ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

出陣前

2018-12-21 | 雑念
当たり前のように円からVND(ベトナムドン)に換金

冬の格好で飛行機に乗って、一枚ずつ脱ぎ捨てていった。

どうやら久し振りに晴れたらしく、夏日だ。
日本でいう晴れ間。

暑い。

バイク多い。

ベトナム帰ってきたな、って感じ。

いわゆる出陣前。
どーなることやらを考えても何も始まらないので、ベトナムの料理を食べながら少しずつ体を慣らしていく。

ほぼスポーツ選手と同じ調整なのだ。

ワクワクしている自分がいる。


僕の変化と成長

2018-12-20 | 雑念
ベトナムへの思い

2017年の夏から数えて9ターム目。
ベトナムの雰囲気に飲まれる事は無くなった。

しかし毎回違うドラマが起こる事へのワクワク感は毎回同じ。いや更に増えている。

緊張感もキチンと必要な程度訪れて、ダレる事もない。

そう思えるようになったのは、やはりライブ感を大切にする事を体験から学んだからだと思う。

僕のファシリテーターとしての実力はさておき、参加者の今必要な事をその場で見立てて、今やる事をクリエイトしていく事がとても有効である。

日本で出会う指導者達と話す上で、「この人は事前にねらいを確認して、自分のやるべきものを提供するスタイル」なんだろうなぁと1分ファシリテーター談義をすれば分かる。

ひょっとしたら僕も10年前はそこを目指していたのかもしれない。

ある意味、それしか道がないような世界しか見てなかった。

何の縁なのかベトナムの仕事は出会うファシリテーター達の考え方は未知の世界の人達だし、その中で自分を大切にしなければ食い殺されるような修羅場を楽しんで潜り抜けた。

僕は恐らくその点で開眼した。

悟りを開いたわけではないが、小さな敷地内でもがいていた自分に気づくほどの自分の変化に驚いた。

当然今も自分の未熟さを痛感する事もあるのだが、長嶋が絶好調の時にバッターボックスでピッチャーの投げるボールが止まって見えたという逸話が信じられるほどに、昔の自分の世界のチャチさを実感する事もある。

周りの大人達の本当に言いたい事が手に取るようにわかるようになってきた。

無意味なエゴやプライドなどの不毛な発言さえ色付きで見えるようになってきた。

そして自分の事を話しまくったり、全く話さないことで自己防衛していた自分にも気づいた。

本当にフラットな自分自身のアクセルの踏み方を覚えてきたのだ。

これは僕にとっての開眼である。

今回のベトナムではどんな事が起こるのか楽しみで仕方がない。やりがいのある仕事であることにも変わりがない。

一緒に仕事するメンバーもファンキーでモンキーな奴らが集まっている。

一体僕はどうなってしまうのだろう?

今年日本最後の夜

2018-12-19 | 雑念
ベトナムに飛び立つ前日

未来の仕事の顔合わせ。
来年仕事が舞い込んだら一緒にやりましょう。

その顔合わせ。
担当者の方と大阪で飲み。
僕にとっては今年最後の日本のイベント。

2018年最後。

みんなでワイワイ楽しんだ。
真面目なファシリテーター談義もあり、
冗談もあり

そしてJRや阪急で各々の方角へ帰宅していく。

楽しかったなぁ。
来年の日本でのお仕事が増えたら良いなぁ。
そして新しい仕事のフィールド。

刺激になる。

そんな素敵な夜。
自宅付近まで深夜だどりついて、
車であと少し。

飲みとはいえ、僕はお酒は飲まないのでシラフなんだけど嫌な予感。

後ろからパッシング。
警察官に停められた。

やっちまった。

明日ベトナムに行くのに。

スピード違反

諦めた。

質問にもブスっとした表情で、
心の中では公務執行妨害というよりも
暴行事件クラスの目に遭わしていた。

丁度PS4でもポリスメンは簡単に血まみれになるゲームをやっていたので、想像は容易い。

がっつり次の書き換えのゴールド免許と日本の12,000円の罰金を容赦なく奪う公務員。

お前ら人を幸せにする仕事じゃねぇ!
上から言われた事を淡々とこなす仕事をしながら人に憎まれるネズミ捕りの仕事だ!

僕はそう思わないと気分良く飛行機に乗れない。

12/26までに郵便局から振り込んで下さいとか言われて紙を渡された。

俺には出発日しか残されていないのにだ。

ふざけんなっ

全部心の中で吐き捨てた。

そして平静を保つために、こう考えた。

土産話を12,000円で買って行くのだと。

高すぎる。

関税はとられないだろう。

機内持ち込みでベトナムへ。

行ってきます。

僕の講習会との向き合い方

2018-12-18 | 雑念
何もしていないように見える

それがファシリテーションのひとつの手法と説明してもいいかもしれない。

僕は指導者が声を出して、インストラクションしている時は参加者の考える時間を奪っていると考えるようにしている。

しかし勘違いして欲しくないのは、インストラクションしないということではない。

ダラダラ長くしないようにしたいということだ。

簡潔に、分かりやすく、安全面にも配慮して、なによりゴールへのモチベをあげるインストラクションをシンプルに

参加者のクリエィティビティや考える時間をリスペクトしていたい。

そして改めてそれを感じたのは、逆にそのスキルを求めている人への講習会の指導をした時。

何もしないように見えるわけだから、スキルを得たい指導者としては物足りない。

その需要と供給のアンバランス

参加者はスキルを得たいと思っているのだから、指導者はそれを提供することの方が大切とする考え方もある。

それがニーズだということも重々承知である。

しかし、だからと言ってお笑い芸人の師匠が弟子に「お笑いとはこうこうこうで、笑いが生まれるからここでこうした方がいい」とスキルを教えるだろうか?

たしかにNSC(吉本総合芸能学院)では、そういうことを教えてくれるのかもしれない。

しかし結局、本物のお笑い芸人がどの様に考えていったかを想像するに「如何にお客さんを笑わせるのか?」「自分たちの能力をどの様に使って笑わせていくのか?」と自分たちで自分たちの笑いを

考えた

はずである。
その考えるきっかけの場を作るのが師匠の仕事であると思う。

つまりスキルが知りたいならネットや本で学べばいい。

しかし考えるきっかけや参加者のモチベーションを高めるためには、自分自身が心が震えるほどの感動を体験する必要がある。

そして指導者になったら、参加者の心を動かすにはどうしたらいいのか?を常に考える方が重要だと思うのだ。

正直その方法には答えがない。

だからスキルやネタをいくら紹介しても自分のフィールドに持ち帰ってもうまくいかないのだ。

ニーズに合わせて、指導者養成で自分のスキルを解説するような指導者になるのか?

それとも体験学習の本質を提供して、如何にも何もしていないように見える指導者になるのか?

僕は後者でありたい。

僕に仕事を依頼する人が「スキルを解説してください」と言ってきても一回話をして軌道修正したい。

本当は何を目的にしているのかを聞きたいものである。

それでもネタ披露やスキル解説を求めるのであれば、「他の人に依頼して下さい」と仕事を他人に譲りたい。

受験勉強みたいな講習会には興味がないのである。僕は参加者と哲学や研究をしたいのである。

どうやら僕は学者魂があるのかもしれない。

ちなみにあなたの周りの考える指導者たちは必ず師匠の模倣からはじまり、本質を見つめて独自のスタイルを見つけているはずである。

「講習会なんだから何か教えて下さいよー」と不満気な自分を「答えを求めるだけの考えない人」と認めて、改めたいものである。



「プロのレスラーです」

2018-12-17 | 雑念
仕事何してるんですか?

他人に聞くことがない質問なので、聞かれるとメンドくさくなる。

最近は「プロのレスラーです」と答えるようにしています。

ま、すぐに否定するのでメンドくささは同じだけど緊張を緩和するので多用してます。

そして仕事を終えてスタッフで振り返りをする。

ここは真面目に楽しい時間。
そして本当に感じたこと、思うことなどをガシガシ言う。

遠慮してもしょうがない。

その中で自分の「振り返りの度合い」について指摘してもらって、考えさせてもらいました。

僕の見立てと振り返りの量の整合性は自分としてはまだまだ感覚で体に覚えさせていかないといけないなぁと痛感したのであります。

数だね、数。

僕はやっぱり指導回数だわ。
僕に必要なトレーニングは見学ではなく、指導しながら意識しながら習慣づけをしていく時期だと思った。

その意識することを事前に少し染み込ませておく。

これがベストかなぁ。

少し成長できたかな。