【MV】僕たちは戦わない / AKB48[公式]
さきほど、投稿した黒木瞳さんと対談していた秋元康氏。
私は今まで、秋元氏のことを「AKB48」とプロデュースしているチャラチャラしたイメージで見ていたが、この対談を聞いてかなり変わった。
というのも、私が、番組を見た冒頭の曲が、美空ひばりさんの名曲「川の流れのように」だったからだ。
この名曲を作詞したのが、秋元氏って知ってました?
そして、この川はニューヨークのイーストリバーだったということも?
その頃、秋元氏は本田美奈子さんの「1986年のマリリン」などを手がけ、意気揚々アメリカに乗り込むもうまくいかないでいた。
そのときに、美空ひばりさんから直接オファーがあり、lこの作詞を完成し、美空ひばりさんにほめられて、プロとして成長することになったということを聞いたからである。
そして、2005年に誕生したAKBのスタートは観客がたった7人だったということ。
でも、集まってくれたAKBの少女達に「夢をかなえてあげる」と豪語して、ついに2年後「会いたかった」で紅白出場をつかむ。その後の活躍はここに書くまでもない。
そして、なぜ、この曲を選んだかというと、秋元氏の思いのもう一つが「反戦」という思いであること。「戦争を知らない子供たち」をベースに完成したというこの曲。
反撃する少女が最後にこれでいいのか!とためらっているのが印象的だ。
「憎しみは連鎖する」「許しあおうよ」
そう、そこだと思う!
さきほど、投稿した黒木瞳さんと対談していた秋元康氏。
私は今まで、秋元氏のことを「AKB48」とプロデュースしているチャラチャラしたイメージで見ていたが、この対談を聞いてかなり変わった。
というのも、私が、番組を見た冒頭の曲が、美空ひばりさんの名曲「川の流れのように」だったからだ。
この名曲を作詞したのが、秋元氏って知ってました?
そして、この川はニューヨークのイーストリバーだったということも?
その頃、秋元氏は本田美奈子さんの「1986年のマリリン」などを手がけ、意気揚々アメリカに乗り込むもうまくいかないでいた。
そのときに、美空ひばりさんから直接オファーがあり、lこの作詞を完成し、美空ひばりさんにほめられて、プロとして成長することになったということを聞いたからである。
そして、2005年に誕生したAKBのスタートは観客がたった7人だったということ。
でも、集まってくれたAKBの少女達に「夢をかなえてあげる」と豪語して、ついに2年後「会いたかった」で紅白出場をつかむ。その後の活躍はここに書くまでもない。
そして、なぜ、この曲を選んだかというと、秋元氏の思いのもう一つが「反戦」という思いであること。「戦争を知らない子供たち」をベースに完成したというこの曲。
反撃する少女が最後にこれでいいのか!とためらっているのが印象的だ。
「憎しみは連鎖する」「許しあおうよ」
そう、そこだと思う!