ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

香川県(讃岐)の偉人 「明治期の政治家」大久保 諶之丞について調べました。

2015-01-29 | パソコン

昨年の暮れから 香川県(讃岐)の偉人についてインターネットで調べてブログに書き始めました。
1回目は2014-12-24のブログ:香川県(讃岐)の偉人 「坂出塩田の父」久米通賢
2回目は2014-12-30のブログ:香川県(讃岐)の偉人 「讃岐糖業の父」向山周慶
回目は2015-01-07のブログ:香川県(讃岐)の偉人 「香川漆芸の父」玉楮象谷

今回は 明治初期に四国新道・香川用水・瀬戸大橋を提唱したことで知られる
大久保 諶之丞(おおくぼ じんのじょう)について、インターネットで調べました。

 大久保 之丞は1849(嘉永2年)に三豊市財田町の
 大地主であった大久保森冶の三男として生まれる。
 1872(明治5年)、財田村吏員、その後郡吏員等を
 経て、1888年(明治21年)に愛媛県会議員、翌年、
 香川県が愛媛県から分離し香川県会議員となる。
 1891(明治24年)、議会での演説中に倒れ、
 42歳で死去。

 私財を投じて道路・橋梁を整備、奨学資金の貸付け、
 病院建設への資金の寄贈等又、讃岐鉄道・北海道移住
 などを提唱・実行する。

 道路開発に情熱を傾け「四国新道開発の父」と称される。

 北海道移住・開拓などにも私財を投じ、
 北海道洞爺湖町では「開拓の父」と称される。
 北海道開拓移民には自ら資金を出し、毎年数百人を
 北海道に移住させた。

 左の画像は財田「たからだの里」に建つ之丞の胸像


大久保 諶之丞の功績を記す碑が各地にあります。財田町と北海道の洞爺村にある碑の文面を

WORDからPDFにして、PDF-VIEWERというソフトを使って画像に変換しました、

  

 

 


大久保が育った財田は、阿讃山脈のふもとに位置しています。
隣の徳島県や高知県に行くためには、険しい猪ノ鼻峠を越えていかなければなりませんでした。
大久保は幼い頃から、人々が踏みわけ道程度の曲がりくねった道を苦労して
峠越えしている様子を見て育ちました。

讃岐の発展、四国の発展のためには、人々が容易に往来することができる道をつくることが
必要であるとの
大久保の思いはこうして形成されました。
  


香川用水は、水源が十分ではない香川県の慢性的な水不足を解消するために建設された多目的水路です。
香川県では降雨量が少なく、大きな河川が少ないため、水不足は深刻で、
満濃池など多くのため池を築いてきたが
十分な用水の確保は出来なかった。
また一方、徳島県も吉野川では大きな洪水による被害が度重なった。

そのため吉野川流域の安全と水の安定供給を目的とした吉野川総合開発事業が計画され、
早明浦ダム、池田ダムとともに
計画の一環として香川用水は建設されることとなり、
開発事業の発表から24年後の1974年に完成した。

香川用水の水源は吉野川にある早明浦ダムで、蓄えられた水は池田ダムから
讃岐山脈を貫通しているトンネルを経て
香川県に導かれ県内一円に
農業用水、水道用水、工業用水を供給している。

            早明浦ダム                    満濃池

  


 讃岐鉄道は多度津の景山甚右衛門が、地元においても 
   鉄道敷設の必要があると判断し、多度津港から、
 金刀比羅宮へ向かう参拝客の輸送を目的に設立した。
 発起人には計画に協力した香川県議会議員の
 大久保 之丞も名を連ねていた。
1888年(明治21年)
    起工された。1889年(明治22年)、通した年に讃岐鉄道
 の初の営業区間である丸亀駅 - 琴平駅間を開業させた。

 日本全国で9番目、四国で伊予鉄道に次ぎ2番目の
 開業となった。
讃岐鉄道の開通式の祝辞で、大久保は 
 瀬戸大橋の構想を
発表しました。
 坂出市番の州の瀬戸大橋記念公園内に大久保諶之丞
 の
銅像があります。


香川県財田町と北海道洞爺村とのつながりは、明治20年(1887 年)5月10日、
洞爺村開拓の父と慕われる
大久保之丞が心血を注い だ「北海道移民計画」に共鳴し、
香川県財田村を中心とする22戸76 名の一団が
原始の洞爺に移り住んでから約120年、
これらの人たちの 努力が実を結び、原始の大地は今は、豊かで美しい土地に姿を変え、

人々 はいきいきと暮らしています。 開拓の第一歩が印されて以来、洞爺村には財田町との縁故の人達も
数 多く、これらの方々にあっては途切れることなく交際がもたれていまし たが、
両町村の組織的な交流は行われていませんでした。

このような状況のなかで昭和49年に財田町から町長と町議一行が 来村され、
「祖先を同じくする縁故を基にして、
今後さらに友好を深め 産業、教育、文化その他の
交流を図りながら両町村発展のため、友愛に よる姉妹町村の盟約を
結ぼう」との話がもち上がり、
洞爺村議会で「盟 約調印」が決議され、昭和50年4月1日に姉妹町村盟約の調印を行い、

財田町と洞爺村の姉妹の契りが結ばれ、以後30有余年にわたり活発な 交流活動がなされてきました。

洞爺湖の画像に大久保諶之丞の画像の切抜きを貼りつけてみました。


 桜の頃に、毎年恒例で行われる財田町のお祭り「諶之丞まつり」
 が
財田町の道の駅たからだの里/戸川ダム公園で行われます。

 1985年、財田町をもっと活力のある、生き生きとしたものにする
 方策は
ないかと町役場に委員会が設置されました
 なかなか結論がでない中、重なる討議の結果、
 『之丞の先見性と実行力を学ぶ村おこし運動』という
 位置づけで
町民の手で、『諶之丞まつり』をやろうと
 いうことになったそうです。

 

   


志度の畑を耕運機で耕して、ジャガイモを植える準備をしてきました。

2015-01-24 | 志度の畑

1/16(金)の朝一番の高速バスで志度に行き、1/18(日)の夜に吹田に
戻って来ました。
土曜には雨が降って作業ができなかったのですが、 今回は剪定をした枝を
燃やしたのと そろそろジャガイモを植える時期なので畑を耕して来ました。

  いつものように隣家の耕運機を借りて 
 今年 
ジャガイモを植える場所を耕しまし
 た。
近くの道沿いの無人販売所で売られて
 いる
堆肥(3袋で200円)を蒔きまし
 た。
このエリアには隔年でタマネギとジャ
 ガイモを
植えています。
 下の写真は2013年の時の様子です。

   


畑の野菜の場所をEXCELで記録しています。 
連作がダメな野菜もあるのですが、今のところ 連作被害には遇っていません。

畑の中心となるのは ジャガイモ・タマネギ・サツマイモで大半のエリアを占めています。
今は11月に植えたタマネギが成長してきて、2・3月でジャガイモを植えて 
5・6月にはサツマイモの植え付けです。

    


畑の野菜の状況を撮った写真はPicasaウェブアルバムにも残していて、一年の状況がみれます。
去年のジャガイモの生育状況(3月・4月・6月)の写真です。

  

ジャガイモの植えた記録を見ると 2011年が男爵を10kg アンデスとその他を各1kg
2012年と2013年も10kgで 去年も同じくらい植えています。
以前は半分に切って切り口にシリカを塗ったりして植えていましたが、このところ面倒でまるごと
植えたり、芽が出かかった残りものを植えたりしていますが大丈夫です。 


 去年の秋野菜を植える時に 兄が作ってくれた焚き火のエリアを撤去して畑にしました。
前回に弟と杭を立てて新しい焚き火の場所を作ったところで木の枝などを燃やしました。 

  下の写真は以前の焚き火の風景です。
   


  志度の畑付近にはいろんな鳥がいますが、ログハウスの
 近くにひよどりが来て 木の穴に溜まった水を飲んでいるのを
 ログの窓越しに撮りました。 団体で飛んできて、南天の実を
 食べつくしてしまいました。 今年もたくさんの真っ赤な実を
 付けていたのですが、食べるものが
 無くなったのか、実が美味しくなったからか全部食べました。

    


  梅の木に芽が出始めています。 スモモは大きくなりすぎて収穫に手間取るので 
 大幅にカットしましたが
 もっと剪定した方が良さそうな感じです。
 隣家のTさんのスダチをずいぶん採ったのですが、まだまだ残っています。 
 次回に家内と収穫しようと思います。

  


 左の画像は前回の夕食と朝食の店です。
 今回 金曜の夕食はスーパーで買った
 弁当で、土曜と日曜の朝食は「ゲルン」の
 パンにしました。1000円以上のお買い上げ
 で 500円の
サービス券がもらえる特別な
 日でした。

 1/17・1/18の土日は屋島食堂もおかずが
 半額のサービスデーでしたので
土曜の夕食
                             はそこで食べました。


今年最初のお出かけは伏見稲荷の参拝に行って来ました。

2015-01-22 | お出かけ

1/20(火) JR吹田に12人のメンバーが9時に集まって
今年 最初のお出かけに出発です。恒例になった雨に遇わずに良かったです。

 吹田からJRで京都に行き、奈良線で2つ目の駅
 が
 稲荷駅で参拝後には、京阪稲荷駅から伏見桃
 山駅で
 「鳥せい」で昼食にしました。
 食後には「月桂冠大倉記念館」を見学して、中書
 島から
 京阪特急で帰ってきました。
 京都までの電車は空いていて、記念撮影です。
 帰りの京阪は特急の2階に乗れて、車内でトーマ
 スの飾りも
 見れてラッキーでした。 
    

「伏見稲荷大社」は外国人に人気の観光スポットとのことです。平日でそれほどの人出ではなかったですが、外人韓国客がからり見られました。

境内は広くてどこまで歩くか考えていませんでした。本堂と「おもかる石」と千本鳥居を見て、
写真を撮って 
一時間ほど過ごしました。

   


 お出かけ恒例の団体写真を撮って、私かKさんのどちらかが写っていない時には合成してあります。
 画像の背景を消してから 別の写真に貼りつける作業が手早く出来るようになりました。

    

伏見稲荷の千本鳥居は有名で、朱色の鳥居が立ち並ぶ景観は見事なもので撮影のスポットです。
それとキツネの像がたくさんあり、口にいろいろなものを加えていました。
いろんな写真をPhptpcapeで編集しました。

   左の画像は千本鳥居の写真を編集した分で。
  下の画像は人物を追加した分です。

    

 

          

 お昼は前に来たことのある「鳥せい」というお店
 で、
「鳥めし弁当」とビール・お酒で歓談しまし
 た。
お客さんが多くて賑わっていましたが、予約
 してくれていて
 ゆっくりと過ごせました。
 このお店は「神聖」の山本酒造の経営でお酒が
 美味しいです。

    

いつものように食事風景をPhotoscapeで編集しました。
前回のアンケート結果も配られて、これからのお出かけのことについて話が出来ました。

    


 前回は「黄桜酒造」を見学して、今回は「月桂
 冠」の
記念館に行きました。入場料は300円で
 すが、立派な
展示で ちょうど説明してくれる
 人に会えて良かったです。

    

 

 

  創業の大倉家とか発展の元になった研究所とか
  当時の鉄道輸送に威力のあった栓の考案などの
  説明を聞きました。

  鳥羽伏見の戦いがあった場所と聞き、砲弾の展
  示も
あり、ベーブルースが来日した時の記念の
  看板の
傍で記念撮影をそたりしました。

  当時の消火器具や三十石舟などいろんな展示が 
  り 
ていねいに説明してくれて 勉強になりまし
  た。
坂本竜馬の寺田屋事件や 明治天皇陵など
  新しい
ことを知ることが出来ました。

     

  

記念館入ってすぐに中庭で記念撮影をして、見学の後、恒例の記念写真も写していただきました。

   

 伏見稲荷大社に置かれていた菰樽の写真と
 京阪電車の中書島駅に飾られていた、ミニチュアの
 酒樽の写真をPhotoscapeで編集しました。

   

 
京都 伏見清酒 紀行というパンフレットに載っていたお酒をスキャナーで取り込んで 編集しました。


小椎尾さんのブログ : わくわくお出かけ会 

吉田さんのブログ :  伏見稲荷大社  をご覧ください。(タイトルをクリックするとリンクします。)


今年最初の志度行きは家内と弟が一緒で、いろいろな作業が出来ました。

2015-01-15 | 志度の畑

今年初めての志度行きは 1/9(金)に家内の運転でスタートして、1/11(日)の夕方に
吹田に戻って来て、夜には地区の新年互礼会に出席しました。

 今年の冬も寒そうなので畑の野菜の生育が心配でした
 が、
思ったよりも元気に育っているので安心しました。

 去年の暮れにそら豆とエンドウにワラを敷いたのが
 良かったようで、
連日の朝の霜にも負けず成長して
 います。

 去年の1/14のブログ : 今年最初の志度行きは寒波の中での作業でしたが、花の芽が出始めていました。

 書いてある内容は今年と同じようなことで、一昨年の
 ブログにも
同じことが書いてあります。
 昼食と夕食をどの店で食べたかも記録を見ると
 思い出します。

 今回も覚えているうちに書き留めておくことにします。
 去年の1/14のブログの畑についての部分をWordに貼りつけ
 編集してPDFで保存して PDFーViewer で画像に変換しました。 

 志度の畑の様子は去年と同じような状況で、
 エンドウが少し
育っているのもあり、もう白い花
 が何個かさいていました。

 タマネギの順調なようで、畝の表面を少し掘って
 柔らかくしてきました。
 マンバもニンニクもそら豆も寒さに負けず
 元気です。

 ミズナ・チンゲンサイ・春菊は掘り起こして、
 残っていた
ダイコンも全部 採ってきて 
 ジャガイモの植え付けの
準備です。
 今回 2ケ所の小さなエリアを掘ってきました。

    


 土曜には隣家のTさんが植えて大きくなっている
 スダチの
木に実がたくさん生っています。
 もうとっくに収穫時期も終わって完熟を
 越えています。
 Tさんは亡くなられて息子さんの代になっている
 ので
採らせてくださいとお願いして 家内と収穫
 しました。

 これを半分に切って絞り器で絞ってジュースにする作業は家内がやるのですが大仕事です。

    


  日曜には多度津から弟が来てくれて、ログの倉庫のドア
 の
修理や 大きな竹の伐採や スモモの剪定などをして
 くれ
ました。
 兄が作ってくれた焚火のエリアうぃ畑にしたので、
 新しく焚き火を
する場所を決めました。
 近くにあるレモンの木に焚き火の熱が影響しないように
 ブリキの遮蔽板を取り付ける杭を一緒に立てました。 


  イチゴの畝を掘り返して、植え替えた苗が成長して
 きています。

  


 

 日差しが少し暖かくなってきて、日照時間も長く
 なってきました。
 剪定した梅の木に小さな蕾が付きだしています。

 ビワも大きくなったので枝をかなり落としまし
 た。
白い花がかなり付いているので、実が生るの
 が楽しみです。

  

 


エンドウの花と 水仙です。 水仙はこれからたくさん咲きます。

   


8日のお昼は志度について近くの「根っこ」でうどんを食べて、
9日のお昼は志度駅の近くにある「牟礼製麺」でおそばを食べました。

9日の夕食は屋島の家の近くにある「屋島食堂」で惣菜を選んで食べ、
10日の夕食は高松市内の中華店「桃花苑」で家内の友人と三人でファミリーコースを食べ、
10日と11日の朝は牟礼にある「パン屋さん」で買ったパンを食べました。

 


 11日(日)の2時に家内の友人も一緒に吹田に
 向かいました。

 淡路島南SAで軽食を摂り、淡路SAと西宮名塩SAで
 休憩して
6時前に帰宅して、地区の新年互礼会に
 出席しました。

 マグロの解体ショーと富くじなどで盛会でした。

  


 20年前の三連休にも家内の友人は来ていて
 16日にもう一泊しようかと言っていて、帰って
 良かったです。
 当時 私は50歳で出向して西梅田のビルに
 勤めていました。地震のあった時刻には起きて
 いて、出勤の用意をしていたと思います。
 TVのニュースで大変な様子が伝えられきて
 会社には行かなかったのですが、出勤した者も 
 いました。
 仕事に必要なオフコンが無事で良かったです。
 神戸の事業所に行くこともあって、被災地の様子
 を体験しました。 
インターネットで見つけた阪神・淡路大震災の画像をPhotoscapeで編集しました。

43号線の橋脚が壊れたこと、阪急伊丹の駅も壊れたことなどが記憶に残っています。


香川県(讃岐)の偉人 「香川漆芸の父」玉楮象谷について調べました。

2015-01-07 | パソコン

昨年の暮れから 香川県(讃岐)の偉人についてインターネットで調べて

ブログに書き始めました。

1回目は2014-12-24のブログ:香川県(讃岐)の偉人 「坂出塩田の父」久米通賢

2回目は2014-12-30のブログ:香川県(讃岐)の偉人 「讃岐糖業の父」向山周慶

今回は 香川県(讃岐)の偉人 「香川漆芸の父・漆聖」 玉楮象谷(たまかじぞうこく)について調べました。


 香川漆器が全国的に有名なことは、丸亀勤務に
 なった
友人が萄醤(きんま)細工を習って神戸の
 展覧会で
見たことや 親戚の人で有名な人がいて
 その作品が
何点か家内の家にあることなどで知っ
 ていました。

 左の画像は家にあって、たまにしか使わない銘々皿を

 デジカメで撮って 背景を付け直してPhotoscape 
 で編集したものです。 いろいろな虫が上手に
 彫ってあり、きれいなものです。 

 

 同じ植田如僲さんの作品で、高級な様で家に眠っている

 茶びつをデジカメで撮って編集したものと、インターネットで

 見つけた香川漆器の作品を合成したものです。

   


 玉楮象谷(たまかじぞうこく)は高松市に1806年に生ま
 れ、
明治2年(1869)に64歳で亡くなりました。

 玉楮象谷は、中国の彫漆を模した技法や、南方漆器の
 技法を 独自の技法に消化した作風を開拓、象谷塗・
 讃岐彫とよばれる 今日の高松漆器の源流をつくりあ
 げ、今日特産品として名高い 高松漆工芸の基礎を
 築き「香川漆芸の父」と称されます。

 讃岐漆芸は、高松藩の漆彫司 玉楮象谷に始まる。
 当時、江戸や京都では蒔絵が主流であったが、
 象谷は父からうけついだ篆刻の技術をふるい、
 あえて蒔絵によらず、京都の東本願寺や大徳寺に
 伝来していた堆朱、堆黒、存清など中国から舶載した
 唐物漆器、あるいは茶人の間で珍重された《キンマ手》
 とよばれる南方渡来の藍胎漆器に着目し、

 これらを摸して地方色豊かな漆器を作り出した。
 彫漆(ちょうしつ)、萄醤(きんま)、存清(ぞんせい)の
 三技法が その特色であり、彫漆は、色漆を厚く塗ね、
 文様を彫り表す技法。 萄醤は、剣と称する彫刻刀で
 文様を彫り、その彫り口に色漆を埋め、平らに研ぎ出す
 存清は、色漆で文様を描き、輪郭や細部に線彫りを
                          加える手法である。 


 香川漆器(かがわしっき)は、讃岐漆器あるいは高松漆器とも呼ばれることがある。 

江戸時代末期、玉楮象谷(たまかじぞうこく)は大陸伝来の彫漆(ちょうしつ)、蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)などの研究から 独自の技法を創案し、やがて香川漆芸の礎を築きあげた。

現在では彫漆、蒟醤、存清、後藤塗、象谷塗の5つの技法が国の伝統的工芸品に指定されている。 

玉楮象谷(たまかじぞうこく)によって確立した香川漆芸は彫刻刀や剣による彫りの技術と色漆の使用が
特徴であり、
蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、彫漆(ちょうしつ)「香川の3技法」といいます。 

     

          

               

     


インターネットで調べていると「一角印籠」という面白い記事を見つけました。

象谷が34歳のときに殿様に献上した印籠は「一角印籠」と呼ばれるもので、高さ8.6センチ、幅5.5センチ、厚さ2.9センチの 偏円筒形の印籠表面に、なんと1086点の彫刻をしているそうです。
まさに神業としかいいようがありません。

象谷が彫ったけし粒ほどの動物たちは、今にも動き出しそうに生き生きとしています。

しかし、象谷の真価は微細な彫刻よりも独特の塗りの技法にあるといわれています。

ベンガラを混入した生漆を塗りこむ技法は象谷塗と呼ばれ、今日まで香川漆芸として受け継がれています。


この「一角印籠」の話から 母が好きだった浪曲に「左 甚五郎 千人坊主」が あり、京山幸枝若さんの名調子を聞いていると 話は途中で終わってしまいます。 
話の結末を知りたくて LPレコードを買いました。 
浪曲の中身が活字で見れて よく分かったことを思い出しました。 
その時のレコードは 今も残っています。
 
左甚五郎が5寸四角の板に 千人の坊主を彫る話を とても上手にまとめて書いてくれているブログを見つけて コピーして 
Word → PDF → JPG にしました。
 

今年(2015年)の正月も去年と同じように子や孫と過ごしました。

2015-01-04 | お出かけ

一年前のブログに書いたのと同じように正月には山田にいる息子の家族と

今年も佐井寺の伊射奈岐神社に初詣に行きました。

 寒い日でしたが天気が良くて大勢の人が来ていま
 した。
焚き火をしているカマドが志度の畑で燃や
 すのに
 ヒントを得ました。

 佐井寺の中を通って帰る途中に桜がさいていまし
 た。
齢とともに急な階段が危なくなって、もうす
 ぐルートを
 変える方がよさそうです。

   

去年のブログに載っている初詣の写真を Photoscapeで編集しました


1/2には西宮に住んでいる息子夫婦が女の孫二人をつれてきて、3人の孫で賑やかでした。

 小2の孫はクリスマスプレゼントのおもちゃなど
 で
遊んでいて、今度 年長になる孫も元気につい
 ていきます。
 皆で書初めということになって、
 それぞれ今年の目標を
書いて部屋の梁に貼ってあ
 ります。
 ちょうど 箱根駅伝のゴールがTVで
 放映中で
青山学院の往路優勝で盛り上がっていま
 した。

1/1の夕方から天気が悪くなってきて、吹雪のようになり 1/2の朝に雪景色を撮りました。

ベランダに少し溜まっていた水には氷も張っていて
寒い日ですが、どこにも出かけずにいたので寒く
感じなくて
良かったです。

孫の男の方はスキーを初めて、4日から家族で行くようです。

今は高2になった孫と2011年の正月にびわこバレイに

行ったのが最後になりました。2011-01-02 のブログ

孫に連れられてスキー場に行ってきました。




 高2の孫が小さい時には USJやディズニーに一緒に行きましたが、今はスマホの設定などを 教えてもらう立ち場です。

 去年の暮れには須磨の水族館に行ったのですが 今年は小さい孫と家内が「仮面ライダー」で 私と高2の孫は「バンクーバーの朝日」を 観ました。

 


 娘夫婦は主人の実家の福井に行くので、毎年 暮れには三組の子ども夫婦と孫6人 
それと私達3人の15人で外食です。

 今年は千里山にある中華のお店に予約が取れて

 行きました。

 それぞれが好みの料理を頼んで 十分食べて

 美味しかったです。

  


1/31の年越しソバの時間ころには 久しぶりに紅白歌合戦を観ました。

子どもに人気の「妖怪ウオッチ」や「ももいろクローバーZ」などを初めて見たり、いろんなゲストが出てくるので楽しかったです。

早速 YouTubeに紅白の動画がいろいろと投稿されているのを Craving Explorerでパソコンに取り込み ムービーメーカーで編集した分を Picasaウェブアルバムに載せました。

     (☆ 画像をクリックすると Picasaウェブアルバムに リンクします。)

   

   

   

   


 玄関先には 志度の畑の近くにたくさんある

 南天を取ってきて飾ってあります。

 リビングにある枯れていた枝にも 新芽が
 出て
少しずつ大きくなってきています。

 志度の水仙もうまく花を咲かせてくれてい
 ます。
 シクラメンとランの花も長く咲いていて
 きれいです。


香川県(讃岐)の郷土料理ランキング NO.1は「あんもち雑煮」だと知りました。

2015-01-01 | パソコン

去年の暮れに屋島の家で見た「リビング たかまつ」に「あんもち雑煮」の特集がありました。

私が子供の頃の雑煮は「あんもち」が主流で、大阪に来て香川県特有の料理だと知りました。

志度の人とカキを焼いて食べている時に 今でも「あんもち雑煮」が健在と聞きました。

 左の画像は「リビング たかまつ」を

 スキャナーで取り込み、ペイントブラシ
 で
編集しました。

 具材はあまり入れないようですが、

 ダイコンと金時ニンジンは必須の
 アイテムです。

 イリコだしで白みそは昔も今も
 変わりません。

   

 

市町別のランキングを見ると西の方が上位で東になると率が低くて、
小豆島は
あんもち雑煮ではなさそうです。

私の育った多度津町は率が高いです。

 

  市町村合併でかなりの町がなくなり、新しい市の名前
  になっていて
まだ十分には把握できていないです。

  

 

 


あん餅・白餅・両方の餅がそれぞれ 1/3くらいで、あん餅の中には「塩あん」もあるようです。

あん餅雑煮の味付けは「白みそ」が多数派ですが、
白餅雑煮では「すまし」が「白みそ」よりも多いです。

  

 お雑煮の具材ランキングを見ると

 ダイコン・金時ニンジンは上位にあり、

 すまし派には「かまぼこ」が入っています。

 「あん餅雑煮」は伝えて行きたい郷土料理の

 第一位とのことです。

 二位が「しょうゆ豆」 三位が「まんばのけんちゃん」

  

 「今後、伝えていきたい郷土料理」の

 ランキングです。

 

 「しょうゆ豆」は香ばしく煎ったそら豆
 をしょうゆ・砂糖などでつくったタレに
 漬け込んで味付けした、さぬき(香川)
 では昔から各家庭で作られていた
 郷土料理です。

 「しょうゆ豆」の特色として、いわゆる
 普通の「煮豆」と違い、はじめに煎る
 ことから、軽く噛むと口の中でポロッと
 くだける歯ごたえが楽しめます。
左の記事は以前にブログに書いたのを  Word→PDF→JPGにしたものです。


今でも志度の畑には まんばが育っていて
 暖かくなってくると大きな葉になりますが
今はちぢこまっている感じです。