雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

詩は

2013年09月07日 | ポエム

 詩は


詩は僕のさけびです

言葉は僕の涙です

(1973.12.16)
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暑さを凌ぐ術

2013年09月05日 | エッセイ

▲台風が接近していた日の雲は、多種多様で美しかった。(2013.8.29)

暑さを凌ぐ術


 この夏、熊本県下の市町村がその日の日本国内で一番高い気温を3日連続記録した。暑い暑いと言われる熊本でもさすがに40度近い気温は「たまらん」暑さだった。その間に日曜日があり私も休みだったが、外に出る気がしないで、結局一日中家にいるという私としてはめずらしい過ごし方をしてしまった。
 少し前までは、体温を超える気温が記録されることは大変にめずらしく、フェーン現象を原因としていて、群馬あたりで記録されていた。ところが近年は、全国各地で体温を超す様な気温もめずらしくなく、35度を越したというニュースを見ても驚かなくなってしまった。
 熊本の暑さには、気温だけでなく湿度の高さがある。暑い盛りにちょっとでも外に出ようものなら、もわっとした蒸し暑い空気が身体にまとわりついてくる。まるでサウナ風呂の中という表現が一番よく状態を表している。大急ぎで涼しい室内に戻ったとしても、シャツと皮膚の間に入り込んだ暑さが、ジワジワと皮膚の中に浸透してくるような気がして、しばらくは後から後から汗が噴き出してくる。オーブンで表面を焼かれた牛肉の固まりが、オーブンから出した後も余熱でジワジワと肉の真ん中まで熱が浸透していくのに似ている。どうせ暑いのなら、いっそフライパンの上の肉の様に、我が身の余計な脂身が溶けて流れてくれたら、暑さも我慢できそうなものを。
 まあ、今はエアコンがあるので、外に出さえしなければ、暑い暑いと嘆きながら過ごすこともない。しかし、以前は家庭内で人工的に涼しさを増すものには扇風機しかなかった。あとは、団扇に打ち水、縁台での夕涼み、風鈴に行水。子供心にも寝苦しい程に暑い、真夏の夜のことを記憶している。
 昭和30年代のしかも田舎のことなので、施錠するという感覚は皆無で、家中の窓と言う窓は、1日中開いたまま。畳敷きの部屋に蚊帳を吊り、その中に6枚程の敷き布団を敷いて家族皆で一緒に寝ていた。唯一の涼は、夜の外気のみ。部屋の2辺は廊下に面していたので、涼しさは外気と同じ。まるでキャンプみたいだった。布団に布のシーツでは暑いというので、敷き布団の上に夏はゴザを敷いて寝る事もあった。風がある日は、今のエアコン生活では経験出来ない気持ちの良さがあるのだが、暑くて眠れない夜もあった。そんな時は、自分の体温で暖まったゴザの上を、少しでも表面が冷たいところを求めて彷徨い、冷たい表面が無くなると、足を敷き布団と畳の間に入れてわずかな冷たさを感じた。敷き布団の表面や下に、冷たいゾーンが無くなると、さらにタンスや壁にも足を伸ばして、ペタペタとくっつけて、表面の冷たさを感じたりした。
 公共の場も似たようなもので、鉄道の列車も特急以外は天井の扇風機しかなかったし、真夏の駅の待合室には、大きな氷柱が置いてあって、せめて気分だけでも涼しさを演出していた。
 私の家に冷房装置がついたのは、小学校の6年生の頃だったか。わざわざそのためにボーリングをした水冷のバカでかい冷房装置だった。もちろん、家族が集まる居間の一部屋に設置されたのだ。
 今年の夏は、自宅のエアコンを30度に設定をしている。それでも体温近い気温の外から家の中に入ると、涼しさを感じる。同じ我が家の中でも、太陽の日差しを直接受ける2階は暑い。ところが1階は、暑がりの私や長男が留守で、家人が一人でいるときは、エアコンを使わないで済む程、室温が低い。断熱材を標準の3倍使用していることと、1階の床は、コンクリートのたたきであることが影響している。それより、ほとんどワンフロアと言える部屋の中央に螺旋階段があり、その周りを珪藻土という土壁で覆っている効果が一番大きいと思われる。土壁は、冬は冬で暖かいのだ。
 我が家の飼い犬も、昼間は犬小屋につながれているが、暑い日は、横になる場所を小さい頃の私が布団の上を移動していたように、涼しい場所を求めて、あちこち動いている。それでも暑いは、家の中が涼しいことを知っている彼女は家の中に入れてよと「ワン」と催促をする。
(2013.9.5)
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