常態化している「犯罪の低年齢化」を一刻も早く食い止めるには「徳目教育」が不可欠である

2005年07月01日 22時49分36秒 | 社会
長崎誘拐殺人から2年、被害男児の父親が手記 (読売新聞) - goo ニュース

 長崎市の中学生による幼児殺害事件が起きてから丸2年になる。この事件の記憶がまだ新しいうちに、同じ長崎県の佐世保市で、毎日新聞社佐世保支局長の一人娘の小学生が、女子の同級生に刺殺される事件が発生しており、「犯罪の低い年齢化」という言葉が、すでに常体化し、小学生や中学生、高校生による凶悪犯罪が後を絶たない。
 6月30日には高知県土佐市の私立明徳義塾高校(吉田圭一校長)で3年生の少年が同級生をナイフで刺す殺人未遂事件が起きた。 少年が開設しているホーム・ページに「明日こそは殺そう」など書き込まれていたという。数日前、校内で身体が触れたことから口論になり、悪口を言われるようになったことへの恨みらしい。
 山口県光高校3年生が隣のクラスに火炎瓶を投下、東京都板橋区の高校1年生が父を撲殺、母を刺殺したうえ時限爆弾を爆発、福岡県では弟が兄を刺殺するなど少年による凶悪事件が多発している。 「イジメへの仕返し」「父に馬鹿にされた恨み」など感情的なもつれが原因だが、バーチャルな世界で殺人ゲーム遊びに熱中し、現実の生死が区別ができず、感情を抑制できない少年が増加している現状がある。これからも似たような事件が発生する可能性が高く、警察や教育関係者を悩ましている。
 いま考えてみても、長崎市の中学生による幼児殺害事件は、言葉に詰まるほどである。12歳の中学生は、4歳の子どもを駐車場の上から突き落として殺した。しかも、幼児の男性器をナイフで切り落としており、幼児は、絶叫したそうである。
 大人であれば、無期懲役か極刑を免れない大事件であるが、14歳未満ということで、刑法では罰せられない。この中学生は犯罪者として扱われない。被害者は「殺され損」であり、遺族の無念さは想像に絶する。
 この事件は、
 ①犯人である中学生の両親が離婚し復縁した経緯が起因し「人格形成過程」に何らかの影響を与えている。
 ②母親が、一人っ子である犯人を溺愛しすぎ、忍耐力をつける訓練を怠った。
 ③ゲームに熱中し仮想現実と現実との境界があいまいになった。 ④犯人は、ふざけ合ったり、冗談を言い合ったりする友人がいなかったため、自分より弱い幼児に興味を持ちすぎた。
 ⑤子どもから大人に移る際、身体と精神のバランスが崩れ、性的サディズムに陥った。 などの原因が考えられる。
 幼児が犠牲になった事件といえば、埼玉県内では、かつて「宮崎勤」による幼児連続殺人事件が起きており、未だに記憶に残っている。宮崎勤事件の後に、「サカキバラセイト」事件、大阪教育大学付属池田小学校事件などが起きている。
 今回もこの事件がキッカケになり類似の事件が再び起きないとも限らない。犯罪というのは、「伝染」し「模倣」される性質を持っているからである。

〔少年犯罪の兆候を見逃さない〕
 当面は、こうした犯罪が地域社会で発生しないように、警察はもちろん、地域住民も一緒になって警戒を強めなくてはならない。
 犯罪には、必ず「兆候」あるいは「前兆」というものが現れますから、どんなに「ささいなこと」でも見逃さないようにする必要がある。
 「落書き」も「兆候」の一つです。アメリカ・ニューヨークのジュリアーニ前市長は、犯罪撲滅に立ち上がったとき、真っ先に街角のあちこちに書かれていた「落書き」を消すことから始めて、大成功したと言われている。街が汚れれば、犯罪を誘発し、街がきれいになれば、犯罪が少なくなるという法則を実証してみせてくれたのである。

〔埼玉県内で街頭犯罪が倍増〕
 また、埼玉県内でも、街頭犯罪五種といわれる自転車盗、オートバイ盗、自販機荒し、ひったくり、路上強盗事件が平成十四年には六万五七二八件発生しており、これは全刑法犯の三七%、十年前の一・二倍になっている。このうち、とくに自転車盗、オートバイ盗は高原状態、ひったくり、路上強盗は、激増状態だそうである。街頭犯罪五種は、少年犯罪が主体であるというのも問題である。

〔町内での声かけが防犯に効果的〕
 少年非行というのは、「初発型非行」といわれる自転車盗、オートバイ盗から、自動販売機荒し、あるいは、ひったくり、路上強盗へと進行・悪化する傾向があるので、少年犯罪は早い時期に芽を摘み、凶悪な犯行に走らせないようにすることが大切である。
 住宅地では、ピッキングなどによる窃盗が急増しており、強盗・殺人事件に発展する危険もある。こうした犯罪を防ぐには、ご近所どうしが、挨拶を交わしたり、町内で不審な人物を見かけたら、やはり声をかけて見ることも効果的である。泥棒は、声をかけられると大体が、犯行を断念するそうである。地域住民が、共同体意識を持ち、「安全・安心」な街づくりに力を合わせていくように心がけよう。

 ちなみに、こんな痛ましい殺人事件が連続している原因の一つは文部科学省による戦後の教育行政、とくに「初等中等教育」に重大な欠陥があるからではないかと考える。
 賛否はあろうが、「徳目」を小学生のときからしっかりと叩き込むよう現場の教師を指導してこなかった責任は、極めて大きい。
 異論はあるだろうが、やはり「教育勅語」が戦前に果たした教育効果というものを再評価すべきではないか。明治天皇が勅令によって臣民に発せられたのが、「教育勅語」ではある。明治天皇が学校現場に行幸されたとき、児童生徒が、わけもわからず英語を勉強し知育に偏重していることを憂慮され、「徳目」の大切さを痛感されて、「教育勅語」の作成を文部省に命じられたという。
 形式はともかくとして、この「教育勅語」には、儒教とフランス革命精神とが混在していることに目を向けよう。

「教育勅語」
朕惟ふに我か皇祖皇宗国を肇むること宏遠に徳を樹つること深厚なり我か臣民克く忠に克く孝に億兆心を一にして世々厥の美を済せるは此れ我か国体の精華にして教育の淵源亦実に此に存す爾臣民父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信し恭倹己を持し博愛衆に及ほし学を修め業を習い以て知能を啓発し徳器を成就し進て公益を広め世務を開き常に国憲を重し国法に遵ひ一旦緩急あれば義勇公に奉し以て天壤無窮の皇運を扶翼すへし是の如きは独り朕か忠良の臣民たるのみならす又以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん斯の道は実に我か皇祖皇宗の遺訓にして子孫臣民の但に遵守すへき所之を古今に通して謬らす之を中外に施して悖らす朕爾臣民と但に拳々服庸して咸其の徳を一にせんことを庶幾ふ
                  明治二十三年十月三十日
  御名御璽

 この教育勅語の「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信し恭倹己を持し」は、儒教の教えであり、「博愛衆に及ほし」は、フランス革命時の「自由平等博愛」の「博愛」である。
 「学を修め業を習い以て知能を啓発し徳器を成就し」は、やはり儒教の教えを反映している。
 「常に国憲を重し国法に遵ひ一旦緩急あれば義勇公に奉し以て天壤無窮の皇運を扶翼すへし」は、近代国家である「国民国家」の国民(臣民)であれば言わずもがなの当然の義務である。とくに国土防衛は「民族の生存」のためには、不可欠の義務であることは、言うを待たない。





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