「法の華三法行」元代表、福永被告に懲役12年判決 (朝日新聞) - goo ニュース
東京地裁の青柳勤裁判長は15日、詐欺罪に問われている宗教法人「法の華三法行」(解散)の元教団代表・福永法源被告(60)に懲役12年(求刑13年)、元教団責任役員・前沢あけみ被告(41)に懲役4年(同6年)の判決を言い渡した。
青柳裁判長は「相談に訪れた人の不安をあおり立て、宗教の名の下に金銭的欲望を満たそうとした」と判決理由を述べている。
「最高ですか~」と演壇から信者たちに向かって大声を張り上げていた光景が、テレビ映像に映し出されていたのが、いまなお鮮明に思い出される。
医師でもないのに「足裏診断」と称して病気を診断したり、「お釈迦様の骨、仏舎利と称して、サンゴに法外な値段をつけて信者に買わせたり、富士山麓に豪華な宗教施設をつくり、世間を驚かせたりと、話題に事欠かなかった。
福永被告は、山口県にある小さな宗教団体の信者から宗教活動にかかわるようになり、「出版型の宗教団体」が多くの信者を増やして繁盛しているのに目をつけてマネをしようと思いつき、「法の華三法行」と称する宗教団体をつくり、東京都内の出版社から自費出版で出した本をツールにして布教活動を展開し、病気などに悩む人々を信者にして行った。同じような手口で教団を増殖させたのが、「オウム真理教」の麻原彰晃であった。こちらは、「サリン」によるテロ事件を起こして、何の罪もない多くの市民を殺傷して、アメリカからは、「国際テロ集団」に認定されている。一方、やはり「出版型の宗教団体」でありながら成功しているのは、「幸福の科学」である。
教義を伝播させて多数の信者を獲得する近道が「出版」にあるというのは、グーテンベルクが印刷技術を開発し、これをフルに活用したプロテスタントが「聖書」の普及して実証している。「聖書」は永遠のベストセラーズなのである。出版は、人々をマインドコントロールにかける有力な武器なのである。
しかし、印刷技術を活用するのはよいとしても、「悪用」されては困る。福永法源被告は、その最悪な見本である。
個々の人間というのは、精神的には弱いものである。「四苦八苦」(「生老病死」「愛別離苦・求不得苦・怨憎会苦・五陰盛苦」)悩まされるのが、人間であり、宿業ともいえる。
この弱みに付け込むのが、「金銭・財産目当て」の悪徳宗教家である。不幸を感じている人は、大金をはたいてでも、そこから何とか逃れようとする。「苦」から解放されて、「楽」になれれば、大金など安いものだと考えてしまう。どこから仕入れてきたのかわからないような「サンゴ」を売りつけられて、ついつい買ってしまうのである。伝統的な宗教団体でも、「供養」や「戒名」「墓地」などに高い値段をつけて信者や檀家から大金を巻き上げている。僧侶は、信者の懐具合を推し量りながら、勝手に釣り上げる。この世界では、「定価」というものがないからである。
また、やはり伝統的な宗教団体のなかには、僧侶の本務を信者に押しつけて、「新しい信者」の獲得に専念させている者も少なくない。僧侶から説法のなかで、繰り返し繰り返し「信者を増やせ」と言われれば、「地獄に落ちたくないから」とか「信者を増やせば、罪業を切れるから」とか思い込んで、自分の仕事や家庭をそっちのけで、信者獲得に熱中し、なかには、身代を食いつぶしている信者もいるのである。
福永法源被告に対する判決を読みながら、一つの教訓が脳裏に浮かんできた。それは、「三井財閥」の創業者である三井高利の遺訓を家法の基本とすべく書き残した、高利の子・高平(宗竺)の遺書である。その一節にこう書いている。
「一 仏神を敬い儒学を心掛け候事は人道に候。しかれども、いずれにても過ぎ候えば、身の家業をおこたり、おのずと異形の人のように罷り成り候。仏に志し過ぎたるものは出家のごとく、神道にたより候えば、禰宜・巫のようになり、儒者は利に屈し、人をあなどる。おのずと商売うとくなり、家滅す。各それぞれの行作あり。しかるに外の事に気を移し、代々の家職疎略に致し候事、仏神の妙慮に叶うべき哉。また仏神のために金銀財宝をなげうち、莫大の費え致し候事大きなるひが事と存じ候。仏神はその人の心にあり。しかるを金銀出して善を調え候ようなる事はあるまじく候」
こう言いながら、三井高利は、実に信仰心の厚い人で、自分で寺を建てて、仏を供養し、祖先を尊崇していた。大変、タメになる遺訓である。
東京地裁の青柳勤裁判長は15日、詐欺罪に問われている宗教法人「法の華三法行」(解散)の元教団代表・福永法源被告(60)に懲役12年(求刑13年)、元教団責任役員・前沢あけみ被告(41)に懲役4年(同6年)の判決を言い渡した。
青柳裁判長は「相談に訪れた人の不安をあおり立て、宗教の名の下に金銭的欲望を満たそうとした」と判決理由を述べている。
「最高ですか~」と演壇から信者たちに向かって大声を張り上げていた光景が、テレビ映像に映し出されていたのが、いまなお鮮明に思い出される。
医師でもないのに「足裏診断」と称して病気を診断したり、「お釈迦様の骨、仏舎利と称して、サンゴに法外な値段をつけて信者に買わせたり、富士山麓に豪華な宗教施設をつくり、世間を驚かせたりと、話題に事欠かなかった。
福永被告は、山口県にある小さな宗教団体の信者から宗教活動にかかわるようになり、「出版型の宗教団体」が多くの信者を増やして繁盛しているのに目をつけてマネをしようと思いつき、「法の華三法行」と称する宗教団体をつくり、東京都内の出版社から自費出版で出した本をツールにして布教活動を展開し、病気などに悩む人々を信者にして行った。同じような手口で教団を増殖させたのが、「オウム真理教」の麻原彰晃であった。こちらは、「サリン」によるテロ事件を起こして、何の罪もない多くの市民を殺傷して、アメリカからは、「国際テロ集団」に認定されている。一方、やはり「出版型の宗教団体」でありながら成功しているのは、「幸福の科学」である。
教義を伝播させて多数の信者を獲得する近道が「出版」にあるというのは、グーテンベルクが印刷技術を開発し、これをフルに活用したプロテスタントが「聖書」の普及して実証している。「聖書」は永遠のベストセラーズなのである。出版は、人々をマインドコントロールにかける有力な武器なのである。
しかし、印刷技術を活用するのはよいとしても、「悪用」されては困る。福永法源被告は、その最悪な見本である。
個々の人間というのは、精神的には弱いものである。「四苦八苦」(「生老病死」「愛別離苦・求不得苦・怨憎会苦・五陰盛苦」)悩まされるのが、人間であり、宿業ともいえる。
この弱みに付け込むのが、「金銭・財産目当て」の悪徳宗教家である。不幸を感じている人は、大金をはたいてでも、そこから何とか逃れようとする。「苦」から解放されて、「楽」になれれば、大金など安いものだと考えてしまう。どこから仕入れてきたのかわからないような「サンゴ」を売りつけられて、ついつい買ってしまうのである。伝統的な宗教団体でも、「供養」や「戒名」「墓地」などに高い値段をつけて信者や檀家から大金を巻き上げている。僧侶は、信者の懐具合を推し量りながら、勝手に釣り上げる。この世界では、「定価」というものがないからである。
また、やはり伝統的な宗教団体のなかには、僧侶の本務を信者に押しつけて、「新しい信者」の獲得に専念させている者も少なくない。僧侶から説法のなかで、繰り返し繰り返し「信者を増やせ」と言われれば、「地獄に落ちたくないから」とか「信者を増やせば、罪業を切れるから」とか思い込んで、自分の仕事や家庭をそっちのけで、信者獲得に熱中し、なかには、身代を食いつぶしている信者もいるのである。
福永法源被告に対する判決を読みながら、一つの教訓が脳裏に浮かんできた。それは、「三井財閥」の創業者である三井高利の遺訓を家法の基本とすべく書き残した、高利の子・高平(宗竺)の遺書である。その一節にこう書いている。
「一 仏神を敬い儒学を心掛け候事は人道に候。しかれども、いずれにても過ぎ候えば、身の家業をおこたり、おのずと異形の人のように罷り成り候。仏に志し過ぎたるものは出家のごとく、神道にたより候えば、禰宜・巫のようになり、儒者は利に屈し、人をあなどる。おのずと商売うとくなり、家滅す。各それぞれの行作あり。しかるに外の事に気を移し、代々の家職疎略に致し候事、仏神の妙慮に叶うべき哉。また仏神のために金銀財宝をなげうち、莫大の費え致し候事大きなるひが事と存じ候。仏神はその人の心にあり。しかるを金銀出して善を調え候ようなる事はあるまじく候」
こう言いながら、三井高利は、実に信仰心の厚い人で、自分で寺を建てて、仏を供養し、祖先を尊崇していた。大変、タメになる遺訓である。