《2016年4月15日》
熊本の大地震の震度7という報道に驚いてまんじりともせず夜を過ごした。東日本大震災のとき、仙台のわが家の近辺ですら震度6だったので、どれほどの被害が出るのか想像できない震度で、テレビにしがみつくしかなかったのだ。
東日本大震災は現地で震度6を体験したのだが、神戸淡路大震災の時のように離れた土地で起きる震災では、被害が甚大なほど通信網もずたずたになってニュースがまともに伝わらない。
神戸淡路大震災の時に比べれば、熊本からは被害の報道がそれなりに流れているように見えたが、把握できているのはわずかで、まだまだ被害が拡大するという怖れは払しょくできないのだった。
「川内原発には異常がない」という報道もあったが、こちらはまるっきり信用できない。たしか、福島第一原発事故の時も地震直後にはどの原発にも異常はないという報道があったような記憶がある。
デモを終えて家に帰り、夕食もそこそこにテレビとネットで熊本の震災のニュースを追う。日が変わったらさらに大きい地震が起きたという。次々と地震が起きて、被害が拡大しているというニュースだ。
最初の地震は布田川・日奈久断層帯で起きた地震だが、その後の地震は阿蘇、大分へと震源が移動している。中央構造線に沿った断層帯で次々地震が発生しているということで、気象庁の青木元地震津波監視課長は「広域的に続けて起きるようなことは観測史上、例がない事象」(毎日新聞)である可能性を示唆した。
また、地震予知連絡会会長の平原和朗・京都大教授も「今後、何が起こるかは正直わからない。仮に中央構造線断層帯がどこかで動けば、長期的には南海トラフ巨大地震に影響を与える可能性があるかもしれない」(朝日新聞)と話し、同じ記事には、東北大の遠田晋次教授が地震活動が南へ拡大する可能性も指摘している。
震源地が東に移動すれば、中央構造線上にある伊方原発が心配になる。さらに、南海トラフ巨大地震ということになれば静岡の浜岡原発が確実に危なくなる。遠田教授は日奈久断層帯の南端(川内原発に近い)での地震発生を心配するが、日奈久断層帯以外でも次々と地震が発生していることを考えれば、さらにその南の川内原発間近の断層帯での地震発生の可能性も否定できないはずだ。
九州電力は震度5程度の地震で川内原発は自動停止するから安全だと主張していた。最初の地震はともかく、後続の地震では川内原発付近も震度5に達したはずだが自動停止はしていない。これは、安全装置が作動しない「異常」ではなかったのか。
この点に関しては九州電力には前科があるという(「小坂正則の個人ブログ」記事より)。19997年3月に川内市は震度6の地震に見舞われ、市内の揺れは444ガルだったのに川内原発では64ガルの揺れしか検出せず、そのまま原発の運転を続けたのだという。今回もまた地震計がまとも作動していなかったという疑いは晴れないのである。
なぜ、ここまで安全性に配慮することなく原発の稼働に妄執するのだろうか。いったん原発を止めたら再稼働が不可能になると恐れているのだろうか。仮に私が原発推進の電力会社の人間だとしたら、「即刻原発を止めて安全確認をしました。私たちは原発の安全運転に最大の配慮をしています」と大いにアピールする方が長期的には得策だと思うのだが……。
それとも、自公政権や電力会社は原発が動いている限り自分たちの利益は確保できる、原発なしには自分たちは安寧でいられないとでも妄信しているのであろうか。原発停止と存在不安が直結しているのか。ここまでの執着を見ていると、単なる経済的利益を守るレベルを超えているのではないかと思えてくる。どこかカルト的な信仰心に似たような心性に落ちこんでいるのではなかろうか。政治・経済的イッシューではなくて、精神病理学的な領域でしか解決できない問題ではないかとさえ思えてくる。
《2016年5月20日》
熊本・大分大震災の被害が続いているというのに、2020年東京オリンピック開催決定を巡る日本側の買収だとか舛添東京都知事の公金不正支出問題などでマスコミが大騒ぎしているさ中、19日の参議院法務委員会で「改正刑事訴訟法」(国民盗聴法)がたいした報道もされずに成立した。国民の自由を憎んでいるかのようなファシズム的統治システムが次々とできあがっているのだ。
そのニュースと重なるように、沖縄県うるま市で若い女性が元米兵に殺害されるというニュースが流れる。アメリカによる植民地支配をもののみごとに象徴する事件なのに、アメリカとの軍事同盟だけが彼らの生命線と信じている自公政権はまったく関心を示さない。まったくいいニュースがないのだ。「みんな安倍のせいだ」というのが、合言葉のようになりつつある。
小さな話題だが、「いやな感じ」のニュースがネットで流れてきた。東京のあるカフェで「WAR IS OVER」と「GO VOTE」という小さなビラを店の看板の脇に貼っていたところ、通行人が「政治的過ぎる」とビルの管理者にクレームを付けたうえで「2週間後に確認に来る」と言ったというのである。
ネットでの大方の反応は、当然ながら「WAR IS OVER」や「GO VOTE」のどこが政治的なのか、というものだった。しかし、「政治的で何が悪い!」と断言する人もいて、私には、これがもっとも正しい反応だと思える。
かつて、総選挙を前にして「みんな家で寝ててくれればいい」と語った保守政治家がいたが、これは「家で寝ていること」が保守政権にとってもっとも都合のいい国民の「政治的行動」だということを露わに示している。
「家で寝ている」ことですら決定的に「政治的」なのである。ましてや、ビラが政治的だとクレームをつけるのは「過激な政治行動」だ。本人は、中立な立場で非政治的な正しい行いをしていると信じているかもしれないが、愚昧の極みである(最近、「〇〇の極み」というのが流行りらしい)。
辺見庸さんが魯迅の『阿Q正伝』を引いて、次のようなことを書いていた。
満州事変の発端となった柳条湖事件から八十一年目となる九月十八日にも、北京、上海、広州など中国全土で反日デモが行われ、満州事変記念館がある遼寧省瀋陽市では、日中戦争で殺された中国人を哀悼してサイレンが鳴らされた。それと同時に現地のテレビでは「国辱の日を忘れるな」という字幕が映しだされた。サイレンは安徽省、山西省、雲南省など数十の都市でも鳴らされ、市民らが黙禱した。まったく同じ日、若者たちで満員の東京・日本武道館では「AKB48 29th選抜じゃんけん大会」が盛大に行われ、テレビが「緊急生中継」した。二つのできごとには、日中両国の幼(いと)けない阿Qの子孫たちが参加していたことを除けば、とくに共通性はない。 [1]
時代を遡っていえば、紅衛兵のこともある。政治に煽られて暴走する人々も、AKB48の熱狂する人々も「日中の幼(いと)けない阿Qの子孫たち」なのである。先のクレーマーもまた阿Qそのものだ。
阿Qとは、握れば一つに固まっているようでも、所詮は手指からパラパラとこぼれおちてゆく砂(中国語で「散沙」)のような、哀しくも滑稽な民衆の原像でもあった。阿Qは、ちゃらんぽらんで、なんでも自分に都合よく解釈するオポチュニストであり、時に応じて付和雷同する貧しい愚民の典型である。つまり、魯迅が仮借なくつきだした昔日の中国民衆像が阿Qなのだが、しかし、阿Qの末裔は現代中国のみならず、この日本でも、いや、世界各地でいま急速に増殖してはいないだろうか。 [2]
今、日本でも大勢の阿Qたちがおのれの行為の政治的意味を知ってか知らずか、右翼政治権力の「生政治」の操られるまま社会の閉塞化、ファシズム化へと加担し続けている。
私がいちばん気にしているのは、この時代のファシズムは、我々が自ずからやってしまうことであるということです。一生懸命、真面目にやってしまうということです。それはこれから来るということではなく、まさに最中であると思うんですね。あるいはもはや事後かもしれない。僕が苛立つのはそこです。 [3]
魯迅は阿Qの愚かさを仮借なく描き出したが、阿Q(たち)を愛してもいたのだというのが正しい『阿Q正伝』評なのだろうが、私は、現代日本の阿Qたちを愛しているとはとても言い切れない。
私もまた無自覚な阿Qではないかと怖れつつ、今日もデモに行くのだ。
[1] 辺見庸『国家、人間あるいは狂気についてのノート』(毎日新聞社、2013年)p. 26。
[2] 同、p. 25。
[3] 同、p. 194。
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