かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(39)

2025年01月06日 | 脱原発

2016年9月2日

 今日のデモ集会での主催者挨拶もそれに続くスピーチも、原子力規制委員会の放射性廃棄物に関する決定のニュースについてであった。委員会決定は、「原子炉の制御棒など放射能レベルが比較的高い廃棄物(L1)の処分の基本方針は、地震や火山の影響を受けにくい場所で70メートルより深い地中に埋め、電力会社に300~400年間管理させる。その後は国が引きつぎ、10万年間、掘削を制限する」というものである。
 突っ込みどころ満載のニュースである。そもそも「地震や火山の影響を受けにくい場所」が日本にあるのかどうかすら疑わしい。そのうえ、電力会社が400年も存続することができるのか。400年もたてば、エネルギー事情が大きく変わって電力会社は存在理由を失っているのではないか。もうすでに今年から電力自由化が始まって、原発を持つ電力会社以外が供給する電力へのシフトが始まっているのである。
 それにもまして、「10万年間、掘削を制限する」という権限を持つ日本という国家が10万年後まで存続しているのだろうか。未来の10万年後は想像しにくいが、10万年前のことはわかる。私たち現生人類、ホモサピエンスは10万年ほど前にアフリカで生まれた。その時代には、35万年前くらいに生まれたネアンデルタール人も生存していたが、その後ネアンデルタール人は絶滅し、ホモサピエンスだけが残った。
 つまり、10万年というのは、ある人類が生まれたり絶滅したりする事象が起きる時間スケールなのである。生まれて10万年のホモサピエンスがもう10万年生き残る可能性はそれほど高くはないのである。ましてや、このホモサピエンスは原水爆や原発という人類殲滅の科学技術を手放せない人類なのである。
 10万年も管理し続けなければならない放射性廃棄物を大量に生み出す原発にしがみつくことしか考えていない愚かな国家のもとで、誰の子孫が10万年後まで生き残れると考えているのか。
 少なくとも私たちは、私たちと私たちの子孫の未来(10万年などではなく近未来のことだ)を確かなものにするために、原発(と原水爆)に反対し、これ以上放射性廃棄物を増やすことがないようにデモで意思表示をしているのである。

 これはデモが終わって帰宅してから見つけたのだが、とても気になるニュースがあった。日本の原発13基の圧力容器に強度不足の疑いがあって調査に入ったというニュースである。

 フランスの原発で強度不足の疑いがある原子炉圧力容器などを製造したメーカーが、稼働中の川内原発1、2号機など国内8原発13基の圧力容器を製造していたことを原子力規制委員会に報告したことが発端となった。
 ニュースには詳しく描かれていないが、ほかの情報を合わせると。圧力容器に使用している鍛造鋼に含まれる炭素量にムラがあって強度不足のおそれがあるということらしい。鉄鋼はその強度を増すために炭素を混ぜるのだが、その炭素が結晶粒界などに偏析すると脆くなって、脆性破壊の原因になる。
 これは、8月27日の「風の会」主催の公開学習会「原子力のい・ろ・は」でも話題になったことだが、原子炉の圧力容器は繰り返しの熱履歴や圧力変化によるクリープ、さらには放射線損傷によって炭素の偏析が進んで脆性が増すことはよく知られていて、圧力容器の脆性破壊は冷却水の一挙の喪失によって核燃料溶融に至る重大な原子炉事故をもたらす。東京大学名誉教授(金属学)の井野博満先生は、つとにその危険性を指摘されていて、とくに日本でもっとも古い原発の一つである玄海原発1号機は最も危険だと主張されている。
 その圧力容器のもともとの材料の炭素分布にムラがあるということは原子炉の安全性にとってきわめて重大な問題である。ところが別のニュースによれば、原子力規制委員会は「製造当時の記録や試験結果で健全性を証明することが可能だ」として、あらかじめ「健全性が証明される」ことを予見している。残念ながら、ここでもまた、規制委員会が原発推進の口実のために設けられた形式的な機関にすぎないことが明らかになっている。

 

2016年9月17日

 今日のデモ集会スピーチの最大のトピックは、「政府が高速増殖炉もんじゅの廃炉に向けて最終調整に入った」というニュースで、数人の人がその話題に触れた。危険な原発が廃炉に向かうというのは、もちろん喜ぶべきニュースだし、これが核燃料サイクル政策の破綻の始まりなら言うことなしである。
 ところが、実際には、もんじゅを廃炉にしても原発を推進する通産省(ひいては自公政権)にとってはなにも困らないのではないかと思えるのだ。「燃やせば燃やすほど核燃料が増える夢のような原発」という歌い文句で始められた高速増殖炉計画は、新しい科学技術を推進することが使命である文科省が、大洗の実験炉「常陽」、敦賀の実証炉「もんじゅ」と進めてきたものだ。
 しかし、世界の趨勢は高速増殖炉を捨てる方向で進んでいる。何よりも、日本では、原発が生み出す大量のプルトニウムを処理するはずの六ヶ所村の核燃料処理施設の稼働のめどがまったくたっていない。通産省的な立場からすれば、このような状況下で高速増殖炉によって大量のプルトニウムを生産することは合理的ではないということだろう。現有するプルトニウムはMOX燃料として使用し、原発再稼働でできるプルトニウムを核燃料サイクルにまわせば将来的にも十分と考えているのではないか。もんじゅ廃炉の支障となるのは、文科省の面子ぐらいだろう。
 濃縮ウランを使用するように設計された既存の原発でMOX燃料を使用するのは、原発の危険度を格段に上げることになる。一基の高速増殖炉もとても危険には違いないが、MOX燃料によって全国のウラン炉へその危険が分散、分配されるというのが、通産省が目論んでいる核燃料サイクル政策の本質であろう。

 

街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。