しばらく休みます。

町立・湯河原美術館があったので立ち寄った。
湯河原美術館は竹内栖鳳、安井曾太郎など湯河原ゆかりの画家の作品を集める美術館だ。
2006年からは日本画家・平松礼二の作品を展示する平松礼二館も開設されている。
平松礼二館 https://www.town.yugawara.kanagawa.jp/soshiki/31/1475.html

多数の作品が展示されていたが撮影するわけにはいかないので、公開アトリエの様子を撮った。
作品は大きくかつ細かい描き方で、気が遠くなるほどだ。
平松礼二 http://www.reiji-hiramatsu.com/

資料館のガラスケースに異国の人形などが展示されていた。

平松は一時期、インド、中国、朝鮮半島などを旅して風景を描いていたという。
そのときに手にしたであろう人形や小物なのだろう。

美術館には庭園が隣接している。そろそろ梅が咲くころであろうか。

湯河原には竹内栖鳳などゆかりの画家が多い。
安井曾太郎も竹内栖鳳の旧画室に移り住み、後に自らの住居兼アトリエを新築したという。
この記念碑は門下生たちが安井の33回忌に建立し後に美術館に移されたものだそうだ。

湯河原温泉街の川沿いで富士屋旅館前の小道を抜けてゆく。

抜けた先に屋敷があって石碑が立っている。
「史跡 二・二六事件光風荘」 と刻まれている。

昭和11年(1936)2月26日に東京で陸軍青年将校らが反乱を起こし内大臣らが犠牲になった。
有名な二・二六事件である。
同時に、ここ湯河原でも七人の別動隊が元・内大臣牧野伯爵をここ光風荘で襲ったという。
牧野伯爵は難を逃れたが看護婦や巡査などが犠牲になった。

光風荘は見学できるが、行った日は何か行事があったらしく入れなかった。
次の機会に訪ねてみよう。

光風荘と道を挟んだ所に大きなタンクがあった。
湯河原温泉の安定供給を行うための送配湯施設だそうだ。


奥湯河原から湯河原温泉街の方へ川沿いを下っていく。
川にはキセキレイなどの小鳥たちが岩の上を動いているのが見える。

セグロセキレイもいた。
私には見えないけれど虫など餌になるものがあるのだろう。

コガモたちはのんびりと。

湯河原五大滝というのがあるそうだが、今回は二つだけ見ることができた。
その一つが、この「五段の滝」だ。全長100mの大滝が五段に分かれているとか・・・

不動滝は車道を挟んだ山側で茶屋の奥にあり、落差15mの滝をすぐ近くで見られる。

川沿いから少し入ると湯元通りだ。比較的小さな温泉旅館が並んでいる。
1年前に、この辺りの宿を予約したが来られなくなってキャンセルした。

湯本通の名前どおり敷地内に源泉を持つ宿も多いみたいだ。

静かな通りに、レストラン。どんな雰囲気か、ちょっと入ってみたいが今回はパスした。

この辺り一の老舗である富士屋旅館に渡る赤い橋。センダンの実が鈴なりだった。

奥湯河原に泊って翌日、朝食後に近くを散歩した。
旅館の前の川沿いを浄水場辺りまで溯ると道がなさそうなので戻ってくる。

道の脇ではスイセンが満開だった。

湯河原からの道路は奥湯河原バス停あたりで3方向に分かれ、中央の車道が箱根まで続いている。
もちろんアスファルト道だけれど少し進んでみると、少しして立派な邸宅があった。

重光葵記念館だった。
重光葵(しげみつまもる)は外交官で戦時中及び敗戦直後に外務大臣を務め、
特に終戦直後の東久邇宮内閣では全権大使として降伏文書に署名した。
その後、衆議院議員に選出され改進党総裁も務めた。
1952年には吉田茂と内閣総理大臣指名を争い敗れた。
私はそのころ小学校5,6年生になっていて、重光葵という名前を記憶に残し今も忘れていなかった。

内部を見学できるらしいが時間の都合で今回はパスした
入口の傍のネズミモチに実が生っていた。

箱根まで上がる訳にもいかないので、引き返しバス停のところで一番右の道に向かった。
大きな旅館の脇から藤木川沿いを上がっていく。

川の傍の道がきれいに手入れされていて、季節により何かの花が楽しめそうだ。

梅は未だ早かったが、今はロウバイが咲いていた。

人が少なく季節を感じながら落ち着いて散歩が楽しめる。
このあたり、また別の時期にも歩いてみたいものだ。