5/20の主人公は「暴れん坊将軍」でも知られる第8代将軍徳川吉宗。
吉宗は、紀州藩主徳川光貞の四男として、1684年に誕生。
普通に考えれば、藩主にさえなれない存在。それが、世の中には奇跡があるもので、紀州藩主がなくなり、続いて吉宗の兄も半年の間に相次いでなくなり、1705年に22歳で藩主になる。
藩主として、和歌山の財政改革をやっていたところ、時の将軍家継が1716年に8歳で亡くなり、徳川本家に跡継ぎがいなくなる。(あれほどの大奥がありながら、信じられないが)
そして、33歳で一躍将軍に。
「暴れん坊将軍」ほどではないにせよ、とにかく、雑草のようなたくましさで、「家康の直系のひ孫」ということを武器に、当時の無能な老中を黙らせ、徹底して鍛え上げ数々の成果をあげた。
では、どのようにして、その成果をあげたのか???
1 知り尽くせ(正確なデータに基づき、政策を実行する)=基礎が大事
当時寺院の建立や自然災害(巨大地震や富士山の噴火。) などで、支出は増える一方だが、米の価格下落。金銀の枯渇し、収入はない(今の日本に似ているなあ)
5老中を集めて問いただしても、
幕府の1年間の年貢収入?不明
江戸城のやぐら?正確な数知らず
すでに吉宗は和歌山城下の家々の様子を地図で細かく把握していた
詳細なデータは改革の基礎
調査をして、当時の日本の人口規模を把握→2654万人
日本地図も再度作成。一里塚も記入。 列島社会の内実を客観的に知る。
農業生産量も把握→江戸時代初期より2倍増加しているのに、年貢は100年以上放置
→税率を上げる(しかし、凶作の年は下げる)
将軍になって12年目で幕府の財政を黒字に。30年将軍であり、その後家重時代にも実質的に6年統治。(「中興の祖」と言われているのはすごいなあ)
2 人任せにするな(何でも自分が責任を持って判断する)=最初は反対があっても押しと おす勇気
家臣が提出する書類にほとんどすべて目を通す
1年間に20回も鷹狩りをし、農民に作物の出来具合を聞く。
自ら火事を消す。天体望遠鏡観察。降水量を量る。
目安箱の鍵を自分で管理し、その中で優れた意見を取り入れる(→例 すぐに新田開発)
甘藷試作(飢饉対策の食糧として)
小松菜を命名(江戸川区に小松川村という所があった)
なお、吉宗は、身長180cm以上。剣術や馬術にも優れていた。
紀州藩主の時に正室を持ったが、亡くなってから、正室もたず。(側室との間に子供5人)
大奥もかなり人数削減(テレビでは出てなかったが、美女を解雇したらしい。というのも、美女なら行くところがたやすいという心遣いだったというからすごいのお!)
番組に出ていた落合務氏はイタメシブームの火付け役。アルデンテは最初固い。カルパッチョは気持ち悪いと言われたが、今ではそれが受け入れられている。過去にとらわれず、しかし、お客様のニーズを知ることが大事と言っていた。