先日、時間つぶしに古本屋へ立ち寄って物色していると、大学の時に読んだ、庄司薫氏の「バグの飼主めざして」という本が置いてあった。(バグとはコンピューターで出てくる不具合ではなく、人々の安らかな眠りを守るためにその悪夢を食べ続けるとされる動物のこと)
庄司薫氏と言っても、今の若い世代には、誰のことかわからないだろう。当時芥川賞を受賞した「赤頭巾ちゃん気をつけて」という本を読んだ人ならわかると思うが、そうでなければ、ピアニストの中村紘子さんの夫という方がまだわかるだろうか?
それは、さておき、この本の中で、庄司氏は252ページに「幸福について」というエッセイを載せている。(昭和49年に第1刷を発行した定価340円の講談社文庫を100円で購入)
ポイントだけ私の理解で書かせていただくと、
①全世界の過去、現在、未来の人々の誰もが、幸福を願い、幸福を追求するが、「幸福とは何か」と他人が定義した内容は、それぞれの正しさを持ってはいるが、絶対というものはない。
②なぜなら、人間を動かす最も基本的でおそらく最終的な動機は、およそあらゆる種類、あらゆる形での「支配されること」への嫌悪であり拒絶であると考えるからであり、他人が考えた幸福を受け入れることは、他人の「精神的支配下におかれる」と感じるからである。
③そのため、他人の提示する「幸福とは」という定義は参考意見にとどまらざるを得ない。
④だから、多数の人間に対して強制力をもって臨む政治は、「不幸を消していく」ことしかできない。
⑤また、幸福は自己完結的ではあり得ず、必ず他者の幸福と結びついている。幸福を支える充実感は他人のためと考えることから生まれてくる。
⑥そのため、みんなの幸福のためという目的が、実は自分の幸福を実現するために他者に自分の価値観を強制することになる(つまりエゴイズム)危険性がある。
⑦結論として、ぼくたち人間は、そもそも原理的に完全に幸福にはなり得ない。
⑧しかし、そのことを悲観することはない。そんなにたやすく幸福が手に入るのだったら、幸福は魅力的なものではないことになり、過去、現在、未来の目もくらむような努力は空しいことになってしまう。
さて、今この本を読み返すと、私のこのブログで今年の初めから書いていたことと非常に一致している。
「他者との良好な関係」(関係性)と「自らの興味や価値観に合った目標を、自分の意思で追っている」(自律性、自由)はどうしてもうまく融合できないという点である。
2014年3月1日の私のブログに書いたように、
幸せとは、きっと、「自分の意思で他者に拘束されることなく、仲間との関係を良好にして、他人のためひいては自分のために大きな目標を達成すること」なのでしょう。
(アンダーライン部分の矛盾したところが、つまり幸福の難しいところなのだろう)