泉区生活支援ネットワーク

仙台市の障がい者支援のための情報です。福祉・特別支援教育・就労など,分野をこえた生活支援のネットワーク・情報交換の場です

震災のつめ痕・・・「保護者迎えに来ず」

2011年04月25日 | Weblog
(「河北新報」平成23年4月25日(月)付け記事より引用)
 心身障害者の作業所などを運営する名取市の社会福祉法人 「みのり会」では、サービスを利用する障害者4大の保護者が津波の犠牲になった。

 理事の笠井晃さん(59)は「親なしには生きていけない人ばかり。将来を考兄るとつらく、胸が苦しくなる」と表情を曇らせる。

 震災当日、名取市沿岸部の施設では、約40人が廃油回収などの作業に取り組んでいた。地震後、全員が市民体育館に避難し、それぞれ親の迎えを待ったが、4人に迎えは来なかった。職員が手分けして捜した末、いずれも保護者が津波の犠牲になったことが分かった。

 笠井さんは「何も考兄られないくらいショックだった。抱き締めてあげることしかできなかった」と語る。

 4人の障害の程度はさまざまで、親を亡くした事実への反応も異なるという。重度の知的障害がある女性(23)は父母、祖母、弟が津波に流された。そのことを理解できず、時々「お父
さんは?」と聞く。

 軽度知的障害者の小林新吾さん(39)は、唯一の肉親だった母親の葬儀で、手を合わせながら泣いた。「ありがとうございました あとはゆっくりねむってください」。手紙をひつぎに入れた。

 みのり会に入所施設はなく、4入を長期間保護するのは難しい。重度の2人は4月中旬、宮城県大和町の障害者支援施設に入所した。小林さんら2人も5月中に岩沼市のグループホームに移る予定だ。

 「できれば、いつの日か呼び戻したい」。笠井さんは今、地元を離れた重度の2入が入居できる介護施設を建設したいと思っている。

 「親を失った上、友達とも離れなけれぱならないのはかわいそう。慣れ親しんだ古里に、安往の地を提供してあげたい」
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