大量の餅は正月をピークに日々、消化されていった。鏡開きで、かちかちになってヒビの入った餅をカナヅチと出刃包丁で小さく切り、ぜんざいに入れて食べる。さすがに冬と言えども南国天草では餅の表面にカビが生えてくることもあるので、それ以降、残った餅は「水餅」と言って、大きな瓶に水を張りその中につけていた。
お雑煮は、ほとんど具は食べず、餅ばかりを何個もお代わりをした。
「歳のしこ食べナッセ」と祖母や母に言われ、歳の数の餅を食べていたのは、何歳のお正月までだっただろう。今や1年に食べる餅の数は知れていて、もちっと物足りない気がしている。
(2013.1.11)