中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

老舎《出口成章》を読む: 戯劇語言(1)

2011年03月31日 | 中国文学

 老舎は“話劇”と呼ばれる芝居の脚本をいくつか書いていますが、その文は耳に快く、またユーモアがあります。今回紹介するのは、若い劇作家との交流会で、老舎が芝居を書く上での言葉の使い方について語った講演の内容です。
 講演とはいえ、言葉の使い方が軽妙で、無駄がありません。老舎は、事前に原稿を作っていたのでしょうか?

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■ 這次我来参加会議,実在是為向青年劇作家們学習。這并不是説,我不願意向老劇作家們学習。事実是這様:対老劇作家們和他們的作品,我已略知一二,得到過教益与啓発;今后還応当継続向他們学習。対青年劇作家呢,或相識較晩,或請益乏縁,理応乗此机会取経学藝。是呀,近几年来的劇壇上主要是仗着他們的努力而活躍,深入工農兵生活的多半是他們,接触創作問題較多的也是他們。不向他們学習,便不易摸清楚問題所在,也就難以学到解决問題的辧法。是的,我是抱着這種学習熱情而来的。那麼,叫我也作個報告,我就不能不感到惶恐!不過,礼尚往来,不容推却。既来取経,理応献曝,就談一談戯劇語言上的一知半解吧。

・略知一二 lve4zhi1yi1er4 [成語]多少は知っている。“三”以下の数字を並べる時は、数が少ないことを表す。この場合は、(数は多くないが)多少は知っている、という意味。
・教益 jiao4yi4 教えが役に立つこと。
・理応 li3ying1 当然……すべきである
・請益 qing3yi4 “請”は“請求”で請い願うこと。“益”は“増益”で増やすこと。
・取経 qu3jing1 (他人の)経験を吸収する
・壇 tan2 文芸やスポーツなどの世界。分野
・仗 zhang4 頼む。頼る
・摸 mo1 手探りする、模索する。
・惶恐 huang2kong3 恐れ入る。恐縮する。
・礼尚往来 li3shang4wang3lai2 [成語]礼を受ければ礼を返さなければならない。贈り物をもらったら返礼すべきである。
・推却 tui1que4 断る
・献曝 xian4pu4 [謙譲語](建言、献言のこと)愚見(“曝”pu4は日に当たる、という意味で、昔、宋の貧しい農民が世の中に暖かい衣服があることを知らず、王様に日向ぼっこをすれば暖かくなりますよと献言した、という故事から)
・一知半解 yi1zhi1ban4jie3 [成語]生半可。生かじりであること。

□ 今回私が会議に参加しましたのは、実際は若い劇作家の皆さんに学ぶためです。このことは決して、私がベテランの劇作家には学びたくないと言っているのではありません。事実はこういうことです。ベテランの劇作家や彼らの作品を、私は多少は知っており、それが役に立ったり、そこから啓発を受けたことがあり、今後も引き続き彼らに学ばないといけないと思っています。若い劇作家は、知りあったのがわりと遅く、もっと知りたいのですがご縁が無かったので、この機会に経験を吸収し、技術を学びたいと考えています。そうです、ここ数年、演劇界は主に彼らの努力と活躍に支えられています。労働者の生活の中に深く入り込んでいるのはたいてい彼らです。創作の問題に触れることが多いのも彼らです。彼らのことを学ばなければ、問題の所在をはっきりと理解するのが困難で、問題解決の方法も学ぶことが困難です。そうです、私はこうした学習の熱意を持ってここに来ました。それなのに、こうして報告をさせていただくというのでは、恐縮せざるを得ません。でも、礼を受ければそのお返しをしなければならず、断るのは許されません。経験を吸収させていただいた以上は、愚見を申し上げねばなりませんので、芝居で使うことばについての、生かじりの話を少しさせていただきます。

■ 我没有入過大学,文化水平不高,対経典文学没有作過有系統的鑚研。因此,執筆為文,我無従作到出経入史,典雅富麗。可是,我也有一個長処:我的愛好是多方面的。因為我知道自己学疏才浅,所以我要学習旧体詩歌,也要学習鼓詞。我没有什麼成見,不偏重這個,軽視那個。這与其説是学習方法問題,還不如説是学習態度問題。心中若先有成見,只要這個,不要那個,便把学習的範囲縮小,也許是一種損失。

・経典 jing1dian3 古典
・鑚研 zuan1yan2 研鑽する。掘り下げて研究する。
・無従 wu2cong2 [副詞]……する方法がない。……しようがない
・学疏才浅 xue2shu1 cai2qian3 “疏”は疎遠でなじみがない、良く知らないこと。“浅”は程度が低いこと。学が無く才能も低い
・成見 cheng2jian4 先入観
・旧体詩 jiu4ti3shi1 中国の現代文学での用語。“旧体詩詞”或いは簡単に“旧詩”とも言う。五四運動で文芸改革が唱えられて後、中国伝統の形式や韻律のたいへん厳格な詩体、例えば五言や七言の絶句、律詩などを含む旧来の詩の形式を呼ぶ時の総称。
・鼓詞 gu3ci2 普通、鼓や拍子木を叩いて拍子をとり、歌を歌う演芸の形式を言う。昔の学問のある人の書いた“旧体詩”に対して、大衆演芸という意味で言ったのだろう。
・与其 yu3qi2 [接続詞]次の句の“不如”と呼応して、「……よりも(“不如”以下)のほうが……だ」。

□ 私は大学に行ったことがなく、文化レベルは高くなく、古典文学について、大系的に研鑽を積んだことはありません。ですから、筆を執って文を書くにも、古典から引用したり歴史の話題に入ったり、上品で華麗な文章など書きようがありません。けれども、私には一つ長所があります。私の愛好は多岐に亘っています。私は自分が学問が無く才能も低いことが分かっていますので、旧体詩の勉強もしますが、鼓詞など大衆芸能の勉強もします。私には何の先入観も無いので、こちらを重視してあちらを軽んじるということがありません。このことは、学習方法の問題というよりも、学習態度の問題です。心の中に先入観があって、これだけが必要であれは要らないと思うと、学習の範囲が狭まり、一種の損失と言えるかもしれません。

■ 我没有詩才,既没有写成驚人的詩歌,也没有生産過出色的鼓詞。可是,詩歌的規律限制叫我懂了一些造句遣詞応如何厳謹,這就大有助于我在写散文的時候也試求精簡,不厭推敲。我没有写出好的詩歌,可是学会一点把写詩的方法運用到写散文中来。我不是為学詩而学詩,我把学詩看成文字練習的一種基本功夫。習写散文,文字須在我脳中轉一個圈儿或几個圈儿;習写詩歌,毎個字都須轉十個圈儿或几十個圈儿。并不因為多轉圈儿就生産絶妙好詩,但是学会多轉圈儿的確有好処。一位文人起碼応当学会脳子多轉圈儿。習慣了脳子多轉圈儿,筆下便会精致一些。

・既 ji4 [副詞]……の上に……だ。次の句の助詞“也”と呼応し、並立成分を接続する。後ろの助詞は“又”、“且”なども使われる。
・造句遣詞 zao4ju4 qian3ci2 通常は、“遣詞造句”と言う。言葉遣いに気を配って文を綴ること。
・厳謹 yan2jin3 慎み深い。いささかも疎かなところが無い。
・轉圈儿 zhuan4quan1r 「ぐるぐる回る」という意味の時は“轉”は三声でなく四声でzhuan4と発音する。

□ 私は詩才が無いので、人を驚かすような詩歌は作れませんし、素晴らしい鼓詞を作ったこともありません。しかし詩歌の規律や制約から私は言葉遣いに気を配ることが如何に厳格なものであるかが分かり、このことは大いに、私が散文を書く上でも簡潔を追い求め、推敲を厭わないことの助けになっています。私は良い詩歌を書いたことはありませんが、詩を書く方法を散文を書くときに運用することを少し学びました。私は詩を学ぶ為に詩を学んだのではなく、詩を学ぶことは文を練習する一種の基本技能と見做しています。散文を書く練習をするには、文字を頭の中で一回、或いは何回か廻らしてみなければなりません。詩歌を書くのを練習する時は、文字を一つ一つ十回、或いは数十回廻らしてみなければなりません。決して多く廻らせれば絶妙な素晴らしい詩が作れる訳ではありませんが、何回も廻らせてみるのを学ぶことは、確かに良い点があります。一人の文人として、少なくとも頭を何度も廻らせることを学ばねばなりません。頭を何度も廻らせることに慣れれば、筆を下せば文はより精緻なものになります。

■ 習写鼓詞,也給我不少好処。鼓詞既有韵語的形式限制,在文字上又須雅俗共賞,文俚結合。白話的散文并不排斥文言中的用語,但必須巧為運用,善于結合,天衣無縫。習写鼓詞,会教給我們這種善于結合的方法。習写戯曲的唱詞,也有同様的益処。

・韵語 yun4yu3 韻文。韻を踏んだ詩、詞、歌詞など。
・雅俗共賞 ya3su2 gong4shang3 [成語]文芸作品などが、鑑賞眼の高い人も低い人も共に楽しめる。通俗的でありながら、上品なこと。
・俚 li3 粗野である。低級である。[例]~語(俗語、スラング)。~歌(低俗な歌)。“文”はこの場合、雅やか、という意味で、対の意味で使っている。
・白話 bai2hua4 話し言葉。“文言”(書き言葉、文章語)と対をなす。
・天衣無縫 tian1yi1 wu2feng4 [成語]天女の衣には縫い目が無い、という意味から転じて、物事が些かの隙間も無く、完全であることの喩え。

□ 鼓詞を書くのを練習することも、私にとって良い点がたくさんありました。鼓詞は韻文の形式的な制約があるだけでなく、文字の上でも通俗的であってしかも上品でなければならず、雅(みやび)と粗野を結合させなければなりません。話し言葉で書かれた散文では、決して文章語の用語を排除するものではありませんが、うまく使い、結合が上手で、天衣無縫でなければなりません。鼓詞を書くのを練習することは、私たちにこうした上手に結合する方法を教えてくれます。戯曲の歌詞を書くことを練習することにも、同様のメリットがあります。

■ 我也習写相声。一段出色的相声至少写両三個月。我没有那麼多的時間。因此,我没有写出過一段反復加工,値得保留下来的相声。但是,作為語言運用的練習,這給了我不少好処。相声的語言非極精煉、極生動不可。它的毎一句都須起承前啓后的作用,以便発生前后呼応的效果。不這様,便会前言不搭后語,枝冗羅[●索](“索”は口偏),不能成為相声。写別的文章,可以従容不迫地叙述,到適当的地方拿出一二警句,振動全段,画龍点睛。相声不満足于此。它是遍体長満了大大小小眼睛的龍,要求毎一句都有些風趣。這様,尽管我没写出過完美的相声段子,我可是得到一個写文章的好方法:句句要打埋伏。這就是説:我要求自己用字造句都眼観六路,耳聴八方,不単純地、孤立地去用一字、造一句,而是力求前呼后応,血脉流通,字与字,句与句全挂上鉤,如下棋之布子。這様,我就能够gou4写得較比簡練。意思貫穿,前后呼応,就能説的少,而包括的多。這様,前面聴説的,是為后面打埋伏,到時候就必有效果,使人発笑。是的,写相声的時候,往往是先想好一個包袱,而用一些話把它引出来,這就是好比先有了第五句,而后去想前四句,巧妙地把第五句逗出来。這様写,前后便必定連貫,叫人家到什麼時候発笑,就得発笑。写相声,説笑話,以至写喜劇,都用得着這個辧法。先想好包袱,而后設法用几句話把它引逗出来,便能有效果。反之,先把底亮了出来,而后再解釈:您聴明白没有?這句非常可笑啊!怎麼?您不笑?好吧,我再給您細講講!恐怕呀,越講越不会招笑了!喜劇不就是相声,但在語言的運用上不無相通之処。

・段 duan4 [量詞]事物の段落、一区切りを数える。“唱一段京劇”なら、京劇をひとくさり歌う。
・承前啓后 cheng2qian2 qi3hou4 文章などの前を受けて後ろを導き出す。これに類似することばで、“承上啓下”という成語がある。前後が上下に変わっただけで、意味は同じ。
・搭 da1 つながる。“前言不搭后語”で、話の前後がつながらない、の意味。
・冗 rong3 余計な。無駄な。“枝冗羅[●索](“索”は口偏)“で、余計な枝葉が多く、煩わしい。
・従容不迫 cong2rong2 bu4po4 [成語]落ち着き払って慌てないさま。
・画龍点睛 hua4long2 dian3jing1 [成語]画龍点睛。文章を書く時に、肝心な締めくくりのことばを一つ二つ付け加え、全体を引き立たせる。
・遍体 bian4ti3 体じゅう。[用例]~鱗lin2傷(全身傷だらけである)
・長満 zhang3man3 いっぱいに生える。“長”は生える、生じる。
・風趣 feng1qu4 ユーモア。諧謔み。
・埋伏 mai2fu (敵などを)待ち伏せ(する)。(次の動作への)伏線。
・眼観六路,耳聴八方 yan3guan1 liu4lu4, er3ting1 ba1fang1 [成語]六方に目を利かし、八方に耳を利かす。非常に目敏く、耳聡いこと。昔の小説で、武術に長けた人の喩え。“六……八”で数のたいへん多いことを表す。
・血脉 xue4mai4 血管や血液の循環。
・挂鉤 gua4gou1 連結器で車輛を連結する意味から、関係をつける、つながりをもつ、という意味。
・包袱 bao1fu 本来の意味はふろしき、ふろしき包みの意味だが、相声(漫才)では、ギャグのこと。
・好比 hao3bi3 あたかも。まるで……のようなものだ。ちょうど。
・逗 dou4 笑わせる。
・引逗 yin3dou4 誘惑する。誘う。

□ 私は相声(中国の掛け合い漫才)を書く練習をしたこともあります。素晴らしい相声(漫才)をひとくさり書こうと思うと、二三ヶ月必要ですが、私にはそんなに時間がありません。だから、私は何度も手を加えた、残しておく値打ちのある相声が書けたことがありません。けれども、ことばの運用の練習として、このことは私にとってメリットがたくさんありました。相声のことばは、極めてよく練れて、生き生きとしていなければなりません。そのことばの一句一句が、前を受けて後ろを導き出す働きがなければならず、それによって前後が呼応する効果が生まれます。そうでないと、話の前後がつながらず、余計な枝葉が多くて煩わしい感じになり、相声になりません。別の文章を書くのであれば、ゆっくり落ち着いて叙述していき、適当なところに来たら、警句を一つ二つも持ち出し、その一区切り全体を揺さぶってやり、画龍点睛を加えることができます。相声はこういうやり方では満足されません。相声は全身が大小の眼がいっぱいに生えた龍(のようなもの)で、文の一つ一つにユーモアが無ければなりません。このように、私には完璧な相声のひとくさりが書けたことはありませんが、しかし文章を書くうまい方法を会得しました。文の一つ一つに伏線を仕掛けておくのです。それはつまり、自分に対し、文字を選んで文を作るのに、六方に目を利かし、八方に耳を利かし、単純に、それだけで文字を選び文を作るのではなく、文の前後を呼応させ、血を循環させ、文字と文字、文と文に、囲碁を指す時の布局のように、つながりをもたせるのです。こうすることで、簡潔で練れた文が書けるようになりました。意味が貫かれ、前後が呼応していると、言葉は少なくても、含蓄が多くなります。このように、前で言ったことが、後の伏線になり、頃合いになると効果が出てきて、人を笑わせます。そうです、相声を書くときは、しばしば先にギャグを考えておき、いくつかの話でそれを引っ張り出してやります。これはちょうど最初に第五句を作っておき、その後で前の四句を考えると、うまい具合に第五句で笑わせることができるようなものです。このように書いてやると、前後が必ずつながり、読者をどこで笑わせようと思えば、そこで笑わせることができるのです。相声を書くのも、笑い話を言うのも、コメディーを書くのも、この方法を用いることができます。先にギャグをちゃんと考えておき、その後で手を尽くしていくつかの言葉でそれを誘導できれば、効果があります。それに反して、先に落ちが分かってしまっているのに、後でまたこう説明をしたとします。「あなた、聞いて分かりましたか?この文句はたいへん可笑しいね!どうして笑わないの?分かりました、もう一度詳しく説明してあげましょう!」おそらく、話せば話すほど面白くなくなるでしょう。コメディーは相声とは違いますが、言葉の運用の上では相通じるところが無い訳ではありません。

【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月

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