4月13日、酒田市の食事処で我が家の
女将さん姉妹夫婦と懇談昼食 。
その後、妹夫婦の近くに在る庄内藩・大手門と松山伝承館を
義弟の案内で見物 。
酒井忠勝は、徳川四天王の一つ酒井家の酒井忠次の孫、
庄内藩・酒井家初代藩主です。
現存する大手門は、東北に残る最古の城郭建造物の一つ 。
現存する大手門は、東北に残る最古の城郭建造物の一つ 。
大手門と言いわれていますが、三の丸の櫓門(通称、多聞櫓)、
一度は落雷で焼けますが、酒田の本間光丘の援助で、
すぐに再建され 、江戸時代から続く、山形県の重要有形文化財 。
松山伝承館内の「徳川家康・鎧兜」
館内は撮影禁止で、この鎧兜はレプリカで撮影はO K 。
見学後、義弟夫婦の家にて、懇談・夕食と宿泊 。
翌、4月14日、義弟夫婦の家を出発、鶴岡市の加茂水族館を見物 。
色んな魚貝類も展示されていますが、
多種多様のクラゲを目玉とし、色彩と光り方が幻想的です 。
水族館を見物後、大正ロマン漂う銀山温泉(尾花沢市)に
観光・入浴 へとやって来ました 。
朝の連続TV「おしん」の舞台やアニメ「千と千尋の神隠し」の
モデル地にもなったなったとも言われ、
世界にも有名な温泉地になり、世界から宿泊客が訪れます 。
宿泊者がチェックインする前、宿泊街の画像に
人影が写らない時間帯を考え、やって来ました。
銀山温泉はこの地に栄えた野辺沢銀山の鉱夫に発見され、
銀山は康正年間(15世紀)に足利幕府時代開かれ、
江戸時代の寛永期(17世紀前半)には人口20万から
30万を数えるほど栄えましたが、
正保元年(17世紀中期)から銀採掘が衰退していき、
替わって温泉湯治が盛んになりました 。
温泉街を見物後、「古山閣」へ チェックイン 。
今夜の宿泊宿は「古山閣」
現在、銀山温泉で、全てが木造のままなのは古山閣のみだそうです。
欄干(らんかん)が特徴的な2階の窓に、
唐破風(からはふ)屋根の玄関。
木造4階建てというのもすごいですが、
築90年を超えているそうです。
部屋は3階中央の部屋、せっかくだから、玄関から
鏝絵(こてえ)を下に交互に記念撮影 。
正面の壁に、「鏝絵」で、12ヶ月の主行事が飾られ、
左上の入船「宝船」には、宿の繁栄も込められていますね 。
正面玄関の左には、銀山神社の分社が
正面玄関の左には、銀山神社の分社が
祀られています 。
欅のテーブルが置かれた談話室兼ロビー 。
ロビーに飾られている銃 。 上の銃は火縄銃でしょうか?
下の銃は新政府軍、幕府軍も使用したと思われる
「ミニエー銃」でしょうか?
明治時代初期の電話 。
昔ながらの和風らせん階段 。
最上階は貸し切り風呂、1階は大浴場 。 1階浴場で入浴
泉質は、ナトリウム塩化物・硫酸塩温泉(低張性中性高温泉)
入浴後の夕食 。
夕食後、夜の温泉街の見物と写真撮影 。
宿の灯りに照らされた旅籠「古山閣」の鏝絵 。
旅籠「永澤平八」の宿灯り 。
宿の灯りと街灯のガス灯で大正ロマンが漂います 。
早めのチェックインと入浴、食事を済ませ撮影に出かけたので、
多くの宿泊客が画像に入らず良かったです 。
鏝絵とは違う彫金の飾り、
灯りに照らされ昼間とは違う趣きがありますね 。
私達が宿でくつろいでいる頃、宿泊客の散策見物が多くなり
「古山閣」の鏝絵を撮りに賑わう様になって来ました 。
宿でくつろぎ、疲れが出て来たのか睡魔が襲い就眠爆睡 。
明日へとつ・づ・く 。
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