北九州八幡から発信
八幡、やはた、やわた、はちまん
龍尾(たつのお)橋と笹尾橋
八幡東区から八幡西区へ、皿倉山山麓伝いの道路を、
「山手線道路」と言います。(北九州高速のすぐ下です。)
白秋の『八幡小唄』にあるように、昭和の初め八幡の町が、
山へ山へと拓けていった頃、交通の利便性向上などで、
昭和5年に着手され、昭和11年完成しています。
市政だより 「八幡東区版・東区往来」 に載っていました。
その中に、『龍尾(たつのお)橋』のことも載っていて、
そう言えば、名前は知らないが、そんな橋が、・・・
で、見に行って来ました。
この辺りは、結構知ってる場所で、すぐに分りました。
平野川の上流、花尾町です。
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橋柱・欄干が見え、ここが橋であることは分りますが、
表面は道路と同じ舗装で、
区切りも無く注意してないと見落とします。
親柱に橋の名が、達筆に書かれていました。
読めましたか?
「たつの越はし」と刻まれています。
当時の八幡市長・図師兼弐氏の命名で、
【越】は、【お】と読めるそうで、(読ませたのか?)
「たつのおはし」です。
地図では何故か【越】は【尾】の字が当てられて、
「龍尾橋」花尾の【尾】に関係しているようですが、
実際の処は良く分りません。
市政だよりでも、『龍尾(たつのお)橋』とあるので、
これが正式な名前なんだろう。(↓ ゼン〇〇の住宅地図です)
見事なアーチ橋で、主体部は鉱滓煉瓦(こうさいれんが)積み、
表面仕上げは、橋の基礎部分には花崗岩切石積み、
欄干は、河内貯水池堰堤(えんてい)の欄干と同じく、
細く割った切石を用いています。
(市政だより・東区往来より抜粋)
鉱滓煉瓦とは?
(八幡)製鐵所から出た鉱滓を使っているのだろう。
完成は昭和6年、満80歳の貫禄です。
細く割った切石を用いた欄干
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この「山手線道路」を、帆柱ケーブルの下まで歩きました。
昔の道ですから狭いです。車がやっと離合できる広さです。
それでもバスは、1時間に1本は走っています。42番系統です。
知る人ぞ知る!
西鉄『西台良バス停』より、更に10数m行くと・・・、
親柱や欄干・橋柱は、無くなってありませんが、
ここにも見事な「アーチ式の石橋」が、
ガードレールのところです。(普通は気が付かないだろうな!)
ご覧下さい!
「龍尾橋」より一回り小さいが、見事なアーチ式石橋です。
名前を示すような物はなく、(見つからなかったが、)
「笹尾橋」と言うそうです。
平野川の支流に架かっていました。
(龍尾橋と同じ時期の建設、兄弟橋?)
↑「笹尾橋」のすぐ下を流れる川は、狭くて急勾配です。
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今回、アーチ式石橋を、二つ紹介しましたが、
石橋がそんなに、いいかって?
はい、そこの住民の生活と密着した、このような小さな石橋は、
鉄骨(形鋼)とセメントで造った素っ気ない橋に比べれば、
人の温もりと言うか、古いだけに、その当時の建設状況、
完成時の喜び・・・、そこを渡った人々の喜怒哀楽と言うか、
そんな光景が、眼を閉じれば浮かんできます。
(特にアーチ式は、その曲線美がいいです。)
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この日は、残暑が厳しかった9月の或る日、
祇園町から歩いたが、とにかく暑かったです。
この辺りを見ても八幡の町は、
「はがねつむように 家がたつ」
生活の便利さから言えば難点だが、眺めは抜群です。
後ろを見たら更に家が、そして皿倉山が目の前でした。
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