郵政法案、5票差で衆院通過 反対票の副大臣ら4人更迭 (朝日新聞) - goo ニュース
郵政民営化法関連案が5日の衆院本会議で、自民、公明両党の賛成多数で可決し、参議院に送付された。賛成233、反対228を5票上回る僅差。自民党内で反対37人をはじめ棄権、欠席など51人が造反し、小泉政権の求心力の弱さを露呈し、参議院で可決成立できるかどうか。総裁任期満了まで1年2か月余を残し、「死に体」になりつつあることがはっきりしてきた。
小泉首相は、参議院で否決された場合、直ちに衆議院の解散・総選挙に打って出るか、一旦、継続審議にしたまま、秋の臨時国会での成立を図るかの決断を迫られている。国民の立場に立てば、小泉首相には、思い切って解散・総選挙を断行して欲しい。ダメな政治家は、有権者が、どんどん落選させればよい。
郵政民営化をめぐっては、賛否両論が真っ向から激突している割には、国民の関心が薄い。郵政民営化よりも優先的に審議すべき政策課題があるからというのが、最大の理由である。国民に十分な理解を得られないのは、ひとえに小泉首相の責任であることは言うまでもない。
だが、小泉首相が、「ワンフレーズ」でズバリ国民の心をとらえるのを得意としてきたはずなのに、この郵政民営化では、なぜ国民をスパッと理解させる「ワンフレーズ」が、小泉首相の口から出てこないのか。「官から民へ」というフレーズが、郵政民営化ではインパクトを持っていないのである。
それは、郵便制度の成立ちのなかに主な原因があるのではないだろうか。つまり、明治維新以降、さまざまな産業が、「官営」から始まり、後に「払下げ方式」により、民間の事業として移管されたのに対して、郵便制度は、明治政府という「官」が、庄屋・名主という「民」に「官」の役目を委託したところから始まった。郵便局長に委嘱された庄屋・名主に「官吏」、戦後は「公務員」という身分を与えた。もともと「民」の財産をベースにして郵便局長が任命されていたので、その身分が「世襲」となるのは、当たり前のことであった。いまごろ、「特定郵便局長という公務員が世襲というのはおかしい」という議論があるけれど、それは、郵便局の成立ちを知らない「無知」からきている。
従って、小泉首相が、「官を民へ」というワンフレーズが、説得力を持たないのである。庄屋や名主の子孫である特定郵便局長にしてみれば、もともと父祖伝来の財産を「官」に利用させてきたからである。
だから、小泉首相が、郵政民営化を言うならば、「官から民へ」ではなく、「お役目御苦労さん、元の民へ」と言えば、実態を正確に反映するフレーズになったはずである。つまり、一見「官」に見える特定郵便局は、もともと「官営」ではなく、「民」の基盤の上に成り立っていたのであるから、ほかの産業、たとえば鉄鋼業などのような「払下げ」とは根本的に性格を異にしていた。ワンフレーーズで言うならば、国策により「官」にされていた庄屋・名主の財産の上に成り立っていた特定郵便局を「元の民への解放」と言えば正確な言い方となろう。
ここのところが、一般国民には理解し難いところであり、政治家のなかにも、正しく理解している人が少ないために、群盲象を撫でるが如き、議論百出したとも言える。
現実の郵便局を見れば、国民にとって大変便利な存在であり、何も今更、民営化などする必要がない立派な制度である。
しかし、「官営」である現在の郵便局ですら、これほど国民の支持を得ているのであるから、「資本主義本来」の「民営」に原点復帰すれば、庄屋・名主が135年前に、それぞれの資産を基礎に郵便事業を始めたと思えば、「官営」による統制から解放されて、新たに「コンビニ事業」までできる新しい事業体として、思う存分、ビジネスを展開できるはずである。つまり、特定郵便局にとって、「民営」の方が、得なのである。
この民営化により、封建制度の残滓として続いてきた特定郵便局を真の資本主義体制のなかでの事業として、より発展させることがが可能となる。むしろ、現在よりも「民営化」された方が、前途洋々なのである。
自民党の「反対派」は、こうした歴史的使命を終えた特定郵便局の功績とこれから新たな使命を担う郵便事業のあり方について、理解が浅く、依然として「封建意識」にとらわれ過ぎているように見える。この封建体制の残滓が、実は、自民党という「保守勢力」の基盤、あるいは岩盤だったことから、この支持基盤が崩壊するのを恐れる余り、郵政民営化に反対しているとも言える。
だが、いつまでも「封建制度の遺物」にばかりしがみつき、頼っていては、自民党が今後も政権政党であることはできないだろう。同じことは、民主党にも言えるのである。もっと未来を見据えて、新しい郵便事業を構想できないのであろうか。最近の政治家の「構想力」の貧弱さは、実に嘆かわしい限りである。郵便制度の創設者である前島密が、135年後の今日を見通して、何を考えていたかをいま一度振り返り、文献などから、前島密の考えを探ってみる必要がある。
郵政民営化法関連案が5日の衆院本会議で、自民、公明両党の賛成多数で可決し、参議院に送付された。賛成233、反対228を5票上回る僅差。自民党内で反対37人をはじめ棄権、欠席など51人が造反し、小泉政権の求心力の弱さを露呈し、参議院で可決成立できるかどうか。総裁任期満了まで1年2か月余を残し、「死に体」になりつつあることがはっきりしてきた。
小泉首相は、参議院で否決された場合、直ちに衆議院の解散・総選挙に打って出るか、一旦、継続審議にしたまま、秋の臨時国会での成立を図るかの決断を迫られている。国民の立場に立てば、小泉首相には、思い切って解散・総選挙を断行して欲しい。ダメな政治家は、有権者が、どんどん落選させればよい。
郵政民営化をめぐっては、賛否両論が真っ向から激突している割には、国民の関心が薄い。郵政民営化よりも優先的に審議すべき政策課題があるからというのが、最大の理由である。国民に十分な理解を得られないのは、ひとえに小泉首相の責任であることは言うまでもない。
だが、小泉首相が、「ワンフレーズ」でズバリ国民の心をとらえるのを得意としてきたはずなのに、この郵政民営化では、なぜ国民をスパッと理解させる「ワンフレーズ」が、小泉首相の口から出てこないのか。「官から民へ」というフレーズが、郵政民営化ではインパクトを持っていないのである。
それは、郵便制度の成立ちのなかに主な原因があるのではないだろうか。つまり、明治維新以降、さまざまな産業が、「官営」から始まり、後に「払下げ方式」により、民間の事業として移管されたのに対して、郵便制度は、明治政府という「官」が、庄屋・名主という「民」に「官」の役目を委託したところから始まった。郵便局長に委嘱された庄屋・名主に「官吏」、戦後は「公務員」という身分を与えた。もともと「民」の財産をベースにして郵便局長が任命されていたので、その身分が「世襲」となるのは、当たり前のことであった。いまごろ、「特定郵便局長という公務員が世襲というのはおかしい」という議論があるけれど、それは、郵便局の成立ちを知らない「無知」からきている。
従って、小泉首相が、「官を民へ」というワンフレーズが、説得力を持たないのである。庄屋や名主の子孫である特定郵便局長にしてみれば、もともと父祖伝来の財産を「官」に利用させてきたからである。
だから、小泉首相が、郵政民営化を言うならば、「官から民へ」ではなく、「お役目御苦労さん、元の民へ」と言えば、実態を正確に反映するフレーズになったはずである。つまり、一見「官」に見える特定郵便局は、もともと「官営」ではなく、「民」の基盤の上に成り立っていたのであるから、ほかの産業、たとえば鉄鋼業などのような「払下げ」とは根本的に性格を異にしていた。ワンフレーーズで言うならば、国策により「官」にされていた庄屋・名主の財産の上に成り立っていた特定郵便局を「元の民への解放」と言えば正確な言い方となろう。
ここのところが、一般国民には理解し難いところであり、政治家のなかにも、正しく理解している人が少ないために、群盲象を撫でるが如き、議論百出したとも言える。
現実の郵便局を見れば、国民にとって大変便利な存在であり、何も今更、民営化などする必要がない立派な制度である。
しかし、「官営」である現在の郵便局ですら、これほど国民の支持を得ているのであるから、「資本主義本来」の「民営」に原点復帰すれば、庄屋・名主が135年前に、それぞれの資産を基礎に郵便事業を始めたと思えば、「官営」による統制から解放されて、新たに「コンビニ事業」までできる新しい事業体として、思う存分、ビジネスを展開できるはずである。つまり、特定郵便局にとって、「民営」の方が、得なのである。
この民営化により、封建制度の残滓として続いてきた特定郵便局を真の資本主義体制のなかでの事業として、より発展させることがが可能となる。むしろ、現在よりも「民営化」された方が、前途洋々なのである。
自民党の「反対派」は、こうした歴史的使命を終えた特定郵便局の功績とこれから新たな使命を担う郵便事業のあり方について、理解が浅く、依然として「封建意識」にとらわれ過ぎているように見える。この封建体制の残滓が、実は、自民党という「保守勢力」の基盤、あるいは岩盤だったことから、この支持基盤が崩壊するのを恐れる余り、郵政民営化に反対しているとも言える。
だが、いつまでも「封建制度の遺物」にばかりしがみつき、頼っていては、自民党が今後も政権政党であることはできないだろう。同じことは、民主党にも言えるのである。もっと未来を見据えて、新しい郵便事業を構想できないのであろうか。最近の政治家の「構想力」の貧弱さは、実に嘆かわしい限りである。郵便制度の創設者である前島密が、135年後の今日を見通して、何を考えていたかをいま一度振り返り、文献などから、前島密の考えを探ってみる必要がある。