ホルマリンのマンネリ感

札幌出身苫小牧在住、ホルマリンです。怪しいスポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、一人旅、昭和レトロなどなど…。

北海道ミステリー調査局 第2回

2017-10-17 13:17:34 | 北海道内の旅行・風景
※「ホルマリンのリハビリテーション・シリーズ
仕事の辛さと人間関係のストレスで、すっかり元気が無くなってしまった管理人、ホルマリン。
ブログにも手が付けられなくなってしまい、気付けば放置してから早3ヶ月!?
「このままではブログのお友達が遠ざかっていってしまう!」とようやく危機を感じ、何とか更新してみようと思いました。
まずは溜まりに溜まったネタのうち、簡単に更新できそうな単発ネタから少しずつお届けします。
中途半端になってしまったままの本州ネタは、もう少し元気が出てから必ず更新します!もうちょっと待っててね!

ということで。


~「オバケ川」が見たい~

…その不思議な名前の川の存在を知ったのは、確か小学生ぐらいだったかなぁ。
夕方のワイドショーで、「北海道の不思議情報に迫る!」という、今回の企画みたいな、いかにも私が好きそうなコーナーが放送されていたんですね(その時から私は変人でしたw)。

で、週に1回のその企画、私はいつも楽しみにしていたわけです。
毎回、過去放映分の映像が何個か流れてからコーナーがスタート!という流れだったのですが、その中でいつも一番気になっていたのが「オバケ川」と書かれた看板の映像。

オバケ川!!??なんじゃこりゃ!!!

さすがにヘンテコすぎる名前なので合成映像かと思ってしまったぐらいですが、後日気になって調べてみたところ。
本当にあるじゃん。日高に。

場所は浦河町から少し内陸に入った道道746号沿い。
札幌からあまりにも離れた辺鄙な場所にあるため、気になってはいたものの長らく訪問できずにいました。
しかし先日、その看板を実際に見たという女の子が現れました。すぐに通り過ぎてしまったのでずっと気になっているのだそう。
仕方ないなぁ~、連れて行ってあげましょう!!(笑)

…というのが今年の4月上旬のお話。(^_^;)


4月頭のとある休日、オバケ川を目指し、海沿いの235号線を延々と南下。日高自動車道は富川で早々と途切れてしまい、そこからはずっと一般道です。
平取町から南部は初めて訪れましたが、やはり随分と距離がありますね…(^_^;)

浦河の中心街を過ぎ、236号線→746号線へ。

寒々しい風景の中、山間部へ向けて走ります。
両脇に広がっていたサラブレット牧場がだんだんと途切れて来たな、と思ったその時。
枯れ草の中にポツンと立つ看板が!!思わず急停車!


…あった。

そして肝心の川は?
路肩に車を停めて、さっそく降りてみます。


これが「オバケ川」。


おどろおどろしい(?)名前とは裏腹に、ずいぶんと流れの穏やかな小川でした。
透き通ったその流水には日高山系の雪解け水も含まれているのかな?

実は「オバケ川」の名前の由来は詳しくは分かっていないそうです。
北海道にはアイヌ語由来の変わった名前の川がいくつかあり、この川もたまたま「お化け」の発音と一緒になったのだろう…と考えていたのだが、どうやらアイヌ語とは関係なさそうなのだとか。

一説には、古老がこの辺りで木を切る作業をしていた時、どこからか鈴の音や話し声が聞こえてきて、でも周囲には誰も居ない…という不思議な体験をした事から、それこそ「お化け」に由来した名前が付いたという話もあります。

…とは言っても、自宅の近くを流れる小さい川とほとんど変らない、ごく普通の川だな…
と思いきや、何か様子がおかしい






周囲には生々しい獣の臭いが漂っていました。この蹄を見るにエゾシカでしょうか??
散乱した足の骨のひとつには、まだ多少の肉が付いていた物もあったので、比較的最近の物でしょう…。


日高地方は競走馬の産地だけあって、オバケ川の周辺にはサラブレットの牧場がたくさんあります。
日高名物「馬横断注意」の標識もあり、来る途中に本当に馬が道路を横断していて笑ってしまった場面もありました。

あの散乱した骨や毛は恐らくヒグマによるものでしょうが、飼われている馬にもその被害が及ばない事を願うばかりですね…。
偶然見つけた思わぬ光景に、「オバケ川」の名前が少しだけ怖く感じたホルマリンなのでした。


~「オバケ川」が見たい~
完。


※近いうちに更新したいネタ
・『ドムドムバーガーが食べたい』
・『こちらも珍名川「ヤリキレナイ川」』
・『襟裳岬「風の館」』
できれば10月中には…
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北海道ミステリー調査局 第1回

2017-01-04 22:45:56 | 北海道内の旅行・風景
皆さん、改めましてあけましておめでとうございます。

新年ということで、新シリーズをスタートさせたいと思います♪
2年前から不定期で更新している「札幌ミステリー調査局」シリーズが、満を持して札幌市を飛び出します!
ネタが全然集まっていないので2回目がまだ未定ですが…(^^;)。
とりあえず第1回目、どうぞ。


北海道民でも解読不能!?
なまら訛った看板発見したわ!




コレを見つけたのは昨年8月。
日本一危険な参拝旅せたな町を訪れた時でした。
場所は国道229号線、せたな町の市街地を抜けて山道に差し掛かった部分にそれはあります。

バカ画像本の元祖、『VOW』にも登場しているし、それなりに気付きやすい場所にあるので、もしかしたら有名物件かも?


何の変哲もない山道に、突如謎の看板が…。


「ゴッペカエスな」

!!!???



…何の説明も無くコレだけです(笑)
これは紛れもないミステリー看板だ!!

待てよ。
草に隠れてまだ何か書いてありますよ…。


「 っく  ろう」??


「ゆっく  ろう」


「ゆっく モろう」???
   ↓
ゆっくり走ろう」?



ゴッペカエスな ゆっくり走ろう


↑どうやらコレが全文のようです。
下半分が分かって「やっと意味が理解できた!スッキリ!」…と言いたいところですが。

残念ながら私にはチンプンカンプンです(^_^;)。


…さて、調べてみますと「ゴッペカエス」とは「失敗する・取り返しのつかない事をする」という意味の北海道弁なのだそうです!
私は全く知らなかったのですが、北海道民の読者のみなさん、知ってました??
道南の方言なのでしょうか?

すなわち「取り返しのつかない事にならないように、ゆっくり走ろうね♪」という交通安全の看板だったのですね!(*^_^*)
この方言を知らない人には全く意味をなさない看板ですけどね(笑)。半分隠れてるし。

完。
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増毛を歩く ~留萌本線終着駅の旅~ その4(最終回)

2016-04-23 15:39:56 | 北海道内の旅行・風景
1月18日、午後3時過ぎ。
数分ほど坂道を登ると、高台のてっぺんに「旧・増毛小学校」の木造校舎が見えてきた。







…予想以上に大きな校舎だ。そして言うまでもなく、その年季の入り具合も相当なものである。
黒ずんだ壁を見上げてみると恐ろしいほどの迫力があり、思わず顔が強張る。

建物を見てこれほどの恐怖を覚えたのは初めてだ。





旧・増毛小学校は昭和11(1936)年に建てられたというから、かれこれ80年も前の建築物だという事になる。これほどまでの大きな校舎は住民からの多額の寄付のおかげであり、1000人もの生徒が収容可能であったという。
こちらも増毛町の繁栄を物語る貴重な遺産であると言えるだろう。

ひとり眺めていると、賑やかなニシン漁の掛け声がどこからか聞こえてくる気がする。


驚くべきことに、こちらの校舎は平成24(2012)年まで現役であったという。
古い校舎は危険だという事で、現役時には建物の保存か建て替えで大きく議論されていたが、最終的には近くにある旧・増毛高校の校舎に移転するということで決着がついた。
現在は立ち入りもできず完全に閉鎖されているが、保存か解体かはまだ決まっていない。
いずれ内部も見学できるよう開放してもらいたいものだ。


グラウンドの向こうに海が見える。
増毛の活気の源であった日本海を見下ろしながら、子供たちは日々ここで学んでいたのだ。



そして海とは反対側の内陸部を望むと、白く雪をかぶった暑寒別岳がそびえ立っていた。
雄大な景色である。
増毛の名物である國稀酒造の地酒は暑寒別岳の伏流水を使用しているというから、この山も町に恵みをもたらす「母なる存在」に違いない。



…さて、列車の発車時刻が近づいてきたので、駅まで戻ってきた。
記念撮影の定番であるこの駅名看板も、あと1年ほどで見納めである。


待合室には、少しくたびれた何冊もの「駅ノート」があり、増毛駅の人気を物語る。
わずかな時間の中でページをめくっていくと「もうすぐ見られなくなると聞き、訪問した」「廃止が残念!」などの記述が目立つ。
いくつかのページには、留萌本線の廃止に関する新聞記事が綺麗に切り抜かれ、貼られていた。


ご存知の方も多いかと思うが、増毛駅はその珍妙な駅名のおかげで全国からマニアがやってくるパワースポット(?)となっている。
ノートの記述の中には、JR四国の「半家(はげ)」駅から阪急電鉄の「桂(かつら)」駅を経由して増毛駅に来たという物好きな旅人の記述もあり、「ハゲからぞうもうへ」の黄金プランに思わず笑ってしまった。
証拠として整理券をきちんと貼りつけてあるのがマニアの鑑である。


ホームで乗客を待つ15時41分発の普通列車に乗り込む。
車内には、自分と同じ列車で降り立った何人かの旅人が既に乗りこんでいた。
皆、静寂に包まれた真冬の増毛町を見て何を思ったのだろうか。

残念ながら、増毛町はつい先日、留萌~増毛間の2016年度の廃止についてを完全に同意。留萌市もこれを認める動きにあることから、この区間の16年度中の廃止は確実となってしまった。
雪崩と土砂崩れの危険により運行を休止していた区間であったが、4月28日より再開する予定であるため、これからは廃止を惜しむファンで更に賑わう事となるだろう。



帰宅後、あの雑貨屋さんで購入した置物を開けてみた。


何とも可愛らしい、いくつもの貝殻で出来た亀の置物。
首をつつくと赤べこよろしくユラユラ上下に揺れるのが素敵だ。
貝、亀ともに金銭に関する縁起物であるためなのか、これを購入してからというもの金運に恵まれている気がする。実際この旅の帰り道、旭川のショッピングモールで1000円札を拾ったほどである。

今回も良い一人旅だったな…、と部屋でひとり満足していると、亀さんの首が「うんうん」とばかりに微かに揺れたような気がした。


「増毛を歩く ~留萌本線終着駅の旅~」
完。
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増毛を歩く ~留萌本線終着駅の旅~ その3

2016-03-29 18:59:25 | 北海道内の旅行・風景




増毛の中心部へと散策を続ける。
住宅に混じって所々に見られる石造りの倉庫には、それぞれ増毛の地名をモチーフにした飾りが見受けられる。心なしか、どの飾りにも地元に対する大きな誇りが感じられる。





広い通りを歩いていくと、スーパーや各商店が立ち並ぶ中心部へと出た。
石狩から留萌方面へと抜ける幹線道路にも面しているので人通りもそれなりに多く、先ほどのレトロな駅前通りとは全く違った印象を受ける。
増毛の住民にとっては、まさにここが生活の拠点であろう。


広い通りに面して、「おみやげ」の文字が掲げられた雑貨屋さんがあったので入ってみる。
店内は女性化粧品やファッション雑貨、少し古めのおもちゃが大量に売られており、そして真ん中の棚には「ようこそ増毛町へ」と書かれた棚が。
並べられたみやげ物は、どれも十数年前から置かれたままと思しき年代物ばかり。周辺の海岸で取れたものなのか、貝殻やサンゴをあしらった港町らしい置物が多い。

ふと、棚の奥に置かれていた貝の置物が目に留まり、気に入ったので購入することにした。
棚に置かれてから何年経っていたのだろう、店員のおばさんに声をかけると少し驚いたような感じで、すっかり黄ばんだ箱を包んで僕に渡してくれた。
せっかくなので「店内の写真を撮っていいですか?」と聞くと、おばさんは目を大きくして、少し照れたような顔をして「いいですよ」と微笑んだ。




通りのはずれに位置するのは「國稀酒造」の酒蔵で、大正7年に建てられたもの。初代・本間泰造が創業した北海道で一番古い造り酒屋であるとともに、日本最北の酒蔵である。定番商品は「吟醸 雪のかおり」「純米 吟醸國稀」「暑寒おろし」などの辛口のもので、現在も蔵で造られた製品をじかに販売しているため、増毛の人気観光名所にもなっている。



駅前に戻り、観光案内所となっている旧・多田商店(昭和8年建築)に立ち寄ることにした。
「風待食堂」なんて良い名前だなと思ったら、どうやら昭和56(1981)年公開の映画『駅 STATION』のロケで使用されたセットをそのまま残しているらしい。


入り口には看板が掛けられているので入れないのか…?と思いきや、扉に鍵は掛けられていなかった。
奥の方からテレビの音が聞こえているが、営業中なのか休業日なのかよくわからない状態。勝手に入っちゃうぞ。
(後に調べたところによると、5月~9月の営業だったようです…。申し訳ありませんでした)


古い家電や自転車が雑多に置かれたなか、壁に『駅 STATION』の写真が展示されていた。
脚本:倉本聰、主演:高倉健という北海道映画にふさわしい最強タッグによる作品であるが、この場所は「すず子」という登場人物が働く食堂として使用された。撮影期間中、本来の「多田商店」(生活雑貨店)は営業を休止していたという。




その他、壁にはこんなポスターもあった。三菱車のプロモーション用の広告だったと思われる。
まだ50代と思しき高倉健、ギャランΣ、そして建て替え前の立派な増毛駅舎……。あまりにも渋い。



駅前のすぐ近くにある増毛港。
軽く散策していると、増毛駅に列車が入って行くのが見えた。
現在の時刻は午後3時、帰りの列車まであと40分ほどである。あの折り返しの列車に乗らなければいけない。

最後にぜひ見ておきたい場所があるので、これから急ぎ足で向かう事にする。
高台へしばらく上った所に、道内最大にして最古の木造校舎である「旧・増毛小学校」の建物が残っているというのだ。これを見なくては増毛町の過去の隆盛は感じられまい。


「旅館・富田屋」前の小さな通りを上っていく。
左手に駅の構内を見下ろす事ができ、先ほどやってきた1両編成の車両から人が出入りしているのが見える。
発車時刻に間に合うように、早く向かわなくては。



来た道を振り返ってみると、いかにも小さな港町らしい風景が広がっていた。
今にも高倉健が坂を上ってきそうだ。

旧・増毛小学校からも海が見えるのだろうか。楽しみだ。


次回、最終回。木造校舎の記憶。
続く。
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増毛を歩く ~留萌本線終着駅の旅~ その2

2016-03-24 18:17:44 | 北海道内の旅行・風景
1月18日、午後1時。
定刻より15分ほど遅れつつも、1両編成の列車は終点の「増毛」駅に到着した。


ご覧のように、線路はここで完全に途切れる事となる。いかにも「終着駅」といった味わい深い風景だが、これを見られるのも来年3月のダイヤ改正までとなりそうだ。
列車が到着した駅構内は、しばし記念撮影の人々で振るわう。皆さん15分後に折り返す深川行きですぐ戻ってしまうのか、限られた時間で忙しく動き回っている印象を受ける。


案の定、ホームで撮影していた人々は次第に列車の中に戻っていき、列車の発車時刻に構内に残るのは僕と数人の観光客のみとなった。静寂が訪れたホームで折り返しの列車を静かに見守る。
やはり多くの乗客は「留萌本線乗車」が一番の目的だったようである。




さて、ようやく辿り着いた増毛駅の駅舎。それほど古そうには見えないが、それでも終着駅にふさわしい素朴なたたずまいだ。
小さな待合室には増毛周辺の風景写真が飾られており、壁や床には港町らしくガラス製の浮き玉がたくさん。新しそうな蕎麦屋が併設していたが、お客さんはおらず若い店員さんが暇そうにしていた。




駅舎の見物もそこそこに、静かな駅前広場へと出てみる。
すると、そこに佇んでいた建物に思わず息を呑んでしまった。




……これは凄い。昭和8(1933)年に建てられたという高級旅館「旅館 富田屋」の建物だ。
残念ながら20年以上も前に閉館し、現在は中に立ち入る事は出来ないという。
色がくすんで年季の入ったガラス戸、そして建物自体のどっしりとした重厚感のあるたたずまいが、もはや遠い過去のものとなってしまった増毛町の繁栄を静かに証明する。
折り返しの列車ですぐに引き返さなくて本当によかったと心から思った。

増毛町におけるニシン漁のピークは昭和21(1946)年の50,748トンであったという。
大正初期から「道内有数のニシン漁場」として注目を集めていた増毛町には、ニシンが訪れる春先ともなると道内外から出稼ぎ労働者や行商人などが集結し、道内有数の港町として大いに賑わった。
昭和初期まで、増毛を含む道内の日本海沿岸地域ではビックリするぐらいに、笑ってしまうほどニシンが獲れた。

かつて、羽幌の辺りでニシン漁の網元(漁師の雇い人)をやっていたという父の曽祖父の話を聞いた事がある。
当時は余剰に水揚げされるニシンの如く「腐るほど」金が舞い込んで来たらしく、父の曽祖父は札束を押し入れに放り込んでいたらしい。押し入れの中は札束まみれ。
冗談みたいな話だが、当時の道北地方はそれほどニシンの恩恵を受けていたのである。

昭和30年の1481トンを最後に、日本海沿岸へのニシンの群来は突然止んでしまう。
乱獲が原因とも言われているが、詳しくはよく分かっていない。

全盛期は2万人近くが住んでいた(※昭和31年)という増毛町であるが、ニシンが消えてからは町は衰退するばかりである。
平成28年2月現在、増毛町の人口は4700人ほどで、現在も減り続けているという。





さて、駅前からは小さな通りが伸びており、大正~昭和期の年季の入った建物がいくつも連なっている。
昭和7年の建物だという「旅館 増毛館」、かつて歯科医院であった「海栄館」などはいずれも個人所有であるが、いずれもニシン漁による繁栄を偲ぶ建物として重要視されている。
その他、「増毛駅前観光案内所」として活用されている「多田商店(昭和8年建築)」が目を引くが、こちらは後ほど紹介する。








こちらの建物は、国の重要文化財にも指定されている「旧商家丸一本間家」である。
かつて増毛町で呉服商、ニシン漁の網元、海運業、酒造業などあらゆる事業を展開していた本間家(屋号:丸一本間、初代:本間泰蔵)の旧宅および各店舗で、明治35年建築の石造りの蔵がほぼそのまま残っている。
こちらも増毛の過去を偲ぶ貴重な遺産だ。



丸一本間家の角を曲がると、閑散とした道の向こう側に海が見えた。
寒々しい真冬の曇り空の下、まるで町全体が冬籠りしているかのような雰囲気が漂う。



黒ずんだ日本海の向こう側に、苫前、羽幌、稚内へと続く沿岸地域を望む事が出来た。
2年前、あの海岸線沿いを自転車で延々走った事を考えるとゾッとしてしまう。

沿岸にニシンが押し寄せると、海面は瞬く間に乳白色に変化したという。これはニシンの群れが一斉に産卵を行うために起こる現象であり、沿岸の人々はこれを「群来(くき)」と呼んでいた。

続く。
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