かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(2)

2024年06月15日 | 脱原発

2013年4月28日

 午後上映分のチケットを持って、午前の上映の時間に会場のメデイアテークに出かけた。月の最終週は金曜夜デモが一回だけ日曜昼デモに変更されるのだが、それをすっかり忘れて午後のチケットを予約してしまったのだ。回数が浅い月1の日曜昼デモはまだ習慣として私の身にはついていないのである(単に忘れっぽいということだけど)。おそるおそる申し出て、変更を認めてもらったのである。
 福島県双葉町は、東京電力福島第1原子力発電所から3kmほどのところに位置し、原子炉のメルトダウン、建て屋の水素爆発事故によって全町避難を余儀なくされた町で、町民のうち1200人ほどが役場機能とともに埼玉県加須市の旧・騎西高校(廃校)に避難する。「フタバから遠く離れて」は騎西高校で避難生活を続ける人々を記録した舩橋淳監督、テーマ音楽は坂本龍一作曲によるドキュメンタリー映画である。
 映画のどのシーンをとっても胸を締め付けられる思いがする。たとえば、90才になるおばあさんが「ここでは死にたくないね。まだもう少し生きられる気がするから。」というシーンがある。顔に微笑みを浮かべながら語るのだ。
 しばしば人は「畳の上で死にたい」という。この畳は廃校の体育館に敷かれた3枚の畳のことではない。一軒家であれ集合住宅であれ、家族が暮らす家の畳である。つまり〈ホーム〉と呼びうる場所のことである。そこであれば、畳でなくても、たとえ筵の上でいいのだ。ホームはまた故郷にあって輝きを増すのである。
 新しい居住先を定めて避難先をあとにする人がいる。ある家族は、「帰れないなら、どこでも暮らしは一緒だ」と、避難先に近い公団住宅を暮らしの場に定める。ある家族は、「できるだけ双葉町に近いところがいい」といわき市に引っ越す。人それぞれなのだ。
 避難町民として括られてはいるが、本来はそれぞれの人生観とそれぞれの家族としての思いを持つ多様な人々なのだ。いったん、このような事態になってしまえば、どのような政治も行政もこの多様性をすくい取ることは不可能なのだ。
 浜通りの人々が「ふるさとを返せ」、「絶対にふるさとに帰るぞ」というシュプレッヒコールをあげながら霞ヶ関でデモをする。デモが終ったあと、ビルの階段で休息を取りながら「もう帰れないって分かってる。それでも、帰るぞって言うしかないんだ」と語る人がいる。「自民党(の国会議員たち)は何でそんな俺たちに拍手するんだ。おかしいよ」。そうだ、明らかにおかしい。放射能によって故郷を追い出された人々、絶望を希望があるかのように語るしかない人々に、どんな神経が拍手を許すのだ。
 自民党にせよ、事故時に政権を担っていた民主党にせよ、政治家が登場するシーンはどうしても私には醜悪に見えてしまう。事故後だけではなく、事故以前も含めて原発をめぐる政治家のありようが私をそのような心性に陥らせるのだ。
 警戒区域である浪江で、避難を拒否して酪農を営む男性がいる。「こいつらを死なせない。これは意地だ」という。被爆をしながらの戦いは悲壮であるが、彼が近くにある避難した酪農家の牛舎に案内する。「エサも水もなく、死んで、腐ってミイラになった」、「死ぬまで一ヶ月くらいあっただろう。最悪の死に方だ」と吐き捨てるように語る。
 ここは、牛たちのアウシュビッツだ、そう思った。そして、おそらくはそのことに深く絶望的に傷つけられているのは、避難した当の酪農家なのだ、と思うのだ。
 「結局、原発誘致は間違っていた」と井戸川克隆双葉町長は語る。「どんなに補償してもらっても、絶対にプラスにはならない」。そうなのだ。父祖代々、あるいは同じ空気を生きる共同体の一員の家族として生き続けてきた、その〈故郷の全体〉を失ったことを補償できるものなんて存在しない。「不可能な交換」(ボードリヤール)なのだ。「一般的等価物」(ジャン=リュック・ナンシー)が存在しえないものこそ、原発が奪ったものなのだ。原発をたずさえた人類は、思想や哲学が応えることのできない領域に踏み込んだのではないか。
 しおたれた気分で会場をあとにして、脱原発デモの集合場所、錦町公園に向かう。

吸ひさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず
                   寺山修司 [1]

そういえば、タバコを口にしながら望郷を語る二人のおばさんのロングショットもあった。

[1] 『寺山修司全歌集』(講談社 2011年)p. 43。



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