ジョルジョ・アガンベン
(上村忠男、廣石正和訳)
『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』
(月曜社、2001年)
おこがましくも書評などと称して読後感などを書きなぐっているが、もちろん読んだ本のすべてについて書いているわけではない。つまらなかった本は無視する。反発するような内容の本についても書かない。批判や悪口が主となってしまうような本については書かないと決めている。私は批評家ではない。
私の本棚には、同じ本が何組かある。読んだことを忘れて、また買ってしまうのである。けっこういい本なのにすっかり忘れてしまうおのれの脳の働き(働かなさ)に驚いて、抜き書きやメモ書きを始めたのがそもそもの初めである。私自身のためだけの行いであれば、いい本についてだけ時間を費やしたいのである。
とてもいい本だ、きわめて重要な内容だ、なんとしても書評を書きたいと強く思う本がある。たくさんある。中には、ある種の義務感さえ生じているというのに、まったく書き出せない本というものもある。アガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの』という本書はその典型的な一冊である。
強く心を揺すぶられ、さまざまな思いを喚起され、その歴史的事象へイメージが大きく展開している。書けないはずがないと思いながら、取りかかれない日が続く。イメージを膨らませながら、イメージが届いていないのではないかという不安もあるが、なによりもアウシュヴィッツに対抗しうるしっかりした言葉を私は持っていないのではないか、そういう不安が先行しているのである。
それでも書き出すのは、やはり義務感のようなものが強いからだ。ここをくぐり抜けないと、前に進めないという強迫観念のようなものもある。このまま放棄するのは悔しいという単純な感情もある。などということをうだうだ書きながら、少し勢いをつけて前に進もうという魂胆である。
アウシュヴィッツの教訓のひとつは、まさしく、ごく普通の人間の頭の中を理解することはスピノザやダンテの頭の中を理解するよりも途方もなく困難だということである。 (p. 10)
アウシュヴィッツについての証言は、処刑する側であれ犠牲となる側のものであれ、ごく普通の人間たちのものであるが、それを理解することが「途方もなく困難」なのは、『イェルサレムのアイヒマン』でアイヒマンの所業を「悪の凡庸さ」(邦訳書 [1] では「悪の陳腐さ」)と表現したアーレントの言葉が誤解されてしまう理由でもある、と著者は「序言」で指摘する。
しかし、この理解の困難はまだ「尋常な」困難のように思える。アウシュヴィッツは歴史上経験された無二の「尋常ならざる」人間(社会)の事象である。言葉というものが、反復する人間(社会)や自然の事象に寄り添って形成されてきたことを考えれば、尋常ならざる唯一のアウシュヴィッツを言葉で証言することはいっそう困難であろう。
「アウシュヴィッツは永遠に理解不可能であると主張する人々」 (p. 7) もいる。しかし、著者は「すべてを納得してしまう者のようにあまりにも拙速に理解しようとするのでもなく、安直に神聖化してしまう者のように理解を拒否するのでもなく、その隔たりに留まりつづけている」 (p. 9) ことを選択する。
本書は、証言の不可能性を探りながら証言の森を探索し、思考を重ねるきわめて困難な試みである。
本書は、「第1章 証人」、「第2章「回教徒」」、「第3章 恥ずかしさ、あるいは主体について」、「第4章 アルシーヴと証言」で構成され、巻末に 「証言について――アウシュヴィッツの「回教徒」からの問いかけ」と題する上村忠男の解説が附されている。
アウシュヴィッツに象徴されるナチス・ドイツによる人種殲滅の悲惨な歴史的事象を、私(たち)は、歴史上数あるジェノサイドと区別して「ホロコースト」と呼ぶことでその特異性を意味していると考えてきた。しかし、著者は「ホロコースト」という言葉に異議を唱える。「ホロコースト」という語は、「神聖で至高の動機に対する全面的な献身という意味合いをもった崇高な犠牲」 (p. 35) という意味を強く担っているのだが、著者はまた、激しい反ユダヤ主義のテクストの中でユダヤ教徒虐殺を指す用例 (p. 36) をも指摘している。
本書では多くのアウシュヴィッツの「生き残った者」の証言が取り上げられているが、その主要な一人、プリモ・レーヴィの「極端な宗教家たちが大量殺戮を預言者風に解釈しようとすることにわたしは腹を立てている。わたしたちの罪にたいする罰だというのである。ちがう。わたしはこれを認めない。無意味であるということこそが、大量殺戮をいっそう恐ろしいものにしているのだ」([Levi 1, p. 219], p. 32) という記述を引用して、著者は次のように宣言する。
……「ホロコースト」という語の場合は、たとえ遠回しにではあっても、アウシュヴィッツと聖書のolah、ガス室での死と「神聖で至高の動機にたいする全面的な献身」を結びつけることは、愚弄としかおもえない。この語は、火葬場の炉と祭壇を同一視するという受け入れがたいことを前提としているだけでなく、反ユダヤ主義的な色合いをはじめから担っている意味の遺産を相続している。したがって、ここでは、この語をけっして使わないことにする。この語をあいかわらず使う者は無知か無神経さ(あるいはその両方)を露呈しているのである。 (pp. 37-8)
「生き残った者」レーヴィが、生き残ったがゆえに見聞きすることができた世界の殺戮をひいて、アウシュヴィッツを次のように述べている。
広島と長崎の恐怖、グラーグ〔ソ連の強制労働収容所〕の恥さらし、ベトナムでの無益で血なまぐさい戦闘、カンボジアでの自国民大量殺戮、アルゼンチンでの行方不明者たちなど、その後わたしたちが目にすることになった残忍で愚かしいたくさんの戦争があったが、ナチスの強制収容の方式は、わたしが書いているこの時点まで、量についても質についても類例のないもの(unicum)である。 ([Levi 2, p. 11f], p. 38)
アウシュヴィッツで起きたことは、「言語を絶する」とか「名状しがたい」とか「書きあらわしえない」とか言われるが、ヨーロッパキリスト教社会では、これらの表現は、「神を讃えるための、また神を崇めるための最良の言い方」 (p. 39) であることも確かなことである。つまり、それは「沈黙のうちに崇める」こと、「敬虔な沈黙を守る」ことなのだが、著者はそうすることを拒否して、次のような意思表示を行う。
アウシュヴィッツは「言語を絶する」とか「理解不可能である」と言うことは、euphemein、すなわち沈黙のうちにそれを崇めることに等しい。神にたいしてそうするがごとくにである。すなわち、そのように言うことは、その人の意図がどうであれ、アウシュヴィッツを讃えることを意味する。これにたいして、わたしたちは「恥じることもなく、名状しがたいものを凝視する」。たとえ、その結果、悪が自分自身について知っていることをわたしたちはわたしたち自身のうちにも容易に見いだすということに気づかせられることになろうともである。 (p. 39)
名状しがたいものを凝視する作業は、アウシュヴィッツを「生き残った者」たちの証言を吟味していくことにほかならないが、生き残った者たちは真性の証人でありうるのか。証言は可能であるのか。生き残った者たちは、自らの証言について次のように語る。
証人たちは、定義上、生き残った者たちであり、したがって、その全員がいくらか特権を享受しているのだ。〔……〕普通の囚人の運命については、だれも語っていない。というのも、普通の囚人にとっては、生き残ることは物理的に不可能だったからである。 ([Levi 1, p. 215f], p. 40)
その体験をしていない者たちは、それがなんだったのかを知るすべはない。その体験をした者たちは、もうそれについて語ることはない。本当に、どこまでも語ることはないのだ。過去は死者たちに属している。 ([Wiesel, p. 314], p. 40)
くり返し言うが、わたしたち、生き残って証言する者は、本当の証人ではない。〔……〕わたしたち、生き残った者は、わずかな少数者であるだけでなく、例外的な少数者である。わたしたちは、不正のゆえに、あるいは能力のゆえに、あるいは幸運のゆえに、底に触れることのなかった者たちなのである。底に触れた者、ゴルゴンを見てしまった者は、戻ってきて語ることはなかった。あるいは、戻ってきたとしても、黙していた。 ([Levi 2, p.64f], pp. 40-1)
真性の証人とは、ガス室で死んだ者たちと戻って来ても語ることのない「底に触れた者、ゴルゴンを見てしまった者」たちである。したがって、生き残った者たちは、「自分が証言するのは証言することの不可能性のためでなければならないことを知って」 (p. 42) いながら、彼らの代理として「欠落」を抱え込んだまま証言するのである。
といっても、生き残って証言する者もまた、完全に証言することはできず、自分のうちにある欠落を語ることはできない。このことが意味するのは、証言とは二つの証言不可能性の出会いであるということ、言語は、証言するためには、非言語に席をゆずって、証言不可能性をあらわにしなければならないということである。証言の言語とは、もはや意味作用をおこなわない言語である。が、それはまた、それ自身の非意味作用のもとで言語をもたない者のうちに入りこんで、ついにはもうひとつの非意味作用を受け取るにいたる。完全な証人の非意味作用、すなわち、定義上証言することのできない者の非意味作用を受け取るにいたるのである。 (pp. 49-50)
言語が証言されないものから書き取ったと信じている痕跡は、いまだになお言語の発する言葉(parola della lingua)ではない。言語がもはや初めにはなく、――ただ単純に――証言せんがためにそこから脱落するときに生まれるものこそが、言語の発する言葉なのだ。「かれ〔使徒ヨハネ〕は光ではなかった。光について証言するために来たのである」〔『ヨハネによる福音書』 一・八〕。 (p. 50)
ガス室に送られた者たちは証言ができない。そればかりではない。生きて戻ったにもかかわらず、証言できない者たちがいる。「底に触れた者、ゴルゴンを見てしまった者」たちで、「回教徒(der Muselmann)」と呼ばれた。極度の飢えと病によって人間ならざる人間となった人たちである。
あらゆる希望を捨て、仲間から見捨てられ、善と悪、気高さと卑しさ、精神性と非精神性を区別することのできる意識の領域をもう有していない囚人が収容所の言葉で呼ばれた名にしたがうなら、いわゆる回教徒である。かれはよろよろと歩く死体であり、身体的機能の束が最後の痙攣をしているにすぎなかった。 ([Améry, p. 39], p. 51)
かれらは、ミイラ人間、生けるしかばねだった。 ([Carpi, p. 17], p. 52)
病人の一団を遠くから見ると、アラブ人が祈っているような印象を受けた。この姿から、栄養失調で死に瀕している者たちを指すのに、回教徒という、アウシュヴィッツで普段使われた名称が生まれたのである。 ([Ryn et Klodzinski, p. 94], p. 54)
かれら、回教徒、沈んでしまった者たちこそが、収容所の中枢である。神の火花が自分のなかで消えてしまい、本当に苦しむことはできないくらいにすでに空っぽになっているため、無言のまま行進し、働く非-人間たちの、たえず更新されてはいるがつねに同一の匿名のかたまりこそが、収容所の中枢をなしているのだ。かれらの死を死と呼ぶのはためらわれる。というのも、かれらは疲弊しきっているために死を理解することができないので、死を前にしても恐れることがないからである。わたしの記憶は、かれらの顔のない姿でいっぱいである。 ([Levi 3, pp. 81-82], p. 55)
当然のことだが、彼らは回教徒ではないので、ここでは日本語で直截に「回教徒」と呼ぶことは避けて、多くの日本人には馴染みのないドイツ語のムーゼルマンを用いて回教徒という印象を弱めておきたいと思う。
ムーゼルマンこそが「収容所の中枢」だと語るレーヴィは、続けて、「現代の悪のすべてをひとつのイメージのうちに凝縮させる」とムーゼルマンの姿そのものになると述べている。
ムーゼルマンは、収容所における極限状況が引き起こした前代未聞の人間の変容を体現している。「人間が非-人間に移行し」 (p. 59) たのである。ムーゼルマンの死を、人間の死と呼ぶことすら憚られるようほどに、死の尊厳すら否定されているのだ。
……犠牲者がこのように死の尊厳を否定されているのが目撃され、「死産児」というリルケのそれを思わせるイメージのもとに、死なない死をもって落命するという刑を受けていたのはたしかである。しかしそれなら、収容所においては、死ぬ死、本来的な存在のうちで耐えられる死とは、なんでありえたのだろうか。そして、アウシュヴィッツでは、本来の死を本来のものでない死から区別することに本当に意味があるのだろうか。 (p. 98)
ムーゼルマンが、生と死の間、人間的なものと非人間的なものの間に置かれた存在であったことには、次のような政治的な意味を持つと証言されている。
回教徒は絶対権力の人間学的な意味をきわめてラディカルな形で体現している。じっさい、殺すという行為においては、権力はみずからを廃棄してしまう。他者の死は社会的関係を終わらせるからである。反対に、権力は、みずからの犠牲者を餓えさせ、卑しめることによって、時間をかせぐ。そして、このことは権力に生と死のあいだにある第三の王国を創設することを可能にさせる。死体の山と同様に、回教徒もまた、人間の人間性にたいする権力の完全な勝利のあかしなのである。まだ生きているにもかかわらず、そうした人問は名前のない形骸となっている。こうした条件を強いることによって、体制は完成を見るのである。 ([Sofsky, p. 294], p. 60)
この政治的意味は、ミシェル・フーコーの「生政治」そのものを思い起こさせる。アガンベンは、「主権において、死は、君主の絶対権力がもっとも顕著にあらわとなっていた地点だったのにたいして、今ではその反対に、死は、個人がいかなる権力をも逃れて、自分自身のもとに戻り、いわば自分のもっとも私的な部分のうちに閉じこもる契機となる」([Foucault, p. 221], pp. 109-10) というフーコーの言述を引用して、次のように「生かしながら死ぬままにしておく」政治的意味を述べている。
領土の主権という伝統的な姿のもとでは、権力は、その本質において生殺与奪の権利として定義される。しかし、こうした権利は、なによりも死の側で行使され、生には、殺す権利を差し控えることとして、間接的にしかかかわらないという意味では、本質的に非対称的である。このため、フーコーは、死なせながら生きるままにしておくという定式によって主権を特徴づける。十七世紀以降、ポリツァイ〔治安統治〕の学の誕生とともに、臣民の生命と健康への配慮が国家のメカニズムと計算においてしだいに重要な地位を占めるようになると、主権的権力はフーコーが「生権力(bio-pouvoir)」と呼ぶものへとしだいに変容していく。死なせながら生きるがままにしておく古い権利は、それとは逆の姿に席をゆずる。その逆の姿が近代の生政治(biopolitlque)を定義するのであって、それは生かしながら死ぬがままにしておくという定式によってあらわされる。 (p. 109)
「生権力」、「剥き出しの生」、「例外状態」こそ、アガンベンが追求し続けてきた主題に他ならないが、ここでは「証言」についての理路をたどることとする。
さて、プリモ・レーヴィにおける証言の現象学的観察、生き残って証言する者と回教徒、えせ証人と「完全な証人」、人間と非-人間のあいだの不可能な弁証法を読みなおすことにしよう。証言は、ここでは、少なくとも二つの主体を巻きこんだプロセスとしてあらわれる。第一の主体は、生き残って証言する者で、かれは話すことはできるが、自分の身にかかわることとして語るべきものはなにももっていない。第二の主体は「ゴルゴンを見た」者であり、かれは「底に触れた」ために語るべきことをたくさんもっているが、話すことはできない。この二人のうちのどちらが証言しているのだろうか。どちらが証言の主体なのだろうか。 (p. 163)
少なくとも、アウシュヴィッツの後、言葉として残されたものは生き残った者たちの証言である。彼らは、真に証言するべきことを「たくさんもっている」ムーゼルマンに代わって証言しているのである。つまり、間接的ではあるが、ムーゼルマンが証言しているということなのだが、しかし、ムーゼルマンは「非-人間に移行した」人間である。「すなわち、そこでは、言葉をもたない者が話す者に話させているのであり、話す者はその自分の言葉そのもののなかに話すことの不可能性を持ち運んでくるのである」 (p. 164) ということになって、証言する主体を指定することができない。これを、アガンベンは「証言の主体は脱主体化について証言する者である」と表現する。
こうして、アウシュヴィッツについての見解を二分している対立する二つのテーゼがどんなに不十分であるかがわかる。ヒューマニズム的な論法による見解では、「あらゆる人間は人間的である」と主張される。反ヒューマニズム的な論法による見解では、「一部の人間だけが人間的である」と唱えられる。証言が語っているのは、これらとはまったく異なることである。それは以下のテーゼに定式化することができるだろう。「人間は、人間的ではないかぎりで、人間である」。あるいは、もっと正確に言えば、「人間は、非-人間について証言するかぎりで、人間である」。 (p. 164)
「生き残った者」は何を生き残ったのか。ごく普通の人間らしい生に継いで、単なる「剥き出しの生」をつなぐように生き残ったのか。それとも、「死と闘って、非-人間的な状況を生き抜いた者」 (p. 181) なのか。
「人間は人間のあとも生き残ることのできる者である」ということが、「アウシュヴィッツの教訓を要約するテーゼ」 (p. 182) であるとアガンベンは主張する。
第一の意味においては、それは回教徒(あるいはグレイ・ゾーン)のことを指しており、人間よりも長く生き残る非人間的な能力を意味している。第二の意味においては、それは生き残り証人のことを指しており、回教徒よりも、非-人間よりも長く生き残るという、人間の能力を指している。しかし、よく見ると、この二つの意味は一点に収斂している。そして、その一点は、いわばそれらの内奥にある意味の核心をなしており、その核心において、この二つの意味は一瞬のあいだ一致するように見える。その一点にいるのが回教徒であり、そこにおいて、このテーゼの第三の意味、もっとも本当の意味であると同時にもっとも両義的な意味が解き放たれる。それは、レーヴィが「かれら、「回教徒」、沈んでしまった者たちこそが、完全な証人である」と書くことによって明らかにした意味である。すなわち、人間とは非-人間であり、人間性が完全に破壊された者こそは真に人間的であるということである。
ここでパラドックスとなっているのは、人間的なものについて真に証言するのが人間性が破壊された者だけであるとするなら、このことが意味するのは人間と非-人間の同一性はけっして完全ではないということ、人間的なものを完全に破壊するのは不可能であるということ、つねにまだなにかが残っているということである。証人とはその残りのもののことなのである。 (p. 181-2)
先に述べたように、ムーゼルマンの存在からフーコーの生政治への言及がなされたが、「生き残った者」の考察から、「二十世紀の生政治をもっとも特徴的な性格を定義する」もう一つの定式があると著者は指摘する。「死なせるでも生かすでもなく、生き残らせるというのが、それである」 (p. 210)。
「残りの者」というメシア思想的な概念がある。メシア到来の時、救われるのはイスラエルの「残りの者」だけである。しかし、「残りの者」はイスラエルの民の一部を指す言葉ではないと言う。「残りの者というのは、終末、メシア到来のできごと、民の選びにじかにつながれた瞬間に、イスラエルが引き受ける内実である」 (p. 220) というのだ。「残りの者」は、その救済をとおしてイスラエルの全体が救われるという「救済の装置」 (p. 221) なのである。この不可能にも思える概念は、「メシア到来のアポリア」そのものである。
旧約聖書のこのアポリアをひいて、アガンベンは「アウシュヴィッツの残りのもの」を語る。
残りの者の概念において、証言のアポリアはメシア到来のアポリアと一致する。イスラエルの残りの者は、民全体ではなく、その一部でもなく、全体にとっても部分にとっても、自分自身と一致することの不可能性、また相互のあいだでも一致することの不可能性をまさに意味しているように、そしてメシア到来の時は、歴史上の時でもなければ、永遠でもなく、両者を分割する隔たりであるように、アウシュヴィッツの残りの者――証人たち――は、死者でもなければ、生き残った者でもなく、沈んでしまった者でもなければ、救いあげられた者でもなく、かれらのあいだにあって残っているものである。 (p. 221)
アウシュヴィッツのガス室で消えた者たち、ムーゼルマンとしてアウシュヴィッツを「生きた」者たち、そして生き残った者たち、そのすべての人間たちのあいだにある「残りのもの」をこそ、私たちは「名状しがたいもの」として凝視し続けなければならない。
そうすることで、「新しい倫理の土地に取り組む未来の地図制作者にとって目印となるかもしれない杭をあちこちに打ちこむこと」 (p. 10) が、ジョルジョ・アガンベンが本書で企図したことである。
[1] ハンナ・アーレント(大久保和郎訳)『イェルサレムのアイヒマン ――悪の陳腐さについての報告』(みすず書房、1969年)。
著者による引用文献
Améry, J.
Un intellettuale a Auschwitz, Bollati Boringhieri, Torino 1987 (ed. orig. Jenseits von Schuld und Sühne. Bewältigungsversuche eines Überwältgien, F. Klett, Stuttgart 1977). 池内紀訳『罪と罰の彼岸』法政大学出版局、1984年
Carpi, A.
Diario di Gusen, Einaudi, Torino 1993.
Foucault, M.
Il faut défendre la sociéte, Gallimard-Seuil, Paris 1997.
Levi, P.
1. Conversazioni e interviste, Einaudi, Torino 1997. 多木降介訳『プリーモ・レーヴィは語る』青土社、2002年
2. I sommersi e i salvati, Einaudi, Torino 1991(2a ed.; la ed. 1986). 竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞社、2000年
3. Se questo é un uomo. La tregua, Einaudi, Torino 1995 (4a ed.; la ed. rispettiv. De Silva, Torino1947 ed Einaudi, Torino1963). 竹山博英訳『アウシュヴイッツは終わらない』朝日新聞社、1980年、竹山博英訳『休戦』朝日新聞社、1998年
Ryn Z. et Klodzinski S.
An der Grenze zwischen Leben und Tod. Erne Studie über die Erscheinung des «Muselmanns» im Konzentrationslager, in «Auschwitz-Hefte», vol.1,Weinheim e Basel 1987.
Sofsky, W.
L'ordine del terrore, Laterza, Roma-Bari 1995 (ed. orig. Die Ordnung des Terrors, Fischer, Frankfurt a.M. 1993).
Wiesel, E.
For Some Measure of Humility, in «Sh'ma. A Journal of Jewish Responsability», n°5, 31 October 1975.