2・26事件、将校ら17人の遺書発見 (読売新聞) - goo ニュース
「2.26事件」で死刑判決を受けて処刑された青年将校ら17人分の遺書45枚が69年ぶりに見つかったと読売新聞が12日付朝刊で報じた。読売新聞の「トクダネ」である。この日は昭和11年7月12日の処刑日に当たり、将校らの遺族がつくる「仏心会」が「70回忌」を営んでいる。
「2.26事件」は、「日本史」の1ページを彩る「過去の事実」として、いまやすでに「風化」しつつある。自由で民主主義の国家である平和な日本という位置から、69年前を振り返っても、当時の実感を共有することは、もはや不可能に近い。これは、中国や韓国から、「歴史認識」を問われても、容易に「反省」や「謝罪」することが、現代人にとって、ほとんど儀礼的にしか対応できないことと同様である。
だが、青年将校らが処刑前に入っていた陸軍刑務所の看守に宛てた「大君に 御國思ひて 斃れける 若き男乃子の心捧げん」(栗原安秀中尉)などという遺書が、69年ぶりに発見されたという報道に接すると、「時空」を超えて、当時の青年将校たちの最期の「叫び」がにわかに蘇ってくるような不思議な気分にとらわれる。
昭和11年2月26日、歩兵第1・3連隊などの皇道派青年将校が、兵1400人を率いて首相・陸相官邸、警視庁などを襲撃、蔵相・高橋是清、内大臣・斉藤実、教育総監・渡辺錠太郎を殺害、侍従長・鈴木貫太郎に重傷を負わせ、国家改造を要求。岡田首相は危うく難を逃れた。軍事参議官会議は、反乱軍を警備部隊に編入、天皇、侍従武官長・本庄繁に鎮圧を督促。内相・後藤文夫を首相臨時代理に任命。内閣、辞表を捧呈。27日、東京市に戒厳令布告。29日、戒厳部隊は、反乱軍を包囲して、討伐行動を開始、反乱部隊降服、青年将校逮捕。(埼玉県の畑和・元知事が、反乱軍の兵士のなかにいて、このときの回想録から、小生は「兵士たちの2.26事件」を教えられたことがある)
大体、こんな経緯で、青年将校の「クーデタ」は、失敗したのであった。失敗の最大の原因は、「準備不足」、「下士官・兵を騙したこと」にあり、とくに、「昭和天皇」を「確保」できなかった点にある。「クーデタ」は、成功すれば、「軍事政権樹立」となり、失敗すれば、「死刑」となるのは、当たり前である。政治というものは、非情である。
「社稷を思わない政治家・軍閥・財閥」に「天誅」を与えて「世直し」を志した青年将校たちの気概に異議を唱える者は、案外に少ないのであるが、青年将校たちにとって、最大の誤算は、昭和天皇に誉められようと思って決起し、クーデタに走ったものの、昭和天皇を「不快」にさせたことだった。だから、直ぐに「鎮圧」されてしまったのである。陸軍上層部は、青年将校の反乱を逆用して「軍閥政治」を確立し、その果てに日本は、東条英機ら軍閥の下で大東亜戦争に突入していくことになる。
今日、東条英機ら軍閥の戦争責任を追及する声が、一般的であるが、それは、一面的である。最も悪いのは、軍閥ではなく、軍閥に跳梁跋扈されるに至った「政党政治家」「東京帝国大学法学部卒の高級官僚」「財閥」であった。とくに世界大恐慌以来、経済が破綻し、東北地方の農村における「娘の売買」という悲惨な状況を放置した政治家、財界人、そして学者、マスコミの責任は極めて重い。 このことを忘れては、大東亜戦争の責任問題は、語れない。程度の差こそあれ、今日においても、悲惨な状況は続いている。自殺者が毎年3万4〇〇〇人前後も出ており、ホームレスが全国に2万4000人もいるという現実である。
政治家は、軍隊や警察という「武装集団」が、いつ「クーデタ」を起こしかもしれないという恐れを持って、政治を行うべきである。また、社会党の浅沼稲次郎委員長が、日比谷公会堂で山口乙矢に刺殺されたり、朝日新聞神戸支局が「赤報隊」を名乗る集団に襲撃されて支局員が殺されてしまったような「テロ事件」が、今後起こらないとも限らない。ロンドンで起きたような「同時多発テロ事件」が、東京でも起こるのではないかと取り沙汰されている昨今である。政治家ばかりでなく、何の罪もない一般市民まで巻き添いにされる事件が多発している現実に一層の危機感を持つべきは、政治家である。政治は、遊びでもゲームでもない。油断していると「凶弾」「凶刃」に襲われる危険がある。政治家は「命」を賭けて「経世済民」「先憂後楽」の仕事を行う職業である。
こういう意味から、日本の政治家もこれまで以上に「緊張感」を持って政治を行う必要がある。「2.26事件」に関わって死刑判決を受けて処刑された青年将校らの「命日」に「遺書」が見つかったのを機会に、政治家は、その「責任の重さ」を再発見しなくてはならない。
「2.26事件」で死刑判決を受けて処刑された青年将校ら17人分の遺書45枚が69年ぶりに見つかったと読売新聞が12日付朝刊で報じた。読売新聞の「トクダネ」である。この日は昭和11年7月12日の処刑日に当たり、将校らの遺族がつくる「仏心会」が「70回忌」を営んでいる。
「2.26事件」は、「日本史」の1ページを彩る「過去の事実」として、いまやすでに「風化」しつつある。自由で民主主義の国家である平和な日本という位置から、69年前を振り返っても、当時の実感を共有することは、もはや不可能に近い。これは、中国や韓国から、「歴史認識」を問われても、容易に「反省」や「謝罪」することが、現代人にとって、ほとんど儀礼的にしか対応できないことと同様である。
だが、青年将校らが処刑前に入っていた陸軍刑務所の看守に宛てた「大君に 御國思ひて 斃れける 若き男乃子の心捧げん」(栗原安秀中尉)などという遺書が、69年ぶりに発見されたという報道に接すると、「時空」を超えて、当時の青年将校たちの最期の「叫び」がにわかに蘇ってくるような不思議な気分にとらわれる。
昭和11年2月26日、歩兵第1・3連隊などの皇道派青年将校が、兵1400人を率いて首相・陸相官邸、警視庁などを襲撃、蔵相・高橋是清、内大臣・斉藤実、教育総監・渡辺錠太郎を殺害、侍従長・鈴木貫太郎に重傷を負わせ、国家改造を要求。岡田首相は危うく難を逃れた。軍事参議官会議は、反乱軍を警備部隊に編入、天皇、侍従武官長・本庄繁に鎮圧を督促。内相・後藤文夫を首相臨時代理に任命。内閣、辞表を捧呈。27日、東京市に戒厳令布告。29日、戒厳部隊は、反乱軍を包囲して、討伐行動を開始、反乱部隊降服、青年将校逮捕。(埼玉県の畑和・元知事が、反乱軍の兵士のなかにいて、このときの回想録から、小生は「兵士たちの2.26事件」を教えられたことがある)
大体、こんな経緯で、青年将校の「クーデタ」は、失敗したのであった。失敗の最大の原因は、「準備不足」、「下士官・兵を騙したこと」にあり、とくに、「昭和天皇」を「確保」できなかった点にある。「クーデタ」は、成功すれば、「軍事政権樹立」となり、失敗すれば、「死刑」となるのは、当たり前である。政治というものは、非情である。
「社稷を思わない政治家・軍閥・財閥」に「天誅」を与えて「世直し」を志した青年将校たちの気概に異議を唱える者は、案外に少ないのであるが、青年将校たちにとって、最大の誤算は、昭和天皇に誉められようと思って決起し、クーデタに走ったものの、昭和天皇を「不快」にさせたことだった。だから、直ぐに「鎮圧」されてしまったのである。陸軍上層部は、青年将校の反乱を逆用して「軍閥政治」を確立し、その果てに日本は、東条英機ら軍閥の下で大東亜戦争に突入していくことになる。
今日、東条英機ら軍閥の戦争責任を追及する声が、一般的であるが、それは、一面的である。最も悪いのは、軍閥ではなく、軍閥に跳梁跋扈されるに至った「政党政治家」「東京帝国大学法学部卒の高級官僚」「財閥」であった。とくに世界大恐慌以来、経済が破綻し、東北地方の農村における「娘の売買」という悲惨な状況を放置した政治家、財界人、そして学者、マスコミの責任は極めて重い。 このことを忘れては、大東亜戦争の責任問題は、語れない。程度の差こそあれ、今日においても、悲惨な状況は続いている。自殺者が毎年3万4〇〇〇人前後も出ており、ホームレスが全国に2万4000人もいるという現実である。
政治家は、軍隊や警察という「武装集団」が、いつ「クーデタ」を起こしかもしれないという恐れを持って、政治を行うべきである。また、社会党の浅沼稲次郎委員長が、日比谷公会堂で山口乙矢に刺殺されたり、朝日新聞神戸支局が「赤報隊」を名乗る集団に襲撃されて支局員が殺されてしまったような「テロ事件」が、今後起こらないとも限らない。ロンドンで起きたような「同時多発テロ事件」が、東京でも起こるのではないかと取り沙汰されている昨今である。政治家ばかりでなく、何の罪もない一般市民まで巻き添いにされる事件が多発している現実に一層の危機感を持つべきは、政治家である。政治は、遊びでもゲームでもない。油断していると「凶弾」「凶刃」に襲われる危険がある。政治家は「命」を賭けて「経世済民」「先憂後楽」の仕事を行う職業である。
こういう意味から、日本の政治家もこれまで以上に「緊張感」を持って政治を行う必要がある。「2.26事件」に関わって死刑判決を受けて処刑された青年将校らの「命日」に「遺書」が見つかったのを機会に、政治家は、その「責任の重さ」を再発見しなくてはならない。