北九州八幡から発信
八幡、やはた、やわた、はちまん
鹿児島ウォーキング-2

ウォーキング・ゴールの「石橋記念公園」です。
私は完全に勘違いをしていました。
石橋記念公園とは、
久留米の石橋文化センターみたいな所?
それなら、サッサと帰ろっと!

。o○o。.*:._.:*.○o。.*:._.:*.o○o。.*:._.:*.o○o
ゴールの受付を終えて、前を見たら、
鎧兜姿の武将が立っていました。
その後は「橋」です。
これが又、立派な大きな石橋でした。

これには、もうビックリ!
大きな四連アーチ式の石橋です。
バックの桜島と絵になる風景です。

この日は「薩摩文化の祭典」をやっていましたから、
和服姿の女性(男性も)を、多く見かけました。
石橋に和服姿は、これも絵になります。
甲突川に架かっていたのを移設した「西田橋」です。
(橋長/49.5m 橋幅/6.2m 架設年/1846年)

西田橋を渡ると立派な門が。 「西田橋御門」です。
薩摩城下の玄関口にあった西田橋の性格を表してるそうです。
(ここで、城下に入る者のチェック? 検問所?)

。o○o。.*:._.:*.○o。.*:._.:*.o○o。.*:._.:*.o○o
園内は広いです。
本物の川?の普通の橋?を渡ると、

2つの保存石橋が。 まずは「高麗橋」です。
(橋長/54.9m 橋幅/5.4m 架設年/1847年)


「玉江橋」です。 本物の川(稲荷川)に架かっていました。
(橋長/50.7m 橋幅/4.0m 架設年/1849年)


「岩永三五郎像」
岩永三五郎は肥後の石工(いしく)で、江戸時代末期に、
薩摩藩第8代藩主島津重豪に招かれ、約10年間滞在し、
甲突川の五石橋、等の多くの石橋を架けました。
岩永三五郎は、橋だけではなく、
橋を含めた土木事業全体の技術者として活躍し、
甲突川の改修工事、新田開発、道路、用水路の建設など、
素晴らしい業績を残しています。

『肥後の石工』(1965年 今西祐行著 ) という本があります。
児童文学ですが、三五郎を描いた名著として長く読まれています。
(私も図書館で読みました。)


∞ -*- ∞ -*- ∞ -*- ∞ -*- ∞ -*- ∞ -*- ∞
「薩摩文化の祭典」ですから、↑記念館前の広場では、
郷土芸能やお琴演奏、等やっていました。
記念館では、五石橋の歴史や架橋技術の説明パネル、
ミニ・アーチ(橋)作りの体験も出来ました。
館内は撮影禁止ではなかったが、写真は1枚もない、
それだけ熱中?したのかなあ!
甲突川五石橋(こうつきがわごせっきょう)は、
甲突川に架けられた5つのアーチ式石橋のことで、
約150年間、皆に愛され現役として利用されていました。
平成5年(1993年)8月の豪雨により、
新上橋、武之橋が流出し、3つの橋が残りましたが、
色々と今後のことを考え、議論した結果、
移設・保存することになったそうです。
それが、ここに移された西田橋、高麗橋、玉江橋です。
ウォーキングで、橋長50m前後の大きなアーチ式の石橋が、
3つも見られたとは、ラッキーでした。
∞ -*- ∞ -*- ∞ -*- ∞ -*- ∞ -*- ∞ -*- ∞

【おまけ】
帰りの鹿児島中央で「指宿のたまてばこ」に会いました。
ドアが開くとミスト(霧)がシューっと!
玉手箱の蓋を開けると(ドアを開くと)、
中から煙が・・・、の演出?
お客さんが降りて、掃除中にチョット中を拝見。
門司港に来た時は行ってないので、全く初めてです。
いつかは、乗ってみたいなあ!

コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )