「代数」、とは、未知のXを求める為の方法としてバビロニアで始まったとされている。当時の関係式は現代にも受け継がれ、方程式論として分野を確立したが、方程式は本当は関係式と呼ぶ方がより実情に合う。それは段々に深められ簡略化され発展して行き、行列や行列式などの、いわゆる線形代数として現在も形を成している。代数はn次方程式の探求以後、次数を挙げて二次方程式から三次、四次、と進んでいったが、五次方程式に至り、その解の一般式を求めて競い合ったが、五次とそれ以降の次数に於いては、冪根を操作するだけでは解き得ない事をがロアが提案した。これが群の発見の始まりだ。現代では群論は至る所で使われる。なにしろほとんど関係ないと思われる文化人類学でも使われた。南米の未開民族の親類関係を分析したレビィストロースの著書である「親族の基本構造」でも使われた。「構造主義」はこの小さな論文から始まった思想運動のひとつである。
お正月に中学生の甥が遊びに来た。数学の分野はどんなものが在るの?。と聞かれたが、分かり易く簡単に話してくれる?と言う。はて、いま何を習って居るの?、連立方程式と二次方程式、あとは図形の面積・円錐などの立体の体積、順列・組み合わせ、などだという。なにを知りたいの?。数学ってどんな物から始まったか?ナンだそうだ。
(伯父)ーうん、そうだね。幾何学は何から始まったか?に付いて言うならね。謂わば視覚から始まったんだ。すでに見るという機能の中には、幾何学がはいっていると謂って好い。物の本では古代に土地の面積を正しく求める為とか書いてあるが、よく元を考えてご覧、物が見えなければ面積も体積もほとんど余り意味がない。面積と言うのは枠に囲まれた空間を言う、体積も同様だね。その場合には、面積のキワが大切だし、体積も形の表面が大切だ、面積の中の方は余り顧みられない、その点体積も中心部の中の方はこの際は議論されない。もっとも超重力が働くブラックホールの様な存在や、太陽の中心部の核融合反応の推移などの場合は、内部も重要なテーマだが、19世紀までの幾何学では、形のキワが大切です。でないと面積も体積も計算上出て来ないからです。そしてこのキワの長さや角度などを使い面積・体積を正確に算出する方法を考えて公式を見つける。これが、ギリシャの古代から16世紀辺りまでの幾何学でした。概ね数学は、ある概念の解釈を拡張するし、一般化するのが特徴と言えば特徴なんだ。
(甥)ー 幾何学は視覚から始まったんだね。長さ、面積、たしかに眼が見えなければ話し合いができない。じゃ、今僕が習っている連立方程式や二次方程式はどうなの?
(伯父)ー まあ好い加減に言うと連立方程式は分けっこから始まった。公平に分けるには、どうすれは好いか、という問題なんだ。其れから二次の方程式は未知の次数が2だという事ですね。これが三次、四次、と次数が増えて行くと複雑にはなるが、必ず解の公式があると多くの人は想って居たが、然し五次の方程式は解の公式がつくれない。冪根では解けない事に気が付くんだ。それは大學に進んでからで好いでしょう。それでも、何としても知りたければ自分で丁寧な本を読んでご覧。
(伯父)ー 確率は人間の欲から始まった。賭け事に常に勝つという、都合の好い方法は無いか?という問題だね。順列・組み合わせは古典的確率論の土台だね。古代の占いも、謂わばこの確率論の土台だね。
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