泉区生活支援ネットワーク

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<週刊せんだい>災害弱者の自助・共助(3)障害者 支援側の判断力重要(「河北新報」)

2018年03月15日 | Weblog
「河北新報」平成30年3月15日(木)付け記事より引用)
 2011年3月11日の東日本大震災の発生直後、障害者と彼らを支える側の双方で、共助への試行錯誤があった。

<持薬確保し安心感>
 震災発生により、仙台市若林区の七郷小には多くの沿岸住民が避難した。その中には障害者たちもいた。
 精神障害者を支援するNPO法人みどり会(若林区)は、同区荒浜で運営していた通所施設「みどり工房若林」を津波で失った。施設長で精神保健福祉士の今野真理子さん(39)は、20~60代の利用者6人と同小に身を寄せた。最後の1人が帰宅するまで、10日間生活を共にした。
 今野さんは「避難所に2000もの人があふれていた状況下で、利用者ができることを探して行うことが大切だと考えた」と振り返る。
 今野さんの呼び掛けで、利用者たちは炊き出し用のまき割りや火おこしを手伝ったり、地域の高齢者に携帯電話の使い方を教えたりしながら落ち着いて過ごしたという。
 避難所で最も心配したことの一つが、利用者の持薬の確保。同小近くに精神科クリニックがあることを、今野さんが知っていたことが生かされた。避難した翌朝にクリニックを訪ね、3日分を処方してもらうことができた。「薬はお守り。入手できて安心感にもつながった」と言う。
 施設は同年6月、同区若林に仮事務所を置き再開した。大災害が起きた際の共助で重要な点を、「職員の判断力」と考える今野さん。「普段から、利用者のことをどれだけ知っているのかが鍵になる」。自らに言い聞かせ続けている。

<ケア受けられるか>
 一方で震災当時、日常的に介助が必要な身体障害者の中には、自宅避難を続けた人も多い。車いすで生活する青葉区の佐藤順子さん(55)もその一人。自宅での生活を可能にしたのは、いつも気に掛けてくれた訪問介護サービスと近所の人だった。
 自宅に建物被害がほとんどなかったこともあり、佐藤さんはとどまることにした。毎日、朝の起床時と夜の就寝時にトイレなどの介護を受けていたため、避難所に行けば、いつものケアが受けられないかもしれないと不安がよぎったという。
 震災発生後1週間ほどは、ガソリン不足から介護員の足が自転車に限定された影響で、決まった時間に介助を受けられなかった。ベッドで過ごさなくてはならない時間が増えたが、サービスは途切れなかった。
 地域との日頃の付き合いも佐藤さんを支えた。近所の酒店が井戸水を提供してくれたり、インドネシア人留学生が炊き出しをしてくれたりした。「バリアフリーの問題などから、自宅避難を選ぶ障害者は多いと思う。地域と顔の見える関係でつながっておくことが大切だ」。佐藤さんは実感を込めて語った。

◎減災ワンポイント/個別ニーズ聴取力が鍵

 大規模災害が発生した場合、障害者には、それぞれが抱える問題に細かく対応した個別の支援が欠かせない。
 東日本大震災の発生後間もなく、障害者を支援する宮城県内の14団体は「被災地障がい者センターみやぎ」を結成。半年間で、障害者約400人のニーズに応じ、物資の配布などを行った。
 同センターの事務局スタッフだった「CILたすけっと」の豊川健さん(42)は、印象的だった物資として小学校中学年から高学年向けサイズのおむつを挙げる。普段から取り寄せて購入する場合が多い品で、震災後に営業を再開したドラッグストアにもなかなか入荷がなかったため、相談が多く寄せられたという。
 津波で自宅を失った知的障害のある人に小型ゲーム機を届けたところ、心を落ち着かせるアイテムとして喜ばれたこともあった。豊川さんは「支援する側に『何が必要ですか』と聞き取る力が重要になる」と力を込めた。
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