さきほどまで、NHKで放送していたヒストリア。
何か、前に一度見たことあるみたいと思って見ていたら、やはり再放送でした。(ちゃんと再放送と最初に断ってほしかったです)
話しの内容は、今からちょうど100年前の7月に始まった第1次世界大戦に、連合国側の(特にフランス人に対して)看護婦として毎日、戦士の看護にあたった竹田ハツネさん(熊本出身)の物語である。
当時、ハツネさんは日赤の看護婦で、ドイツと戦って傷ついた戦士の中でも重傷者を相手に多い月にはなんと4500人ほどの看護をしていたとのことである。
一度、もう期限だから日本へ帰るように命令が出たが、仲間とともに延長して看護を続けたが、最終的には薬も体力も尽き果てて日本へ帰らざるを得なかったとのことで、残念なことである。
しかし、帰りの空港へ、看護して良くなった数人のフランス兵が見送りに来てくれたとのことである。
また、アンリ・ジビエさんはかなりの重症だったにも関わらず、元気にしてあげたので、今でも多くの子孫がそのことを感謝しているとのことであった。
ああ、あの時、連合国側にいたのに、どうしてそれから、日本はドイツ側についたのだろうか?
勉強しなければならない。
何か、前に一度見たことあるみたいと思って見ていたら、やはり再放送でした。(ちゃんと再放送と最初に断ってほしかったです)
話しの内容は、今からちょうど100年前の7月に始まった第1次世界大戦に、連合国側の(特にフランス人に対して)看護婦として毎日、戦士の看護にあたった竹田ハツネさん(熊本出身)の物語である。
当時、ハツネさんは日赤の看護婦で、ドイツと戦って傷ついた戦士の中でも重傷者を相手に多い月にはなんと4500人ほどの看護をしていたとのことである。
一度、もう期限だから日本へ帰るように命令が出たが、仲間とともに延長して看護を続けたが、最終的には薬も体力も尽き果てて日本へ帰らざるを得なかったとのことで、残念なことである。
しかし、帰りの空港へ、看護して良くなった数人のフランス兵が見送りに来てくれたとのことである。
また、アンリ・ジビエさんはかなりの重症だったにも関わらず、元気にしてあげたので、今でも多くの子孫がそのことを感謝しているとのことであった。
ああ、あの時、連合国側にいたのに、どうしてそれから、日本はドイツ側についたのだろうか?
勉強しなければならない。