河井継之助(かわい つぐのすけ)って知っていますか?
私は、今日まで、全く知りませんでした。
番組で山本博文(東大、史料編纂所の教授)氏によると、司馬遼太郎の「峠」で有名になった人らしい。
1817年長岡藩の中級武士の家に生まれる。負けず嫌い。 1852年東京へ。
当時、長岡藩は50億円の負債。
賄賂の一掃。給料削減。信濃川の通行料を撤廃し経済を活性化。→長岡藩黒字に
1867年大政奉還。
長岡藩(譜代)を守るために強力な武器を買いそろえる。ガトリング砲(1分間に200発も玉が出る凄い兵器、現在の機関銃とほぼ同じようなものだが、ハンドルを回して弾を出す。この時代にそんなすごいものがあったなんて!)を(当時日本に3つしかないのに)2つも購入。ここまでは良かった。
しかし、それから、どうして失敗したか?
1 言葉で伝えろ
戊辰戦争の波が長岡藩に。継之助は西洋列強に日本中が対するため、中立を選ぼうとする。
岩村(新政府軍の若い代表)に対して、継之助は「嘆願書」を上司に渡してくれと言って、説明もしなかった。そのことで、岩村を怒らせてしまう。そして、戦争に導くことに。
2 長所は短所だと思え
新政府軍を迎え撃つには、最新兵器ガトリング砲でいけると継之助は考えた。
しかし、それを持っていたことがあだとなり、新政府軍を刺激して長岡は壊滅的にやられることになる。
秋元康氏:自信過剰で失敗する人が大好き。
失敗の数が少ないと、傷が深くなる。
バブルで失敗しても、失敗したことを語ることができた人は、今成功している。
「失敗は成功の素」「他山の石」とか言うように、何もしないでいるよりも、自分で小さな失敗をくり返しながら、また、他人の失敗も参考にしながら、続けることで秋元氏のように成功するということだろうか?