台風5号北上の影響で雨が降ったり止んだり、
外での遊びが出来ないので昔 読んだ司馬遼太郎 氏、執筆の
「峠」が上映されていたので観に行きました。
上は上映前に買ったパンフレットの表紙、
倒幕軍を前に長岡の町と戦略を胸に 峠 より
美しい故郷・城下町が戦場化するのを思い見つめる
河井継之助 ( 役所広司氏 )の複雑な思いが顔に出て
効演技の一コマですね 。
下は映画化への経緯 。
司馬 遼太郎 原作「 峠 」の表題
監督・脚本は「雨あがる」「 蜩の記」「明日への遺言」などを
手がけた 黒沢明 監督 門下生の 小泉 堯史 氏 。
撮影は「影武者」「乱」「雨あがる」などを担当した
上田正治 氏 。 全米、ボストン映画批評家賞、
日本アカデミー賞最優秀撮影賞などを受賞 。
CGが駆使されておらず、エキストラなどが動員され、
風景など情緒よくオールロケーションで撮影されました。
音楽は「映像の世紀」の「パリは燃えているか」や
「阿弥陀堂だより」などを担当されたモントリオール映画祭
最優秀芸術貢献賞や日本アカデミー賞優秀音楽賞どを
受賞された 加古 隆 氏 。
撮影の為に「長岡城・野口御門」を建設・設営 。
出演の俳優と人物関係図 。
他にも有名俳優が名を連ねています 。
エンディングに流れている曲は誰が歌っているのだろう?
誰が作詞、作曲したのだろうと思いいつつ、
映像を観、曲を聞いていました。 後でパンフレットを見てみると、
作詞・阿木 燿子 氏 作曲・加古 隆 氏 編曲・吉田 潔 氏
唄・石川 さゆり 氏 でした 。
作詞家の阿木 燿子 氏は今までに違う時代劇のジャンルで
おやと言う思いがありましたが、良い歌・曲でした 。
西本願寺での二条城・大広間を想定した徳川慶喜による大政奉還 。
北方博物館での長岡藩・上段の間を想定した
継之助と十一 代藩主・牧野雪堂 の藩としての方向性 の談義 。
藩主・牧野雪堂より藩士への「藩の意思決定」の伝達の場 。
倒幕派、土佐藩主・岩村精一郎( 吉岡秀隆 )へ 和平の嘆願書提出 。
嘆願書は受けつけてもらえず、開戦となり、
圧倒的な戦力差で生きて帰れぬと思い、別れの思い出に、
妻・おすが(松たか子)を伴い宴会を催す 。
別れの宴会、撮影に使われたと思われる旅籠「桝屋」。
松たか子氏は役所広司氏との年の差はありますが、
年齢差を感じさせない夫婦姿の立ち振る舞い、
言葉少ないのですが好演技でした。 女性の着物姿、衣装も良く、
衣装デザインは黒沢明 氏の娘、黒沢 和子 氏 。
圧倒的な戦力差、倒幕派5万人に対し藩士690人 。
藩士の前で戦略を練る河井継之助 。
倒幕派と長岡藩との戦いの足取り 。
「長岡城・野口御門」での戦い 。
日本に駐留していた武器商人よりガトリング銃を購入。
河井継之助、自ら連射したと言われています 。
その後、倒幕派の銃弾で継之助が負傷、前線離脱、
長岡藩士の死傷者も増え、指揮が落ち、会津へと後退して行く 。
途中、継之助は会津塩沢村の医家・矢沢氏の屋敷を宿舎とし、
自害、荼毘にせよと松蔵(永山絇斗)へ依頼します。
ここが継之助の最後の場所になったと言われています。
後に黒田清隆や山県有朋が河井継之助に会わず岩村精一郎を
出したのが大きな誤算で、互いに多数の死傷者を出してしまい
大きな誤算あったと言われています 。
長岡藩の山本五十六氏は幼少の頃、長岡・戊辰戦争の悲惨を
目の辺りにし、後に日米開戦回避に尽力したものの、
日米戦争は回避できませんでした 。
( 映画のパンフレットは営利目的で無ければ掲載可能の事 )
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