ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

無知なる男のひとつの提案(集団的自衛権)

2014-05-17 | 雑念
集団的自衛権の話

何故に個別的と集団的に分けるんでしょうか?

憲法9条があるのに軍隊を持つ日本の言い訳をするため?

僕は自衛権は必要だと思う。
だから自衛隊は必要だという姿勢です。

そして自衛権は誰も(どの国も)が持つ権利だと思うので、行使して下さい。

アメリカでも日本でも北朝鮮でも。

そして公海で日米軍が航海中の米軍に対する反撃・威嚇・救助などは当然行うべき

但し攻撃側が逃げ帰ったのに報復するような軍事行動においてはその権利は行使しなくて良いと思う。

つまり助けはするけど、
「後日仕返しは手伝わないよ!」

これでいい。

だってもし逆の立場で日本の自衛隊が攻撃されたらアメリカ軍に反撃・威嚇・救助をしてほしい。

だけど逃げ帰る敵に日本は報復をしないからアメリカ軍も報復を武力では行使して欲しくない。

経済制裁や外交上の非難は別にして。

で、阿部さんがやりたいのは?
アメリカ軍と一緒にアジアの抑止力を高めるってことだろうか。

確かに今、中国の傍若無人振りは目に余るものがある。そして日本は中国に完全に舐められている。それは自衛隊の1番弱い部分のギリギリを責めてきている。

その自衛隊の弱い部分を補うための集団的自衛権の憲法解釈変更ということであろう。

今の中国とやり合うのは相当危ない。
でも放っておくのもより危なくなる。
北朝鮮よりも中国が危ない。

しかし中国は日本が集団的自衛権を行使して、中国軍への攻撃するのを誘ってきていると思う。

中国は、日本に攻撃されたという事実が欲しいのだ。すると戦勝国連合である国連から日本占領も容認される可能性があるからだ。

それはロシアのクリミア統合が引き金となった。

国連で拒否権を持つ国は、もうルール無しでどんな事でもできるんだ!と証明されてしまった。

合法的な領土侵略ができるんだと。
(合法的ではないんだけども…)

中国はその布石を打ってきている。
ベトナム船との衝突もその始まりに過ぎない。

アメリカを恐れる中国は東アジアでアメリカと関係の薄い順番に弱い部分からつついてきている。

経済も崩れ始める国内の不安を戦争という手段でガス抜きしていく手法は相変わらずのその場しのぎの政策だと思うのだが…

しかし思惑通り、
ベトナムでは国民が暴徒化し
国内の中国企業を攻撃している。

中国の思う壺だ。

日本は決して、
中国の罠にかからないようにする。

まず国民は冷静に将来を見据えた議論をするべき時だと思う。
価値観の違う人達と多くの対話をする時代なのだと思う。

目と目をみて、
飯でも食いながら思い切り
激論を交わす時期だ。

これから中国をはじめとする東アジアの治安をどのように守っていくのか?

「攻撃して下さいよ~」とお尻ペンペンしている中国を交えてどのように平和を守るのか?

日本はやっぱり経済で太刀打ちするしかないと思う。国内の経済を潤し、「円」という武器で戦うしかないと思う。

その上で、
「報復や制裁を目的とする武力行使は行わない」として、
あくまで自衛権は国の自然権である!と主張すればいい。

解釈がどうの、意味を含むとか、
言葉遊びで時間を使うのはもったいない。




ブログ閲覧数激減しておるのじゃ!へへ

2014-05-17 | 雑念
最近ブログの閲覧数が増えた。

と喜んでいたら、
その反動なのか
本当の面白くなさがわかり始めたのか
閲覧数が激減してきた。

テレビ人達が視聴率を気にするように
自分の評価や成績を気にする。

大きな心で自信を持って、
自らの強い意志を貫き通せ!
と正論は分かるのだが、
簡単にアプリで閲覧数が見えるようになったから
気にしない方が難しい。

で、
文句ばっか言っていると、
ブログをみてくれていた人も
離れてしまうんだと実感した。

かといって
希望溢れる愉快な内容のブログや
アイドルタレントたちのような
「髪切ったよ!」とか
「ペットの可愛さ」
「料理のレシピ」を載せるわけにはいかない。

でも、そもそもこのブログの内容はアドベンチャー教育の実践報告ブログだったんだよね。

ブログの説明をみてもその名残が見える。

でもその実践もだいぶご無沙汰になっているからブログを閉鎖してもいい位なのだが。

でも何やら長い間続けてきた義務感と
辞めた後の喪失感を想像すると
書き連ねていきたくなったりする。

今は自分に「毎日書く」とノルマを設けて試みているのだが、
それが途切れた時にも続けていくモチベーションが続くのかは疑問だ。

なんやかんや
兎にも角にも

その時思ったことを書いていくようにする。それが文句ばっかになっても、ペットがどうのこうのになっても構わない。

閲覧数がゼロでも構わない。
本当の自分が思ったことを言える場所はここである。

そして一貫性も信ぴょう性も気にしない。今日、正しいと思っていたことが、明日、違うと思っても、

それが僕なのだから。
それを認めてあげたい。

ブログを読み返すことはほぼないのだが、僕がお爺ちゃんになったら少しずつ読み返して少し笑えたらいい。

それまでこのgooブログが残っているのか?僕の方がいなくなっているのか?