私の胸の中には、後悔の泉がある。
生まれて以来の後悔が、泉の表面に浮かんでいたり、水中に漂っていたり、底に沈んでいたり……。ひょっとしたら、生まれる前からの後悔もあるかもしれない。
後悔は次々に生まれる。際限なく生まれる。ひどいときには、分単位で生まれたりするのだからたまらない。
思い出したくない後悔もある。思い出すだに恥ずかしい後悔。
好きな女学生に手紙を渡したくて、家の周りをうろついたこと。
喧嘩の成り行きで、無抵抗だった同級生を殴ったこと。今なら、「いじめ」と言われかねない。
兄弟たちの苦労に気づかなかったこと。
上司の苦衷に思いが至らず、執拗に逆らったこと。
仕事を言い訳にして、家庭を顧みなかったこと。
飲み過ぎて大ごとを引き起こしてしまったこと。これなど、いまも具体的内容は言えない。
節酒に努めれば、病気をしないですんだかもしれない。
この歳になっても、引きも切らずに後悔しているのだから情けない話だ。
もっと優しい気遣いをすればよかった。もっと早く詫びるべきだった。親身になって、悩みを聞くべきだった。あんなこと、言わなければよかった。
そんな後悔の多くは、泉の中を漂いながら、いつか消えてしまうようだ。時間が私を救ってくれている。
しかし、いつまでも表面に浮かんでいて、ぎらぎらと光っている後悔もある。
底に静かに沈んでいて消えることはないが、滅多なことでは思い出さない後悔もある。
なにしろ、後悔のほとんどは、もう取り返しがつかないのだ。取り返しがつかないから後悔となって残っている。
ひたすら、忘却を願うのみ。
もう初夏に入り、梅雨の雨音も聞こえ始めた。
あれほど激しさと妖艶さを極めた牡丹が、もう散っている。
後悔を閉じこめしまま牡丹散る 鵯 一平
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