ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

遊びという名の大切なもの

2017-08-15 | 雑念
何のために遊ぶのか

"気"を蓄えるためである。

若いとき、学生の時は簡単に遊ぶことができる。だから"気"を蓄えているという事に気付かない。

元々蓄えずとも"気"に満ち溢れているのだ。

年齢を重ね、知識と経験を蓄えれば蓄えるほど「気力」は、悲しいかな衰えてくる。

だからこそ「遊び」が必要になる。

「仕事が忙しくて遊べない」は人生で最も悲しい状態と言える。

優秀な経営者は言わずもがな遊びを巧みに利用する。

遊びが人を豊かにする。
遊びが人を育てる。

僕たちは学生時代、「勉強や身体トレーニングの方法」ばかりを学び続ける。しかもテストで評価され、競争させられる。

「遊びの方法」は一切学ばない。
逆にゲームや漫画などの遊びは、その時代「悪」とされ、「勉強ができること」に価値観を植え付ける。

今大人になって「遊び」を冷静に考えると、自分自身の趣味嗜好がよくわかる良いバロメーターである。

誰から強制されることのない自由であるが故の本来の自分自身。

なぜ20歳くらいに「本当の自分探し」をしたくなるのかがよくわかる。

それまでの学生時代が如何に本当の自分で生きられないような時を過ごしてきたのか。

そして結果的に自分に自信のない、いつも誰かに見張られているような感覚の大人が多く排出される。

世の中が新しいもの、異質なものに過剰反応するのも、大多数がそんな生き方ができないから民主主義的にぶっ潰していくのだ。

マイノリティは淘汰されていく。
それが当たり前だと学んでしまっている。

心に遊びもない。
ハンドルにも遊びが必要だと習ったのに
人間自身に遊びがなけりゃ世話がない。

さ、遊びに行こう!

近々甲子園に行こうと思う。
誰か行かんかな?

ギリギリであること

2017-08-15 | 雑念
もっと早く準備すればいいのに

なぜこんなにギリギリまで何も行動しないのだろう?僕の悪い癖なのだ。

これでいいのだ

とバカボンのパパのようなセリフで言い聞かせてみる。

これでいいのだ!
これでいいのだ!
これでいいのだ!

さすがパパ

この言葉だけで少し軽くなる。

しかし自分だけの問題ならばこれでいいのだ!
他人に迷惑をかけてしまうときにはちょっと躊躇

しかもそれが天候に左右されたりなんかすると
天気のせいにしてみたりして
原因を自分以外に責任転嫁したり

しかしなるようにしかならない!

なるようにしか

あたりまえ体操のように
あたりまえなこと

あー、ギリギリだぁー