2021-2-23(天皇誕生日)は快晴でドライブがてら 2/14に行った続きの四国八十八ケ寺の49番から
49番の札所を回って来ました。
松山市内の46番から49番は楽に回れましたが、45番の岩屋寺は少し元気になった足腰でしたが
相当にきつかったです。
今回の食事は「豊浜SA」と「石鎚SA」に立ち寄り 岩屋寺までの道沿いでサツマイモを食べました。
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45番札所の岩屋寺までは
1時間半くらいの急な登り道
で途中のお店で食べた安納芋
のサツマイモがとても美味し
かったです。
岩屋寺の入り口から本堂までは
急な登り道が長く続いて、
私は何度も休みました。最期の
本堂までの階段は登らず家内
だけが行きました。岩屋寺は
標高700mにある四国遍路でも
屈指の難所として知られ、
駐車場から約800ⅿ山道を
歩いてお参りをします。
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第44番札所 菅生山 大覚院 大寶寺
大寶寺の歴史・由来
四十三番明石寺からの道のりは約80㎞、峠越えの難所がつづき、
歩けば20時間を超す「遍路ころがし」の霊場。
四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分に当たり、「中札所」といわれる。
四国山地に囲まれた標高579mに位置し、境内は老樹が林立し、幽寂な空気が漂う。
縁起は大和朝廷の時代まで遡る。
百済から来朝した聖僧が、携えてきた十一面観音像をこの山中に安置していた。
飛鳥時代になって大宝元年のこと、安芸(広島)からきた明神右京、隼人という兄弟の狩人が、
菅草のなかにあった十一面観音像を見つけ、草庵を結んでこの尊像を祀った。
ときの文武天皇はこの奏上を聞き、さっそく勅命を出して寺院を建立、
元号にちなんで「大寶寺」と号し、創建された。
弘法大師がこの地を訪れたのは、およそ120年後で弘仁13年(822)、密教を修法されて、
四国霊場の中札所と定められ、これを機に天台宗だった宗派を真言宗に改めた。
仁平2年(1152)、全山を焼失。だが、直後の保元年間(1156〜59)に後白河天皇が
病気平癒を祈願して成就され、ここに伽藍を再建し、勅使を遣わして妹宮を住職に任じて勅願寺とした。
このときに「菅生山」の勅額を賜り、七堂伽藍の僧堂を備え、盛時には山内に48坊を数えるほどであった。
その後「天正の兵火」で再び焼失、松山藩主の寄進で復興し、江戸中期には松平家の祈願所にもなったが、さらに明治7年には3度目の全焼、火災との苦闘を宿命にした。
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第45番札所 海岸山 岩屋寺
岩屋寺の歴史・由来
標高700m。奇峰が天を突き、巨岩の中腹に埋め込まれるように堂宇がたたずむ典型的な山岳霊場である。
神仙境をおもわせる境内は、むかしから修験者が修行の場としていたようで、
さまざまな伝承が残されている。
弘法大師がこの霊地を訪ねたのは弘仁6年とされている。
そのころすでに土佐の女性が岩窟に籠るなどして、法華三昧を成就、
空中を自在に飛行できる神通力を身につけ、法華仙人と称していたという。
だが仙人は、大師の修法に篤く帰依し、全山を献上した。
大師は木造と石造の不動明王像を刻み、木像は本尊として本堂に安置し、
また、石像を奥の院の秘仏として岩窟に祀り、全山をご本尊の不動明王として護摩修法をなされた。
一遍上人(1239〜89)が鎌倉時代の中期にこの古刹で参籠・修行したことは、
『一遍聖絵』にも描かれており、13世紀末ごろまでにはこれらの不動尊像をはじめ、
護摩炉壇、仙人堂、49院の岩屋、33の霊窟などがそのまま残っていたと伝えられる。
いつの頃からか、四十四番大寶寺の奥の院とされていたが、明治7年に第一世の住職が晋山した。
だが、同31年(1898)に仁王門と虚空蔵堂をのこし諸史料ともども全山を焼失した。
大正9年に本堂より一回り大きい大師堂を再建、その後、昭和2年に本堂、同9年に山門、
27年鐘楼を復興、宿坊遍照閣は38年、逼割不動堂・白山権現堂は同53年にそれぞれ建立されている。
大師堂は国指定重要文化財、寺域は国の名勝、県立自然公園の指定地でもある。
岩屋寺の見どころ
穴禅定・道開き不動・逼割禅定(奥の院・大師堂奥の山道を辿る。)
・鈴の音山河(お遍路さんをさわやかに歌ったうた。現住職が作詞・作曲。)
・七鳥(三宝鳥、慈悲心鳥、慈悲声鳥、鼓鳥、鈴鳥、笛鳥、鉦鼓鳥。)
・初めて発見された植物(イヨクジャク、イワヤシダ、イワヤスゲなどがある。)
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第46番札所 医王山 養珠院 浄瑠璃寺
浄瑠璃寺の歴史・由来
浄瑠璃寺は松山市内八ヶ寺の打ち始めの霊場である。
参道入口の石段左に「永き日や衛門三郎浄るり寺」と彫られた
正岡子規の句碑があり、お遍路を迎えてくれる。
このあたりは遍路の元祖といわれる右衛門三郎のふる里として知られる。
縁起を辿ってみると、行基菩薩が奈良の大仏開眼に先だち、和銅元年に布教のためにこの地を訪れ、
仏法を修行する適地として伽藍を建立した。
白檀の木で薬師如来像を彫って本尊とし、脇侍に日光・月光菩薩と、
眷属として十二神将を彫造して安置した。
寺名は薬師如来がおられる瑠璃光浄土から「浄瑠璃寺」とし、山号もまた医王如来に因んだ。
約百年後の大同2年(807)、唐から帰朝した弘法大師がこの寺にとどまり、
荒廃していた伽藍を修復し、四国霊場の一寺とした。
室町時代の末期に足利幕府の武将、平岡道倚が病に苦しみ、本尊に祈願したところ、
ご利益で全快したのに感激し、寺塔を再興して厚く帰依した。
江戸時代の正徳5年(1715)に山火事で本尊と脇侍をのぞいてほとんどの寺宝、伽藍を焼失したが、
70年後の天明5年(1785)、地元の庄屋から住職になった僧・堯音が復興に尽力した。
堯音は、托鉢をしながら全国を行脚してその浄財で現在の本堂その他の諸堂を再興している。
また、社会事業家としても知られ、岩屋寺から松山市にいたる土佐街道に、
苦難の末に8つの橋を架けている。
境内の樹齢1,000年を超す大樹イブキビャクシン(市天然記念物)が信仰を得ている。
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第47番札所 熊野山 妙見院 八坂寺
八坂寺の歴史・由来
浄瑠璃寺から北へ約1キロと近い八坂寺との間は、
田園のゆるやかな曲がり道をたどる遍路道「四国のみち」がある。
遍路の元祖といわれる右衛門三郎の伝説との縁も深い。
修験道の開祖・役行者小角が開基と伝えられるから、1,300年の歴史を有する古い寺である。
寺は山の中腹にあり、飛鳥時代の大宝元年、文武天皇の勅願により
伊予の国司、越智玉興公が堂塔を建立した。
このとき、8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名とし、
また、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来する。
弘法大師がこの寺で修法したのは百余年後の弘仁6年(815)、
荒廃した寺を再興して霊場と定めた。
本尊の阿弥陀如来坐像は、浄土教の論理的な基礎を築いた恵心僧都源信(942〜1017)の作と伝えられる。その後、紀州から熊野権現の分霊や十二社権現を奉祀して修験道の根本道場となり、
「熊野八坂寺」とも呼ばれるようになった。
このころは境内に12坊、末寺が48ヶ寺と隆盛をきわめ、僧兵を抱えるほど栄えた。
だが、天正年間の兵火で焼失したのが皮切りとなり、再興と火災が重なって
末寺もほとんどなくなり、寺の規模は縮小の一途をたどった。
現在、寺のある場所は、十二社権現と紀州の熊野大権現が祀られていた宮跡で、
本堂、大師堂をはじめ権現堂、鐘楼などが建ちならび、静閑な里寺の雰囲気を漂わせている。
本堂の地下室には、全国の信者から奉納された阿弥陀尊が約8,000祀られている。
八坂寺の見どころ
閻魔堂(えんまどう)
本堂と大師堂の間。「極楽の途」「地獄の途」があり、
極楽には美しい浄土が、地獄には餓鬼道、畜生道、修羅道などが描かれている。
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第48番札所 清滝山 安養院 西林寺
西林寺の歴史・由来
寺の前に小川があり、きれいな水が流れている。
門前にはまた正岡子規の句碑があり、「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」と刻まれている。
「ていれぎ」は刺し身のツマに使われる水草で、このあたりの清流に自生し、
松山市の天然記念物とされている。
縁起によると、聖武天皇の天平13年、行基菩薩が勅願により伊予に入り、
国司、越智玉純公とともに一宮別当寺として堂宇を建立した。
その地は現在の松山市小野播磨塚あたりの「徳威の里」とされ、
本尊に十一面観音菩薩像を彫造して安置した。
大同2年(807)弘法大師が四国の霊跡を巡礼した際この寺に逗留した。
ここで大師は国司の越智実勝公と協議、寺をいまの地に移して四国霊場と定め、
国家の安泰を祈願する道場とされた。
このころ村は大旱魃で苦しんでおり、弘法大師は村人を救うために錫杖を突き、
近くで清水の水脈を見つけた。
寺の西南300mにある「杖の淵」はその遺跡とされ、水は涸れたことがなく土地を潤し、
昭和60年の「全国の名水百選」にも選ばれている。
時代は江戸・寛永年間(1624〜44)、火災で堂塔を焼失した。
元禄13年(1700)に松平壱岐守はじめ、家老、奉行など諸役人の手により一部を再建、
宝永4年(1707)には中興の祖、覚栄法印が村民の雨乞い祈願を成就して松山藩に帰依され、
本堂と鐘楼堂の再興に尽力、さらに江戸末期に大師堂と仁王門を復興している。
現大師堂は平成20年(2008年)に再建された。
西林寺の見どころ
福授地蔵・孝行竹・寺宝(『四國偏禮繪圖』。
最古の四国遍路絵図として貴重。宝暦13年(1763)の刊行。
また『四国霊場記』(明治24年・1891刊)も貴重資料。)
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第49番札所 西林山 三蔵院 浄土寺
浄土寺の歴史・由来
境内入口に正岡子規の句碑「霜月の空也は骨に生きにける」が立つ。
浄土寺は空也上人の姿がいまに残る寺である。
腰のまがったやせた身に、鹿の皮をまとい、ツエをつき鉦をたたきながら行脚し、
「南無阿弥陀仏」を唱えるひと言ひと言が小さな仏となって口からでる姿が浮かぶ。
道路を補修し、橋を架け、井戸を掘っては民衆を救い、
また広野に棄てられた死体を火葬にし、阿弥陀仏を唱えて供養した遊行僧、念仏聖である。
この空也上人像を本堂の厨子に安置する浄土寺は、
縁起によると天平勝宝年間に女帝・孝謙天皇の勅願寺として、
恵明上人により行基菩薩(668〜749)が彫造した
釈迦如来像を本尊として祀り、開創された。
法相宗の寺院だったという。
のち弘法大師がこの寺を訪ねて、荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗した。
そのころから寺運は栄え、寺域は八丁四方におよび、66坊の末寺をもつほどであった。
空也上人が四国を巡歴し、浄土寺に滞留したのは平安時代中期で、
天徳年間(957〜61)の3年間、村人たちへの教化に努め、布教をして親しまれた。
鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して堂塔を修復した。
だが、応永23年(1416)の兵火で焼失、文明年間(1469〜87)に領主、河野道宣公によって再建された。
本堂と内陣の厨子は当時の建造で、昭和36年に解体修理をされているが、
和様と唐様が折衷した簡素で荘重な建物は、国の重要文化財に指定されている。
浄土寺の見どころ
空也上人像・落書き・三蔵院(浄土宗の開祖・法然上人、1世・聖光上人、
2世・良忠上人の自作像が安置されていた。
この三像は昭和20年の松山空襲で出開帳先の寺で全焼している。)
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