雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

モズとメジロとヒヨドリ

2013年01月25日 | ポエム
▲自作のミカン用のエサ台にやって来たメジロ

 モズとメジロとヒヨドリ
 20日の日曜日は、まずまずの天気でした。
 でも朝一番は美容室を予約していたので、心惹かれながらもまず髪を切りに行った。帰宅後はさっそく休日お決まりの園芸作業。プランターのパンジー・ビオラの花がらを摘み、水やりを兼ねて液肥をやり、草取りをした。
 お昼を食べ、男子都道府県対抗駅伝を見た後、また外に出て、南側の敷地のフェンスの外に伸び放題になっていた宿根アサガオやバラの小枝を整理した。
 この宿根アサガオは、知人から一株いただいて私が植えたものだが、とにかく繁殖力が強い。根元を切ったつもりでも、土に触れた茎の部分から新たな根が生えて来る。あっという間に広がり、花壇やフェンスや庭木を覆いつくしてしまう。いつの間にか敷地の外にも飛び火し、公園の側溝にまでツルと葉が茂っていた。さすがにこのところの寒さで葉が枯れたので、今のうちに整理しておきたいと思った。数年分のツルと葉は、大きなビニール袋に5つ分。それでも腰が痛くなって予定の半分は断念した。来週も晴れたらこの作業の続きだ。
 そんなつらい作業の中、ちょっと楽しかったのは、公園の側溝の泥揚げのコンクリートの上の、ツルをはぎ、腐葉土のようになった枯れ葉を集める私のすぐ近くをパタパタと羽音をたてて、モズがやってきたこと。掘り返した枯れ葉の中の虫が目当てらしい。
 人間の営みの中で暮らす鳥のたくましい知恵を感じた。
 最初は私から3メートルほど先に飛来し、私と目が合うと警戒したモズはすぐに飛び去っていた。それでも再び舞い戻って掘り起こされた土をあさっては何やらくわえて飛び去る。それを何度もくり返していた。考えたらモズの獲物となるカエルやほとんどの昆虫類は冬の間、土の下でじっとしているのだろう。掘り返された土と一緒に外に出て来た虫は、この時期多少の危険を冒しても無視出来ない貴重な獲物に違いない。
 彼か彼女だか、だんだんと大胆になってきて、私がしばらくじっと動かず見ていたら、最短で1メートルまで近づいてくれた。
 小さな野生とのふれあい。
 実家であり仕事場の上天草は、昔からミカンの栽培が盛んである。
 冬枯れの様相となった一月になると、余り木で私が作ったミカン用の鳥のエサ台を木に吊るし、半分に切ったミカンを数個、串刺しにする。水浴び用に水鉢も設置している。
 すると、チィチィという可愛い声を出しながら小さなメジロが数羽で連れ添ってミカンのエサ台にやってきて、汁をすすり、実をついばむ。スズメより一回り小さく、スマートな体型で、抹茶のような緑色の羽に覆われ、その名の通り、目の回り、人で言えば上下のまぶたの部分が白い輪になっている。私が小さい頃は、竹で作られたメジロ籠を軒先に吊るし、鳴き声を楽しむために飼っている様子が近所の家でもよく見かけられた。
 ところが、このエサ台には招かざる客が訪れ、メジロは飛び去ってしまう。
 姿も声も美しいとは言えないヒヨドリだ。
 冬場の農家が農作物の食害にあう、嫌われ者で、数日前の新聞にも、今年はヒヨドリの食害がひどいという農家の悲鳴が掲載されていた。
 ヒヨドリがやってくると、エサ台のミカンはあっという間に食べ尽くされ、皮だけになるか、皮ごと食べられてしまう。乱暴で、ミカンの半分は地面に落としてしまうし、小さな水鉢もバシャバシャと水を豪快にまき散らしてしまう。
 この実家の庭先のエサ台に来るヒヨドリは、兄の話しだと夫婦と1羽の子どもの一家らしい。兄は、仕事場のデスクからエサ台が見えるので、わずかな羽の色の違いや大きさの違いを見分けることが出来ると言う。
 兄はヒヨドリ一家が来ると、それでもあからさまに追い払うことはしないまでも、そっと庭に出るという嫌がらせをしている。
 ヒヨドリ一家の個体識別が出来ない私も、そんなヒヨドリがちょっと憎らしい気がしないでもない。でもヒヨドリもエサの少ない酷寒のこの時期に必死なんだろう。身体の大きさと姿や声の美しさの差で、人間の勝手なひいきの仕方だなあと、最近はミカンを食べに来るヒヨドリをそっと見守っている。
(2013.1.25)

コメント
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