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古史古伝について

2024年09月10日 13時58分42秒 | 日本の歴史的遺産と真実

「古史古伝」と言われている文献資料は、現在の学界では信頼に足る正式な文書とは認められて居ない。それらの文書は、現在使用されている日本語の文字では無い文字で書かれている。一括りに言うと神代文字と称されている文字である。若しも、それが本物の古伝書ならば、日本での一応公式な古代史書である「古事記・日本書紀」などは、多くの訂正されるべき点がある。漢字以前の古代文字である「神代文字」は、ヲシテ文字を初めとして、その数が両手を超えるくらい数がある。似たような種類の文字も、全く異なった記号の如きものもある。文字の起源は言語の起源より遥かに新しい。そして話し言葉の起源は文字の起源にくらべて遥かに古い。声帯から発した音表言葉を如何に再現文字として同定するかに、古代人は思索苦慮した事であろう。文字はそれを記録する媒体が必要だ。例えば石や粘土、獣皮、そして後に紙が出来る。石や粘土に刻む文字は流れる様には書けない。獣皮でも日本の平仮名のような流れる筆跡は難しいはずだ。その様に古代の文字は植字印を並べたようなぶっきら棒になる。シュメールの楔形文字などは代表例だ。

コトバの起源は、かなり漠然としてゐて難しいが、文字の起源は、それに比べればまだ手立てが有りそうである。確かに言語は話し言葉から始まった。意思の疎通ができてゐれば、文字の必要性はそんなに重大ではない。だが大集団が集まり、何らかの決め事をして、それを残すとするならば文字の必要性が出て来る。記憶の良い人が居て過去の全てを記憶しているならば、その生き字引の様な人に頼る事も在ろう。だが、集団が大きくなると文字の必要性は高まるだろう。現在の発見された物的証拠である縄文土器の年代が、炭素減衰法で計測すると、紀元前一万七千年と謂う事であるから、土器を創る文化が文字を持たないとは言えない面もある。勿論、南アメリカの原住民には高い文化程度を持ちながらも文字を持たない部族も居ることは確認されている。

私は、父の世代の方である馬野周二先生のご著書、*人類文明の秘宝『日本』ー 副題に「世界破局救済の「使命」その根因を探る」を、読んで、日本人の本質と日本文明の特質に思い至った。この本は私の思考のフィールド(分野)を拡大して呉れた。私は宇宙論とか哲学とか数学や物理が好きで、そんな事にばかりのめり込んで来たが、日本文明の本質は、実に深いものが在る事に永いあいだ気が付かなかった。気が付いた以上は、日本人の魂の起源と精神の歴史について探求しないのは惜しい事だと確信した。さて、日本列島には、世界のどこにも無く古い文明を感じさせる。紀元前4世紀から紀元3世紀までの700年間は解き明かせない謎に満ちている。だが古史古伝の代表格でもある「ホツマツタヱ」に依れば、神武以前に約1000年ほどの前史がある。

神話に依れば紀元前1600年までは何とか絵を描けそうだが、では紀元前16500年前の縄文土器をどう解釈すれば好いのだろう。ホツマツタヱでさえ紀元前1500年くらい迄しか推測できない。縄文時代はおよそ35000年の過去があるのである。そしてこれ以前に12万年の旧石器時代が存在する。この時の流れを埋める何かが不可欠だ。我々は取り敢えず想像する他ない。12万年の旧石器時代には届かないが、取り敢えず30000年前から始まると言う縄文人の生活を分析し再現して見ることである。貝塚を調べると、多く貝類を食べ、木の実を食べ、栗を栽培し、赤い米を作っていた。縄文時代に陸稲は栽培されていた。

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