非常に有名な作曲家 平尾昌晃さん。
裕福な家に5人兄弟の末っ子として生まれ、高校からジャズを学び、
ロカビリー(たとえば、ポールアンカの「ダイアナ」)の歌手になって活躍。(昭和33年~36年頃)
しかし、ロカビリーブームはすぐに去り、橋幸夫らの御三家に交替。
バイトでやった皿洗いも影響したのか肺結核で療養することに。
ところが、療養前に作曲した「おもいで」を布施明さんが歌ってヒット。
次に書いた、「霧の摩周湖」で、日本レコード大賞作曲賞を受賞。
ところが、その後、また、結核で長野県岡谷市の病院に入院し大手術。
最初は田舎暮らしに泣いていたが、看護婦さんの手厚い看護に「温かいいたわり」をもらって曲調が変化。(いわば和洋折衷に)
これ以降、
「私の城下町」「瀬戸の花嫁」
「夜空」
「草原の輝き」
など、数々のヒット曲を量産。
それだけではない。平尾さんが偉いのは、岡谷市で元気にしてもらったおかげにと、ここ40年ほど「障害者施設」や「高齢者施設」にボランティアで訪問して、楽しませてあげていること。
平尾さん曰く
「命ある限り、生涯現役、生涯青春!」
人生、まさに「塞翁が馬」ってことですね。
ちなみに「みよちゃん」っていうかわいい曲、平尾さんの作曲って知ってました?
裕福な家に5人兄弟の末っ子として生まれ、高校からジャズを学び、
ロカビリー(たとえば、ポールアンカの「ダイアナ」)の歌手になって活躍。(昭和33年~36年頃)
しかし、ロカビリーブームはすぐに去り、橋幸夫らの御三家に交替。
バイトでやった皿洗いも影響したのか肺結核で療養することに。
ところが、療養前に作曲した「おもいで」を布施明さんが歌ってヒット。
次に書いた、「霧の摩周湖」で、日本レコード大賞作曲賞を受賞。
ところが、その後、また、結核で長野県岡谷市の病院に入院し大手術。
最初は田舎暮らしに泣いていたが、看護婦さんの手厚い看護に「温かいいたわり」をもらって曲調が変化。(いわば和洋折衷に)
これ以降、
「私の城下町」「瀬戸の花嫁」
「夜空」
「草原の輝き」
など、数々のヒット曲を量産。
それだけではない。平尾さんが偉いのは、岡谷市で元気にしてもらったおかげにと、ここ40年ほど「障害者施設」や「高齢者施設」にボランティアで訪問して、楽しませてあげていること。
平尾さん曰く
「命ある限り、生涯現役、生涯青春!」
人生、まさに「塞翁が馬」ってことですね。
ちなみに「みよちゃん」っていうかわいい曲、平尾さんの作曲って知ってました?