
寂光院へ向かっているとセンニンソウが咲いていて驚いた。
大原は京都市内よりは寒いと思ったのだが・・・仙人は都会より山の方が好き?

寂光院の門前には階段が続いていた。

門からすぐに本堂が見える。
寂光院は推古2年に聖徳太子により創建され、本尊は六万体地蔵菩薩だ。

21年前、本堂が放火により焼失し本尊もほぼ焼けたが胎内の小さな地蔵菩薩は無事であった。
本堂は5年後に再建され、新たな本尊も作られた。また焼けた本尊も手当を施し収蔵庫にあるそうだ。

回遊式四方正面の庭。人の少ない季節で静かなものだ。
寂光院は壇ノ浦で平家一族が滅亡した後、建礼門院徳子が第3代住持となったことでも知られる。
建礼門院は清盛の娘で高倉天皇の中宮、安徳天皇の母である。

平家物語の大原御幸(後白河法皇が建礼門院を寂光院に訪ねた)に出てくる姫小松だそうだが、
この松も先の火災により甚大な被害を受けて幹の下部だけが残されている。
向こうの鐘楼は江戸時代に建立されたものだが、平家物語に因み諸行無常の鐘と呼ばれている。

続いて三千院を目指してバス停付近に戻ってくると一本の椿が気になった。

枝分かれした幹が成長したと思ったら、またくっついたり枝分かれしたり、
よほど離れがたいのだろう。
まだこんなに元気に咲いていたとは驚きました。
寂光院というのは、古い古い歴史あるお寺なのですね。
長い石段が、上るのは息が切れそうですが趣があって、同時に心が
厳粛になっていくように感じます。
建礼門院が住持となられたお寺でしたか。平成の時代に放火で
本堂が焼失したとは残念な事でした。いったいなぜ。
再建されたお堂も、もうすっかり周囲に馴染んでいるようですが、
傷跡ものこっているのですね。
センニンソウには驚きました。こちらでは全く見ませんから。
寂光院が推古の時代に出来たとは思っていませんでした。
長い歴史の中でも建礼門院が住持になったことは、寂光院を知らしめるのに大いに役立ったようです。
何を思い放火したのか不可解ですが、
いろんな人の思いをこめて再建出来たのは幸いでした。
石段はゆっくり上がれば、さほど息切れしませんでした。