ふと思ふ何やかにやらわが秋思 ひよどり 一平
(ふとおもうなにやかにやらわがしゅうし)
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なんやかやと思う季節になったきた。秋思とはよく言ったものだ。
だからと言って、特に思い出すこともなく考えることもない。
「あれが出来なかったなァ」とか、「あいつと会いたかったなァ」といったことが若干。
それだとて、「まァ、いずれは会えるさ」と思うことで凌げるハナシ。
とは言いながら、障害が新型コロナだと思えば、恨みつらみはなくもない。
ふと思ふ何やかにやらわが秋思 ひよどり 一平
(ふとおもうなにやかにやらわがしゅうし)
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なんやかやと思う季節になったきた。秋思とはよく言ったものだ。
だからと言って、特に思い出すこともなく考えることもない。
「あれが出来なかったなァ」とか、「あいつと会いたかったなァ」といったことが若干。
それだとて、「まァ、いずれは会えるさ」と思うことで凌げるハナシ。
とは言いながら、障害が新型コロナだと思えば、恨みつらみはなくもない。
しげしげと見れば小悪魔柘榴の実 ひよどり 一平
(しげしげとみればこあくまざくろのみ)
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西日本のほうで、豪雨による災害が起きている。痛ましいかぎりだ。
が、今のところ、我が家の辺りでは、さほどの雨は降っていない。むしろ薄っすらと日が射した。
少し歩いて、柘榴の実を撮った。なんとも不気味な感じがした。
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新型コロナは凄まじい。
今発動されている緊急事態宣言に、茨城県、栃木県、群馬県などが追加され、延長されるのだとか。もはや収まりがつかないらしい。
公園の鴉ひと声終戦日 ひよどり 一平
(こうえんのからすひとこえしゅうせんび)
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あの日、私は国民学校五年生の夏休み中であった。
あの年の七月、私たちの小さな町も米空軍の焼夷弾爆撃を受け、多くの家が焼失した。たまたま我が家は町の中心部から離れていたので、火勢は数軒先で止まり、焼失を免れた。
母親は家を焼失したばかりの友人(時計屋さんと雑貨屋さん)に声をかけ、その日以来、我が家には、狭いながらも三家族が同居していた。
そんな状態のなか、あの終戦日を迎えた。
当日の朝、親たちは「昼の十二時に、天皇陛下のラジオ放送があるらしい」と、落ち着かない様子だった。何処からか連絡があったらしい。
十二時前から、同居の三家族が我が家のラジオの前に集まった。
玉音放送で、私は天皇陛下のお声を初めて聴いた。
「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」という天皇陛下のお声だけが、私の耳に残った。しかし、小学五年生の耳には、その時のそれらの玉声が、敗戦を告げるものとは思わなかった。
居合わせた親たちは泣いた。口々に、「やっぱり敗けたんだ」と言い合って泣いた。子供たちは、親たちの様子から、戦争に敗けたことを知った。だから、親たちに合わせるようにして、泣いた。
その夜から、山へ逃げることも灯火管制もなくなった。
私にとって、昭和二十年八月十五日はそんな日であった。
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一羽の鴉が草むらに降り立っていた。
私を見たからかどうか知らないが、鴉はあの無粋な一声をあげた。
警戒を促す仲間への信号だったのだろうか。
便りせずひとりの秋と思ふなり ひよどり 一平
(たよりせずひとりのあきとおもうなり)
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文芸春秋9月特別号の藤原正彦氏による巻頭言のこと。
「新型コロナに対する国産ワクチンはなく、政府の不手際で輸入もままならぬため、感染者数は激増し第五波に突入した。
無理を通して開いた東京オリンピックも無観客という未曽有の事態となった。テレビ観戦では外国でやっているのと変わらない」
と書き始め、「最近の我が国の科学技術力低下を示唆しているようでショックだった。」と述べていて、まったく同感だった。
しかし、未だにワクチンの調達が不十分で、東京都における今日の感染者数は、土曜日の過去最多だったとか。
いつまで続くのか、希望的観測すらも出来ない昨今である。
涼新た縞栗鼠水を呑みにけり ひよどり 一平
(りょうあらたしまりすのみずのみにけり)
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栗鼠が走り廻ったり、突然止まって水を呑んでも、なんの不思議もない。
しかし、レンズで追いかけている私にとっては、水を呑んでくれるのは一つのチャンスだ。ホッとするいとまもなくシャッター。
もはや俳句のことは考えの外。