大10同好会

普通の高齢者の生活と情報

続・盆(土井)

2009年08月13日 10時26分57秒 | Weblog
8月10日の句会で「盆」という席題が出されました。
ご存知の方が殆どと思いますが席題というのは、その場で題が出され、即席で詠んで提出するものです。
因みに前以って出されるのが「兼題」、自由に詠むのが「自由題」です。
私はどうもまともな句が出来そうもなかったので、1分か2分の思いつきで「里山の低き稜線盆の月」として提出しました。

今日から月遅れの盆で16日までの間に祖先の霊を迎え、もてなし、送る行事が行われます。
精霊を迎えた家では僧侶に「棚経」を上げてもらい、遠くはなれている家族も帰省して久々の団欒の時を過ごします。
娘達は明日の午後来て夕食の後、すぐ近くの木曽川の花火大会を見に行くといっています。

   数ならぬ身となおもひそ玉祭り    芭蕉

   魂祭り王孫いまだ帰り来ず      蕪村

   御仏はさびしき盆とおぼすらん    一茶

   信心の母にしたがふ盆会かな     飯田蛇笏

   霊棚や二代養子の父と夫(つま)   竹下しずの女

   独り出て道眺めゐる盆の父      伊藤通明

   花剪つてすぐ吹き降りの盆供養    廣瀬直人

   束ね髪切らむとつかむ盆の闇     長谷川久々女

   母の姉母の妹盆の客          倉田紘文

   亡きひとのふるさと盆会いまは行かず 松村蒼石

蝉(土井)

2009年08月11日 15時38分28秒 | Weblog
先日、阿武邸の庭で熊蝉が鳴いていたので、東海の油蝉と違って関西では平地でも熊蝉が普通なのかと思いました。
ところが少し前、家に居ても熊蝉の鳴き声が聞こえてきたので、何処で誰だったか忘れましたが話したら、今年は熊蝉が多いということが新聞に載っていたといっていました。

蝉の種類は世界中では2000種類、日本では32種類だそうです。
言い古されたことですが、蝉は幼虫として土中で5年前後を過ごし、最後の年に地上に出てきて羽化し成虫となって生殖行動をし一生を終えます。

勿論私もそうですが日本人なら誰でも子供の頃、蝉取りをして遊んだ経験がある筈で、川での魚取りとともに、地上での蛍や蜻蛉と並んでの記憶には懐かしいものがあります。

蝉を詠んだ俳句も数知れぬほどありますが「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声   芭蕉 」はあまりにも有名です。
そしてそれより古く万葉集にも既に蝉は詠まれています。

   岩走る滝もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ  大石蓑麿(万葉集・巻十五)

お盆とお盆休み(土井)

2009年08月09日 17時34分25秒 | Weblog
お盆と言えば元々は「盂蘭盆会」と呼ばれる七月十三日から十六日にかけて行われる祖先の霊を弔う仏事で、家々ではいろんな準備(精霊棚、茄子、瓜の牛、馬、盆灯篭・・・)をして僧侶を招き経をあげてもらいます。
昔は陰暦で行われていたものが今では主として都会では陽暦、地方では陰暦のようですが、月遅れの陽暦八月十三日から行う所も増えてきています。
その傾向を益々強めているのが世間一般のお盆休みともいわれる夏季休暇で、金融機関や一部を除く殆どの民間会社は昨日からその休暇に入りました。
娘夫婦も赤ん坊を連れて先程、旦那の岩手県一関市の実家に着いたとメールしてきました。

私はもう何年もこの期間は高校野球と昼寝専一を旨としています。
昨夜は町内の盆踊り最終日で、時節柄地元選出の市議、県議は勿論、海部元総理の秘書や民主党の現役議員も来て盛んに顔を売っていました。
無所属の親しい市議が小さな声で「土井さんはどう見ています?」と言うので正直に今回は民主だろうというと言うと「実は私も今回は(民主の)○○さんを応援させてもらっているのです」と言いました。
その○○に「今回は小選挙区で勝てよ」と言ってやったら「その積りです」と言って思わぬほどの力で握手してきました。
勤続50年が唯一の望みの老体に期待する人は確実に少なくなっています。

   宵の口まだ輪にならぬ盆踊り

立秋(土井)

2009年08月07日 12時06分26秒 | Weblog
今日は暦の上では立秋です。
まだまだ暑さはこれからというのに何故この日が二十四気の一つの「立秋」なのでしょうか。
陽暦の八月は陰暦では七月の文月(ふみづき・ふづき)にあたりますが「七夕月(たなばたづき)」「涼月(りょうげつ)」の異名もあるように先人達は既にこの頃秋の気配を感じはじめていたようです。
現代の感覚では北国や山岳地帯を除いては少しづれているようですが、日を追って秋の気配が感じられるようになるのは昔も今も変わりません。

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる 藤原敏行(古今集)

特に今年は梅雨が長引き、何時明けたかもはっきりせず、一応梅雨明け宣言がされた後もぐづついた天気が多く、昨日からはじまった町内の盆踊りも空を見上げながらの一喜一憂状態です。

実家の兄の孫の柳井中学校野球部が県大会で優勝し、後中国大会で二勝すれば沖縄で行われる全国大会進出、十分見込みがあるとのことで既に寄付集めをしていました。
本人は二年生でまだ補欠ですが、来年は50名を越す部員の中からレギュラーを目指して頑張ると言っていました。
その延長線上の甲子園の高校野球の代表校も出揃い、今日の朝刊に出場全選手名鑑載っていました。

いよいよ明日が開会式、暑さもこれからが本番、皆様には呉々もご自愛の程を。

人の生涯(土井)

2009年08月05日 07時40分06秒 | Weblog
一昨日は実家で母の通夜、昨日は近くの斎場で葬儀・告別式を行いました。
実家では61年ぶりの葬儀となりましたが、この間世の中も私共の周囲も劇的に変わりました。

受付をしてくれていた立派な髭の紳士も白髪の人も誰だかさっぱり分かりませんでしたが、名前を聞いてびっくり、皆お隣の幼馴染でした。
そんな訳で多くの懐かしい隣人や親戚の人達との会合がありました。

母は嫁いできて以来95年の生涯を死に物狂いで懸命に生きました。
夫の戦死以後は一家の維持と養父母の世話、子供たちの養育に寝る間も惜しみ身を粉にして働きました。

全ゆる苦難や誘惑に打ち克って子供たちを育て上げた後は、孫やひ孫達に囲まれ、野菜作りや庭で花を育てたり、草取りをしたり、友達と交わったりしていました。
軍人恩給の経済的余裕や、最晩年まで体の動く健康にも恵まれ、記憶の鈍ることもなく
長く幸せな余生を送りました。
人は努力した分必ず報われるということでしょうか、本人も快心の生涯だったと思います。

   明けぬ梅雨母の訃報の届きけり

   母の葬生家の庭の槿かな

   菊に埋もれ大往生の母の顔