雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

雪うさぎとスノーマン

2013年01月22日 | ポエム
 雪うさぎとスノーマン

 成人の日であった14日の祝日は、熊本は心配していた雨が早めにあがって時折陽が射すまずまずの天気となった。しかし急速に発達した低気圧の影響で東日本は思わぬ大雪となり、特に首都圏でも積雪があって交通機関が麻痺したとニュースで見た。なにより晴れ着姿に雨や雪は気の毒な限りだ。
 北国や日本海側の豪雪地帯の方には申し訳ないが、南国育ちの私はどうしても雪にあこがれを感じてしまう。道路の雪かきや屋根の雪下ろしは大変だろうと大いに思うのだが、一方ではそれでもうらやましい気持ちが自分の中にある。大人になった今でも、雪が舞うだけでうれしくなり、積もるとさらにじっとしていられなくて外に飛び出し、あちこちと歩き回りたくなってしまう。
 雪が降ること自体がめずらしいことなので、雪が積もることはさらにめずらしい。だから生まれてからこれまで、雪がたくさん積もった日の記憶が残っている位、特別な日となる。
 雪が積もったと言ってもせいぜい数センチのこと。雪だるまを作ろうとしても、雪玉をころころと転がすと、雪に面した地面の黒い土や草やゴミがついてきて、白い雪だるまからほど遠い、情けない姿の雪だるまになってしまう。
 私達は雪だるま作りを最初からあきらめ、大きめの平たいお皿やおぼんを借りて、その上に大きな葉っぱやトタンや車の上に積もった白い汚れていない雪を集めて小さな雪ウサギを作った。耳は南天の葉。目も南天の赤い実だ。可愛らしく美しい雪ウサギが出来た。
 高校を卒業して、美大の予備校に通うために上京して驚いたことの一つに、雪がある。東北や日本海側の豪雪地帯からはるばる走ってきた貨物列車の屋根の上に、4、50センチ程の雪が溶けないで載っていたこと。そして、上京して(実際に住んでいたのは千葉県市川市だが)経験した積雪は、お昼を過ぎても、夕方になっても、翌日も、日陰であれば数日間は溶けない雪が残っていることにも驚いた。
 南国育ちの人間にとって、雪は白く清らかで儚いものの象徴なのだ。
 毎年、クリスマスが近づくと、自分で編集したクリスマスソング集のCDを聴く。ケニーGやenyaなどいろんなアーティストの演奏するクリスマスソングやそれらしい雰囲気の曲を集めた中に、ピアノのジョージ・ウインストンが演奏するアニメ「スノーマン」の曲がある。
 「スノーマン」は、イギリスのイラストレーター、作家であるレイモンド・ブリッグズの代表的な同名の絵本をアニメ化したもので、日本では食品メーカーがテレビCMで使用して、一躍人気となった。私もそのCMを見て、その絵と、使用されていた曲「walking in the air」が大好きになった。
 ある少年が作った大きな雪だるまが生命を得て動き出し、少年と雪だるまは牧場を飛び立ち、街並を飛び越え、クジラや大きな船の浮かぶ海を飛んで、スノーマンの国でサンタクロースと踊る。夢のような楽しい一夜を過ごした少年がベッドの上で目覚め、あわてて外に飛び出し見たのは、溶けて消えてしまった雪だるま。夢だったかとガッカリすると、雪の上にサンタからもらったマフラーが‥‥。
 「walking in the air」は、スノーマンと少年が一緒に空を飛ぶシーンのバックで流れる美しい曲で、毎年クリスマスの頃になると、この曲を聴きたくなる。おそらくこれからも毎年聴き続けるだろう。
 一夜だけのスノーマンと少年の儚い交流が悲しいけど心温まる作品。
 小さい頃、私の作った雪ウサギはさらに儚く、学校から帰ると皿の上には、小さな水たまりに沈む2枚の南天の葉と赤い実が残っているだけだった。(2013.1.22)

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