患者さんよりメールをいただきました。
この患者さんは友人に当院を紹介しました。
その友人は癌がいろいろと転位しており、今はリンパ浮腫の痛みに
苦しんでおり、治療のため遠方の病院に通うなどされていました。
手術も何度か行い、現在は病院で免疫療法の治療を受けています。
その方が来院されたのが今年の1月初め。
その後5回通いましたが施術で幾分症状は楽になるも
大きな変化は出せない状況でした。
2月は、病院の治療のスケジュールのため未定のまま
連絡がなくなりました。
8月の初め、紹介していただいた患者さんより
その方が3月に亡くなられたことを知りました。
****************
「今年の初めでしたか?Mさん覚えていらっしゃるでしょうか?
三月上旬に他界されたのご存知でしたか?
亡くなる三週間前に私は病院にお見舞いに行き、
これが意識のあるMさんとの最後でした。
この日はたまたま体調よかったらしく、15分くらいでしたか。
お話しできました。
こんな苦しみに耐えなぜ生きなければならない?
と さすがに私もなにも答えることができず、
その後、いっぽ先生って、とっても楽しい、いい先生だね。
痛かったけど行くの楽しみだったよ。
と朦朧としてるなかはなしてくれました。
Mさんに初めていっぽ先生を紹介してほしいといわれた時、
正直整体の領域を超えてしまってるのでは?と
でもわらおもすがる思いだったんだろうと
今となれば、あの苦しい中のおしゃべり、
一瞬でも心和らいだ一時たっだんでしょうね。
もっと早く大和田先生のメールしようとしてたのですが、
自分の中でなかなか彼女の死を認めることができず、すみませんでした。」
*****************
来ていた方が亡くなられたことは、とても残念です。
メールを読んで、この方のご冥福を祈り、
もっと私にやれたことは無かったのか、
力になれることはなかったのか、
そしてもう、この方に私が出来ることは無いことの無念など
しばらくはボーとしていました。
いくら当院が病院で良くならないものが良くなったと
アピールしてもやはり限界があることは自分自身理解しているつもりでした。
しかし、このような状態にある患者さんを前にして、なんとか頑張ろうと
努力する方を前にして
これが、明らかに当院の手法の範疇でないものならば別ですが、
「私にはこれは治せない。」ということはありません。
自己の回復力を高めることでの回復の可能性は
けっしてゼロではないからです。
病院の治療との併用でもけっして無意味でもないと私は思います。
それでも、己の能力、技の無力さをあらためて感じるのは
過剰な自信、傲慢なのだろうかとも思う。
しかし、その無力さを全て認めれば
努力することの意味も、これからの進歩も捨てることとなる。
わたしは諦めが悪い。
だから、あきらめたくない。
無力だからこそ頑張って立ち上がろうとする。
無力だからと初めからあきらめ、何もしないでいるのは
無気力だとも言える。
Mさんもあきらめていなかった。
可能性を信じていた。
私もあきらめず、これからも頑張り続けたいと思う。
亡くなられたMさんに、
逆に勇気をもらった気がします。
この患者さんは友人に当院を紹介しました。
その友人は癌がいろいろと転位しており、今はリンパ浮腫の痛みに
苦しんでおり、治療のため遠方の病院に通うなどされていました。
手術も何度か行い、現在は病院で免疫療法の治療を受けています。
その方が来院されたのが今年の1月初め。
その後5回通いましたが施術で幾分症状は楽になるも
大きな変化は出せない状況でした。
2月は、病院の治療のスケジュールのため未定のまま
連絡がなくなりました。
8月の初め、紹介していただいた患者さんより
その方が3月に亡くなられたことを知りました。
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「今年の初めでしたか?Mさん覚えていらっしゃるでしょうか?
三月上旬に他界されたのご存知でしたか?
亡くなる三週間前に私は病院にお見舞いに行き、
これが意識のあるMさんとの最後でした。
この日はたまたま体調よかったらしく、15分くらいでしたか。
お話しできました。
こんな苦しみに耐えなぜ生きなければならない?
と さすがに私もなにも答えることができず、
その後、いっぽ先生って、とっても楽しい、いい先生だね。
痛かったけど行くの楽しみだったよ。
と朦朧としてるなかはなしてくれました。
Mさんに初めていっぽ先生を紹介してほしいといわれた時、
正直整体の領域を超えてしまってるのでは?と
でもわらおもすがる思いだったんだろうと
今となれば、あの苦しい中のおしゃべり、
一瞬でも心和らいだ一時たっだんでしょうね。
もっと早く大和田先生のメールしようとしてたのですが、
自分の中でなかなか彼女の死を認めることができず、すみませんでした。」
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来ていた方が亡くなられたことは、とても残念です。
メールを読んで、この方のご冥福を祈り、
もっと私にやれたことは無かったのか、
力になれることはなかったのか、
そしてもう、この方に私が出来ることは無いことの無念など
しばらくはボーとしていました。
いくら当院が病院で良くならないものが良くなったと
アピールしてもやはり限界があることは自分自身理解しているつもりでした。
しかし、このような状態にある患者さんを前にして、なんとか頑張ろうと
努力する方を前にして
これが、明らかに当院の手法の範疇でないものならば別ですが、
「私にはこれは治せない。」ということはありません。
自己の回復力を高めることでの回復の可能性は
けっしてゼロではないからです。
病院の治療との併用でもけっして無意味でもないと私は思います。
それでも、己の能力、技の無力さをあらためて感じるのは
過剰な自信、傲慢なのだろうかとも思う。
しかし、その無力さを全て認めれば
努力することの意味も、これからの進歩も捨てることとなる。
わたしは諦めが悪い。
だから、あきらめたくない。
無力だからこそ頑張って立ち上がろうとする。
無力だからと初めからあきらめ、何もしないでいるのは
無気力だとも言える。
Mさんもあきらめていなかった。
可能性を信じていた。
私もあきらめず、これからも頑張り続けたいと思う。
亡くなられたMさんに、
逆に勇気をもらった気がします。