さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は7.5度から10.5度、湿度は74%から61%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の16日のさぬき市は、引き続き高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷の接近で夜は曇る見込みらしい。
119/79/60 36.4c-97% 77.5Kg 1012hPa,24c,74% 昨夜の風呂場の鏡を見て驚いたのと、今朝の体重計の数値を見て驚いたことの二つがある。まさしく、これは重傷もので即入院という状態だと思うのである。
一つは脚のむくみであるが、ドクターの言うような「パソコンのやり過ぎによる血液低下」ではないように思う。確かにそれもあるのだろうが、これは「水浮腫」である。
これは防災訓練用の「救之助」というサンドバッグで、被災者役をさせるものだが、このように脚が丸太ん棒みたいな寸胴(ずんどう)になっている。昨夜、一週間ぶりに足湯でもしようとお風呂にはいってびっくりした。こんな脚では階段は昇れないし、歩くことすらできない状態になっている。
それに体重計のこの数字、見慣れたようで見かけない数字。「あ、70.7Kg」だなと記録しようとして眼が止まった。これも、私にすれば限界的な数字。「一日に2Kg 以上増えたら即入院」という規模を大きく超えている数字である。
どこからどこまでが正常で、どこから数値を誤って記入するようになったのかの点検をはじめた。今月二日の内科の診察日の時からだ。私が、「おなかが張るのに、関係ない大腸の検査なんかしなくても良かったのに・・」と言ったのがドクターにはカチン!と来たらしい。このあたりから、ドクターと私のすれ違いが目立つようになった。
これは、明日、提出する「日々管理表」である。私が、このおなかの張りは水分でしょう」と言うのに、ドクターは、「内臓脂肪です」の一点張りだった。明日は、このおなかの張りは水分で、「浮腫=水ぶくれ」であることを証明しないとあかん。そこが難しい。
明日は、「緊急入院用」のバッグを持っては出るが、おそらく、多分、二時間程度の点滴で追い返されるのに間違いなさそう。だって、18日の水曜日には、香川医大の附属病院に行く予定だからだ。
心臓病の一件は、すっかりと片付いてしまっているのかと安心をしていたのだけれど、やはり、心不全症候群の病は癒えてはいなかったのか。最近は大きな深い深呼吸はできなくなってきているのは知っている。だから、やみくもに「ゼーゼーハーハー」を繰り返すばかりでパワーは復活はしてくれない。この肺の長さが大きく違うと呼吸の度合いも違うと言うもんだ。
兼ねてから予定していた県立病院への予約診察の日、入院バッグを玄関に用意して、奥方と二台の車で出かけようとしたが、ことあることを予感して一台の車で出た。案の定、わたしは即日の入院になった。
病名は、「急性心不全」であった。時期は未定、これが私の最後になるかもしれない入院だった。
今年の冬は暖か過ぎる。
病院二日目、今のところは問題はない。
128/67-77 36.4c-96% 76.8Kg 1014hPa,16c,78% 今日は湿度が高いわりに体調はよく、体重も増えてばかりになった。毎日、同じような生活をしているつもりなのに、何がどう、変化するんだろうか。
110/64-63 36.0c-96% 1018hPa,10c,72% 暖冬ながらも静かに冬の足音が近づいてくる。いよいよ、今日が転院デーで、大搬送作戦の日である。
朝から荷物を片づけたいが、体が言うことを聞かない。でも、本当は私がやらなくても、病院のみんなが手伝ってくれるし、一応の退院者だから、忘れ物なんぞはしてほしくないの一念もあっただろうか。熊野担当看護師が丁寧に処理してくれた。
病院のパジャマ、血圧計なんぞの恰好のまんまでストレッチャーに縛り付けられる。目的の「香川大学医学部付属病院までは20キロ、20分の距離を、高速高松自動車道、「大内-白鳥ICから高速三木ICまでの走行になる。
車も暴走や急送はやらない。安全運転ばかりになる。私にはそれがまどろこしい。
病院の裏側の「救急救命センターICU」に滑り込んで、物体の確認作業が行われる。
バーコードの読み合わせで確認OKとなれば処理室「ICU」に搬入され、ただちに処置されていく。
処置していくのは若いドクターとそれを見守る教授である。
129/59-59 36.6c-91% 76.3Kg 1031hPa,4c,55% 今朝は冷え込んだせいか血圧がやや高めで頭が重い感じ。体重は大きな変化はないが、尿も便も少ないのが気にかかる。個々の病室というかベッドには遠慮会釈なく、04、19、013,014,19などの普通の病院には見慣れない番号の部屋がある。さすが大学付属の病院だと思った。
病院だから、点滴、採決、洗体、着替え、レントゲン検査、エコー検査などがある。血圧測定や脈拍、体重、酸素濃度、ページングなんぞは自動測定になっている。それに三食の食事があるが、私は欠食ちうことで食事はないが、薬の服用だけが日課になっているのが悔しい。
とにかく、右にも左にも向けず、尿は尿管、便は紙おむつ。寝たきりで体力を向上させることが目標みたい。(院内の撮影はきんしのため)
129/59-59 36.6c-91% 76.3Kg 1031hPa,4c,55% 今朝は冷え込んだせいか血圧がやや高めで頭が重い感じ。体重は大きな変化はないが、尿も便も少ないのが気にかかる。気にかかっても、病院にいるのだからドクターや看護師に任せておくほかない。
さて、巷では年末だし、お正月なのだが、まわりはそういう雰囲気にはない。ごく、当たり前の日々と時間が流れるばかり。私は013号ベッドで寝たきりのまんま。周りに展開される風景は映画のようで魔訶不可思議の世界。
129/59-59 36.6c-91% 76.3Kg 1031hPa,4c,55% まったく同じ姿勢でいるのも辛いものがある。尿はばるーん・・・という管で排泄するから、こちらが便利だが、うんちのほうは紙おむつだから思い切り「遠慮」がある。おむつ代、尿とれパッドやお掃除用の用品も必要。これらは患者側が負担する。
おせち料理のできた奥方がやってきたが、私は「ここにはおばけが出てなぁ・・・」などと、いつものおばか話。奥方の目から涙が光る。
117/74-61 36.5c-97% 76.2Kg 1028hPa,8c,62% 静かな、穏やかな朝になったらしい。ここからではわからない。体調は変わりない。
今日は、我が家恒例の「正月礼」つまりは、「新年会」の日である。その「流れ」の一行がお見舞いに来てくれた。奥方の発令で、弟のたけし、娘婿のとおる、親戚のいとこにあたるトミ子、みさこの5名であった。ここでいうところの、「シェアー120分」みたいなものだ。
今年のお参りは12人だか16人と不確か。新しい「木村一族」も参加したという。さて、そういう華やかな場所に居られなかった私は不機嫌。「昔は、おみまいというと、バナナや缶詰詰め合わせとかジュースとかあったけど、みんなは何で手ぶらなんぞい」などといって、失笑を誘ったり、顰蹙をかったり・・・。またまた、奥方の涙が流れる。
元気さをアッピールしようとして、「おばかさん係数」ばかりを増やしてしまう。「もう、木村家本家も滅亡やな・・・」と、織田信長さんの若いころみたい・・・。
120/64-58 35.9c-98% 76.2Kg 1026hPa,6c,54% 今日も穏やかで静かなお正月になったらしい。今日も体調に変化はない。もう、19日目になるが、苦しさばかりの毎日だ。にょうが 出ない、便が出ない、それだからおなかが張って苦しいばかり。
血圧120/70 脈拍62 体温36.1c 酸素93% 体重70.4Kg 気圧1026ヘクトパスカル 室温10度c 湿度60% 今朝も暖かい朝になった。体調に異常も違和感もない。ただ、おなかが張るばかりだ。
なぜだか、打って変わって、今日は笑顔連発、弁舌さわやか。尾木ママ似の看護師さんが、「どしたんならぁ、きむらさん」というほど。早速に、退院後の居住スペースやら電子機材の検討と紙だらけ、しわだらけ・・・。
退院後も歩き回ったりはできないという。そこで、今の私の部屋(二階洋室10畳)から、一階の元母の部屋(さっちゃんち)と、リビング中央にある畳敷き6畳の「麻屋敷」の三ケ所があるが、そこに電子機器を接続すると評価はどうなるのという計算。二階は無理。リビングは宴会の邪魔。さっちゃんちは狭くけいこばぁが寝られないと、欠点ぼろぼろ・・・。うん、ギャグが出て来ぬ
今日からリハビリが始まった。ベッドから降りる、自立する、足踏みするの繰り返し。こんな些細なことでもできぬのだ。おもゆも、おかゆも、牛乳も出たが、いきなりでは無理みたいで、即座に中止になった。
119/70-68 36.4c-97% 66.8Kg 1016hPa,16c,52% なんか身体がだるい・・と思ったら、外は雨だった。ダイエット効果で、いきなり4Kgもの減量になった。だからと言って環境が変わるわけでもない。
年の最初の日曜日だから・・・と待ってはいたが、とどのつまり、誰もお見舞いには来なかった。早くも、この話題は終わってしまったようだ。ま、私がおばかさんになったとか、じいじの「ボケ話」を聞いても面白くもないし、腹の足しにもならぬということなのかも。
今日から、重湯や牛乳、スープ、みそ汁なんぞの流動食になった。これを、久しぶりだと完食したが、逆に腹が張って、呼吸困難になった。「ああ、ややこしや、ややこしや」。(当分、画像と本文は無関係)
奥方が着替えなんぞを持ってきたが、リハリビリで足踏みをしたり、自立していて驚いた。
116/62-64 36.3c-97% 64.2Kg 1023hPa,8c,56% 今日も体調は落ち着いている。1/4までは70Kg台だったが1/5には66.8になり、1/6には64.2となり、この辺りが区切りとなったみたい。
昨日は愛想の良かった「尾木ママ風」看護師が、今日は冷めたくなった。「自分のことは自分でやってよね」と言葉も冷たい。そうは言いつつ、昼当番の看護師らと、身体拭きや着替えを手伝ってもらった。
さて、10時前になると「リハビリ」の時間になった。ベッドから恐る恐る降りて自立運動。足踏みなんぞをやっている間に、800万円のベッドが引き抜かれ、新しく、80万円のベッドが音もなく差し込まれ、「はい、座ってください・で、横になって・・・」と座ると、ベッドはお隣の「CCU:心臓血管センター」に向かって進みだした。それは、救命救急センター(ICU)からの卒業だった。
CCUの特別室に移ったので、担当の看護師さんと話していると・・・。「あら、お久しぶり・・・」と現れた長身の看護師さん。「お久しぶりです」と答えながらもマスク姿の向こうを見ても見当がつかない。ただ、私に気さくに話しかけてくる人はたった一人しかいない。そう!昨年の担当看護師だった「ビーバー・みずほ」看護師である。この人こそが、「復活の女神」、「反撃」の女神なのである。
彼女は、扉一枚隔てた向こう側の一般病棟にいる。彼女にお世話になるためには、この「CCU」をさらに卒業しないといけない。「じゃ、待ってるから・・・」と、みずほ女神は消えた。(画像は参考です)これは昼間のことで、深夜の「おばけ」ではない。私は再会を約束した。「きっと、行くから・・」と。
116/62-64 36.3c-97% 63.8Kg 1023hPa,8c,56% 今日も体調は落ち着いている。それしに、体重の降下が激しい。
そういう情報は、背後のこのディスプレイが詳しい。が、あまり気にするのもよくないのか。
さて、「反撃の女神」の話しをしよう。また、きむらのおっさんが、ボケ話をしよるがなぁと思うだろうが、昨日までは、これほどもあった点滴機二基やシリンダー四基が、さきほどに、整理されて点滴機一基にシリンダー一基になった。これで移動が楽になる。
こちらが反撃の女神の通った跡・・・。むろん、「ビーバーみずほ」は担当外のために、これに触れることはできない。
また、今までは、「室内から出ること不可!」だったのに、唐突に、「今日は一階のレントゲン室まで車いすでいきます」との緊急発令。「じぇじぇじぇ~」「どうかしましたか」「今日は休日で全館お休みのハズですが・・・」「患者さんが心配なさることではありません」とのことで、無人の本館一階を悠々と車いすは進む。で、レントゲン室前につくとドアが開いて撮影終了。
つい最近には流動食の食事も始まったし、ものごとが急速に回りだしたようなきがする。むろん、私も、びーばー・みずほも何もできないし何もしていない。でも、復活の女神であり、反撃の女神なような気がする。真宗の坊さんの言うことではないのだろうけれど。
117/63-63 36.4c-92% 58.35Kg 1020hPa,8c,56% 昨夜も寝不足のためか身体が重い。「毎日が 寝不足なんです ぼくの部屋」、でも体重はとうとう、60Kgを切った。
今日は水曜日だというのに、娘が野菜ジュースの差し入れに来た。こうした生活では「カリウム」が不足するので、その補充用だという。多くはだめだがサプリメント程度に飲んでいる。
そうそう、孫のはやて君が今年には成人式だという。20年はあっという間だな。海の家で楽しく暮らした日々が、今はもう懐かしい
ともかくも、今は「生還した」という思いが強い。おなかの張りもなく、おちんちんの水ぶくれも解消し、体重も60Kgを切った。足のむくみがまだまだ残るが、これも時間の問題。少しずつ、リハビリにつとめたいものだ。
117/69-61 36.1c-96% 61.4Kg 1015hPa,12,58% 。昨年の入院の時もトイレに行っても何も出ず。呼吸困難になって睡眠不足になってトイレを徘徊したと、先のブログには書いてある。それでも退院しているのだが、私のおなかには何が生きているというのだえ・・・。
今日は、成人式のために帰郷しとる孫兵衛の「はやて君」を連れて奥方が来た。ちなみに、私たち夫婦は、「きむら・じぃじ」に「けいこ・おば」と呼ばれている。もちろん、晋三クンやトランプ君は、そうは呼ばないのだけれど。
孫のはやてクンは相変わらず手厳しく、入院後のブログは文字化けしたり、誤字脱字や変換がおかしいという。そんなバナナ・・・と読み返してみたが、確かに確かに環境の悪さで文字や文章になっていない箇所が幾つかあった。夜中の薄明かりで書いたり、PCを斜めにして書いたものがあったりする。
午後からは、民生(民青ではない)の寺田宮司もやってきて、若い看護師をいろべだした。注:いろべる=からかう・邪険にする. 使用例=「あの子すぐ怒るけん、あんまり いろべんときよ(いろべられんじょ)」(阿波弁)
107/53-79 36.3c-97% 63.15Kg 1023hPa,8c,56% 今日も体調は落ち着いている。尿は3000cc、 便は二回で柔らかタイプ、ガスも出る。今も体中の水分を抜く作業と、今度は全体的に弱っている内臓からおもゆなんぞの流動食から栄養を摂る訓練をやっている。だから、体重は若干、増えているが危険なほどではない。
県立病院に入院してから30日になった。お仕事をしている人ならば心配する時期だろうが、完全休業で気楽なものだ。今はブログの復旧作業をやっている。とにかく普通の状態に戻さねば、心配するお方が多すぎる。病気なんだから休ませてよ~・・・というのに、「どうした」、「どうした」と心配はありがたいのか、そうでないのか。
今日もまた、「ビーバーみずほ」がやってきた。減った点滴台を見せながら、頑張っているところをアピール!!「待ってるよ~」に、「きっと、行くから・・・」の決意表明。病院でお誘いもおかしなものだが、反撃の女神、復活の女神は頼もしい。それは夢であり、未来であるように思った。
116/62-64 36.3c-97% 63.8Kg 1023hPa,8c,56% 今日も体調は落ち着いている。それしに、体重の上下が激しい。
今月の家計簿はこんなもの。奥方のウドン代金やらお弁当やらと、紙おむつなどの医療消耗品が大きい。ついでガソリン代とか車の修理費、交際費なんぞ、月半ばのありさま。紙おむつも一日に数枚だから馬鹿にはならん。
ここが私の収容されているフロアである。年末の四日間は013号床で一階のICUだった。今年からは三階のICUに四日間いた。この38号室であった。で、その後、37号のCCUに移ったことはご紹介した。反撃の女神がいるのは、すぐ横にある「南3」のスタッフ・ステーション。一般病棟は、その上にあるうぐいす色の部分である。女神はすぐ近くにいるのがわかっただろうか。これは、自分の意志ではないのも理解できるはず。運や縁はどこにあるかわからない。
これが、そのとびらで、ナース・コントロールされている。
これが、その南3の一般病棟看護師である。この中に、「反撃の女神」も映っている。(病院のHPを模写)
117/69-61 36.1c-96% 63.1Kg 1015hPa,12,58% 。静かな日曜日になって、見舞客はなし。啓子おば(奥方)が、シエア4ポイントで3時間コース(お手伝い賃)。
病状のほうは変化がない。水分が徐々に下に降りて、おなかやおちんちんの水ぶくれは引いてきた。足のほうも、ふくらはぎあたりを下降中。食欲はなく、流動食をおいしいとも思わずに飲んでいる。
126/74-63 36.3c-98% 63.15Kg 1018hPa,5c,60% 今年は霜が降りて冷たい朝がない。また、体調に変化もない。
これで血圧管理や財産管理、小遣い長からエンディングノートや確定申告まで楽しめる。今日も誰も顔を見せなかった。奥方ばかりが洗濯物を届けてくれる。
107/53-79 36.3c-97% 64Kg 1023hPa,8c,56% 今日も体調は落ち着いている。尿は3000ccから4000cc、 便は三回で柔らかタイプ、ガスも出る。今も体中の水分を抜く作業と、今度は全体的に弱っている内臓からおもゆなんぞの流動食から栄養を摂る訓練をやっている。だから、体重は若干、増えているが危険なほどではない。
今日は平日ということで、身体洗いや着替えがあった。なんだか、シャキ!として気持ちの良いこと。午後からはリハビリで、歩行訓練をやっている。動物は生きていくうえで、歩くことが必要な条件だという。
本日の体重は64Kg、腹囲、おなか周りは103Cmと95Cm。目下の注目点である。これらが微妙に変化する。あと、おなかの張り具合とか、足のむくみ度なんか。あとはそんなに変化はない。
懸案の「エンディング・ノート」の素案は出来た。プリンターがないので確認は後日。念願のブログもほぼ追いついて更新できた。昨年の補充分はおいおいと・・・。
今日も、歩いてトイレに行けるようにリハビリをきちんとやりたいものだ。
86/65/60 36.9c-99% 63.8Kgと、体調に変化はない。しかしのかかし、「反撃の女神」の反撃は激しい・・・。
左手の点滴がハズれた。これで両手は自由になった。
足のむくみも最終段階。左足はしわが出てきて楽になってきた。
それに朝ごはんが三分がゆになり、野菜なんぞが見える形で調理されている。で、ボリュームも増えてきた。
復活計画もちらほらと聞かれ、ここを出る日が目前だという。もしもし、少し早いんではあるまいか。ここは無料の個室で静かそのもの。まだ、ポータブルトイレから離れられない私。まだまだ、反撃には早すぎる・・・。
この、おしっこ貯留装置も、近く外されるというお話も。これが外されたら30分ごとにトイレ地獄に走らねばならないか、専用のボトルも必要になる。確かに、一刻も早く、CCUを出て一般病棟に出たい思いと、まだまだ、不十分、後ろから重病人がやってくるまで、もう、一週間、二週間の余裕は欲しいところもある。でも、復活の女神も頑張っている。
104/64/7536.4c-100% 63.85Kg 1023hPa,8c,76% 毎晩のように、9(21)時に寝ても、目が覚めるのは11時(23時前後)過ぎ。それから、眠たい中、ブログを1本、書き上げる。その後、0時過ぎに寝て3時ごろに起きるらしい。そんで、眠たいわけだ。
さて、朝食を見て驚いた。昨日は三分がゆだったのに、今朝はもう「七分がゆ」。明日にはしっかりとしたご飯になりそうな予感・・・
これは昨日のものだが、これでも身に入ればお役にたつはず。
これがお昼の七分がゆ。おかずもボリュームがある。
さて、この頸動脈から点滴で原栄養を送っていたわけだが、ご飯が食べられて支障がないということで、このエネルギー源を取り外すことになった。作業はお寺の方かと思ったが、そうでもなかったドクターと、ここの敏腕看護師さんで、これを引き抜いた。
夕方までは、こうした絆創膏で保護しておくらしい。でも、これでやっかいものが外れたので動きやすくなった。動きやすくはなったが、自動的に、ここを明け渡す切符にもなったわけだ。まさに、反撃の女神の威力はすごい。その女神さんが、すぐ横に立っている。「もう、いつでもOKね」とは言うけれど、女神さんにトイレなんぞのお世話にはなりたくないので、ここが思案のしどころ。
今は、こういう感じである。さほど痩せてもおらず、青白くもない。
高松市の東部郊外にある三木町地方は気圧の谷の影響で曇っている。気温は3度から9度、湿度は82%から66%。風は1mから2mの東の風が少しばかり。今日の17日の香川県は、日本の南を進む低気圧や前線の影響で曇り、昼過ぎには雨となる見込みらしい。
103/65/80 36.3c-100% 64.5Kg 1008hPa,12c,66% 体調は安定している。脈拍の80は、ペースメーカーの設定値。
さて、今回の入院騒動も、はや、一か月が過ぎた。最初の県立病院が12日、ここ、香川大学医学部付属病院の1F-ICU(救急救命センター)で4日間、3FのICU(集中治療室)で4日間、今の3F-CCU(心臓血管センタ)で12日間になる。合計、32日間である。
前半は、苦悶・苦闘・混乱・狂乱の時期。奥方までもが私のおばかさん度が進んで「死」を予想した時期。個人の死を考える時期だった。私も夢と現実が交錯する不思議な世界を体験した。
そこへ現れたのが「反撃の女神」こと、「ビーバーみずほ」という看護師さん。昨年の私の「担当看護師」で、呪術や魔術を使うわけでも、政治力を発揮するでもない。ただ、そばでニコニコとしているだけなんだが、事態が一気に変化する。事実、彼女が何をしたわけでも、誰かに依頼したわけでもない。
そして、生きるか死ぬかという場面の私を、今日の14時には一般病棟に転室させようとしている。もちろん、ドクターのおかげであることは間違いない。さまざまなドクターやICUの看護師さんの応援と支援のおかげであることはわかっている。要はタイミングなんだろうというか、偶然性なんだろうが、そこには必然性もあるように思うのは、おばかさん度が進行しとるせいかも知れぬ。
実は、この症状、10年前からあった。「おなかが張る」「おなかが重い」「座って食事ができない」「食欲がない」「体重ばかりが増えて困る」「おしっこが出ない」「トイレでも尿が出ない」・・・でも、どこのドクターも解決しようとはしなかった。大腸に異常はないとか、泌尿器では問題を前立腺肥大で処理してしまった。内科のDrは「内臓脂肪です」と相手にもしなかった。それを今、解決しようとしている人たちがいる。
今回の件の結論も仮説もその後のことも、まだ、説明はない。今後のことも聞かされていない。でも、私は生還しようとしている。一般的には「おめでたい」ことである一般病棟への転室。数字的にも問題はない。ということで、私の個人的総括を述べてみただけのこと。