横田の管制権、返還で日米大筋合意…民間機に一部開放 (読売新聞) - goo ニュース
日米両国政府が、在日米軍再編協議の焦点の一つである米軍横田基地(東京都福生市など)について、航空管制業務(横田ラプコン)を日本側へ返還することで大筋合意していることが16日、明らかになった、と読売新聞が17日付朝刊で報じた。
横田基地の返還は、日本側の悲願だが、この合意が本当だとすれば、全面返還に向けての第一歩となる。
米軍の軍用機が飛び交うこの空域に、民間機が入るのは禁止されている。東京上空は、民間機がラッシュ状態にあり、常に危険にさらされている。そのうえ、羽田空港に離着陸する民間機は、横田基地が存在しているため、極めて限られた狭い空域を飛び交い、常に「ニアミス」の危険にさらされている。このため日米両国政府は、今回の協議では「横田ラプコンの対象空域の一部を民間機の飛行ルートに開放することでも合意し、現在、空域の削減幅を調整中」という。
日米安保条約上、横田基地が、極めて重要な役割と機能を果しているのは、十分に理解できる。だが、戦後60年にもなろうとしているのに、首都圏のしかも住宅密集地の近くに軍用基地が未だに存在しているという姿は、「独立国」としては、尋常ではない。
横田基地の返還については、東京都の石原慎太郎知事が、最初の知事選挙で「公約」の一つに掲げ、アメリカ政府にも要請を続けてきている。その努力が、一部実現したような格好になる。だが、全面返還には、程遠い。
私は平成15年10月10日付で、「石原慎太郎の日本を救う決断」(青春出版社刊)という本を上梓した。「第5章 大統領『都知事』の国策への布石」のなかで、「米軍横田基地の返還問題に風穴を開ける」という項目で、以下のように解説した。
「次に兵革の災への挑戦である。日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)に敗れて、連合国軍(GHQ)に占領され、平和憲法を授けられて以来、『憲法第9条』の規定に従い、『戦争の永久放棄』と『戦力の不保持』を堅持し、アメリカの核の傘の下で平和を享受してきた。この結果、日本と戦争とは無縁のものと錯覚し、ついには国民の多くが『平和ボケ』の状態にどっぷりと漬かってきた。
しかし、戦後間もなく勃発した朝鮮戦争から、ベトナム戦争、さらにイラン・イラク戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争と次から次へと戦争が起こり、そのなかで日本は、単なる『資金協力』に留まらない、『血の犠牲』を伴う『国際貢献』を求められて自衛隊派遣を迫られ、いやがうえにも戦争に引きずり込まれている。この結果、『憲法第9条』が、空文化の一途をたどっているのである。ブッシュ政権のイラク攻撃に対していち早く『支持』を表明した小泉首相の姿勢について、石原慎太郎は、
『やっぱりご主人(アメリカ)の言うことを聞かなきゃいけないという、苦渋の選択はあったと思うね。だけど、今はもうそろそろシャンとしなきゃダメよ』
と苦言を呈している。
こうした一連の歴史的流れのなかで、石原慎太郎は、連合国軍(GHQ)の占領が終わった後も依然として『占領状態』になっている米軍横田基地の返還問題に風穴を開けようとしている。
『日本というのはダメなんですよ。自分の問題だけどアメリカが動かないと動かない。こういう問題はね、ですから、向こうからボールを逆に投げさせるというのは、一種の外圧でしょうけど、私は必要な手立てだと思って準備もしてます』」
読売新聞は、「一方、東京都は横田基地への民間航空機の乗り入れなども求めているが、日米間の交渉は難航している」と報じており、「風穴」を一気に大きくするのは、難しそうである。それでも「外交交渉」というものは、粘り強く続けていかなければ、こちらの「要求」を実県することはできない。「主張」しなければ、権利を回復することは、できないのである。民法の原則に「権利の上に眠る者は保護されず」というのがあるが、権利を持っていても主張しなければ、「無権利状態」になりかねないのであるから、ましてや「権利を回復」するには、よほど強く、しつこく、諦めず要求し続けていかねばならないのである。東京都知事が主張できるのは、自治体の権限内のことに限られる。「防衛問題」「安保問題」は、「国政マター」である。石原都知事が、自ら本気で横田基地返還を実現しようと思っているのなら、やはり「総理大臣」になるしかないようである。
日米両国政府が、在日米軍再編協議の焦点の一つである米軍横田基地(東京都福生市など)について、航空管制業務(横田ラプコン)を日本側へ返還することで大筋合意していることが16日、明らかになった、と読売新聞が17日付朝刊で報じた。
横田基地の返還は、日本側の悲願だが、この合意が本当だとすれば、全面返還に向けての第一歩となる。
米軍の軍用機が飛び交うこの空域に、民間機が入るのは禁止されている。東京上空は、民間機がラッシュ状態にあり、常に危険にさらされている。そのうえ、羽田空港に離着陸する民間機は、横田基地が存在しているため、極めて限られた狭い空域を飛び交い、常に「ニアミス」の危険にさらされている。このため日米両国政府は、今回の協議では「横田ラプコンの対象空域の一部を民間機の飛行ルートに開放することでも合意し、現在、空域の削減幅を調整中」という。
日米安保条約上、横田基地が、極めて重要な役割と機能を果しているのは、十分に理解できる。だが、戦後60年にもなろうとしているのに、首都圏のしかも住宅密集地の近くに軍用基地が未だに存在しているという姿は、「独立国」としては、尋常ではない。
横田基地の返還については、東京都の石原慎太郎知事が、最初の知事選挙で「公約」の一つに掲げ、アメリカ政府にも要請を続けてきている。その努力が、一部実現したような格好になる。だが、全面返還には、程遠い。
私は平成15年10月10日付で、「石原慎太郎の日本を救う決断」(青春出版社刊)という本を上梓した。「第5章 大統領『都知事』の国策への布石」のなかで、「米軍横田基地の返還問題に風穴を開ける」という項目で、以下のように解説した。
「次に兵革の災への挑戦である。日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)に敗れて、連合国軍(GHQ)に占領され、平和憲法を授けられて以来、『憲法第9条』の規定に従い、『戦争の永久放棄』と『戦力の不保持』を堅持し、アメリカの核の傘の下で平和を享受してきた。この結果、日本と戦争とは無縁のものと錯覚し、ついには国民の多くが『平和ボケ』の状態にどっぷりと漬かってきた。
しかし、戦後間もなく勃発した朝鮮戦争から、ベトナム戦争、さらにイラン・イラク戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争と次から次へと戦争が起こり、そのなかで日本は、単なる『資金協力』に留まらない、『血の犠牲』を伴う『国際貢献』を求められて自衛隊派遣を迫られ、いやがうえにも戦争に引きずり込まれている。この結果、『憲法第9条』が、空文化の一途をたどっているのである。ブッシュ政権のイラク攻撃に対していち早く『支持』を表明した小泉首相の姿勢について、石原慎太郎は、
『やっぱりご主人(アメリカ)の言うことを聞かなきゃいけないという、苦渋の選択はあったと思うね。だけど、今はもうそろそろシャンとしなきゃダメよ』
と苦言を呈している。
こうした一連の歴史的流れのなかで、石原慎太郎は、連合国軍(GHQ)の占領が終わった後も依然として『占領状態』になっている米軍横田基地の返還問題に風穴を開けようとしている。
『日本というのはダメなんですよ。自分の問題だけどアメリカが動かないと動かない。こういう問題はね、ですから、向こうからボールを逆に投げさせるというのは、一種の外圧でしょうけど、私は必要な手立てだと思って準備もしてます』」
読売新聞は、「一方、東京都は横田基地への民間航空機の乗り入れなども求めているが、日米間の交渉は難航している」と報じており、「風穴」を一気に大きくするのは、難しそうである。それでも「外交交渉」というものは、粘り強く続けていかなければ、こちらの「要求」を実県することはできない。「主張」しなければ、権利を回復することは、できないのである。民法の原則に「権利の上に眠る者は保護されず」というのがあるが、権利を持っていても主張しなければ、「無権利状態」になりかねないのであるから、ましてや「権利を回復」するには、よほど強く、しつこく、諦めず要求し続けていかねばならないのである。東京都知事が主張できるのは、自治体の権限内のことに限られる。「防衛問題」「安保問題」は、「国政マター」である。石原都知事が、自ら本気で横田基地返還を実現しようと思っているのなら、やはり「総理大臣」になるしかないようである。