ホルマリンのマンネリ感

札幌出身苫小牧在住、ホルマリンです。怪しいスポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、一人旅、昭和レトロなどなど…。

増毛を歩く ~留萌本線終着駅の旅~ その1

2016-03-18 04:42:29 | 北海道内の旅行・風景


2016年1月中旬、僕は再び旅に出た。
目的は、留萌本線に乗って終点の「増毛(ましけ)」駅まで行くこと。

昨年夏、留萌~増毛間(16.7キロ)の2016年度中の廃止が正式に発表され、留萌本線自体の将来もそう長くはないという噂を耳にするようになった。
新幹線開業の裏で厳しい現実を伝える記事を読むうち、北国ならではの旅情が漂う留萌本線と、以前から訪問したかった増毛の町を見てみたくなった。

真冬の鉄道旅・最終章の舞台は、昭和期のニシン漁繁栄の歴史が残る、日本海沿岸の小さな港町だ。



1月18日、月曜日。
函館の旅から一旦帰宅し、週末を挟んで再び朝の札幌駅にやってきた。
まずは留萌本線の起点である深川駅を目指すため、9時41分発の特急「オホーツク」3号に乗車する。


指定席券を握りしめて7番ホームへと上ると、少しレトロな鋼鉄製の車両が既に入線していた。
国鉄時代から活躍する「オホーツク」の車両、個人的にJR北海道内の車両では最も好きなデザインで、一度乗車したいと思っていた。
しかも先頭車両は「白ボウズ」の愛称で鉄道ファンに親しまれている希少な車両である。これは幸先が良い。
深川駅までの1時間弱、短い間ではあるが旅を楽しませてもらおう。


特急「オホーツク」は札幌~網走間を5時間半かけて結ぶという中々タフな列車であるが、この日の乗客はそれほど多くはなく、空席が目立っていた。
落ち着いた色合いの内装はこれまたレトロ。車両が重たいためか主力選手の特急車両と比べると加速が鈍く、エンジン音を唸らせながら一生懸命にスピードを上げている感じが愛おしくもある。
車掌さんが国鉄末期から従事しているかのような風格ある年配の方であったのが、これまた嬉しい限りである。



心地の良い速さで流れてゆく車窓の風景を眺めていると、雪原の向こうに美しい山々が見えてきた。
あれはピンネシリだろうか。


10時54分、定刻通りで深川駅へと到着。
名残惜しくはあるが列車を降りる。

かつては名寄とを結んでいた「深名線」の起点でもあった深川駅であるが、平成の頭に路線が廃止され、現在は札幌~旭川に存在する中継駅のひとつでしかない印象を受ける。
そんな深川駅から、全長66.8キロの留萌本線は延びている。


すぐ向かいのホームに、11時8分発の増毛行き普通列車がポツンと停車していた。
予想に反して2両編成で、しかもその2両目は立ち入りが禁止されている。
車庫への回送車両だろうか、留萌方面に車庫なんてあるのだろうか、などと疑問を感じつつも乗りこんだ。


遅れている特急列車の接続待ちで15分ほど待たされ、ようやく出発する。
留萌~増毛間の廃止報道がされて以来、各地から鉄道好きが訪問するようになったために留萌本線の利用客は増えているという。
この日もそれなりに乗客の姿があったが、乗車目的、撮影目的のお客さんが半分以上である印象を受けた。
地元住民の利用はやはり少ないのであろうか。


駅を出て函館本線から遠ざかると、列車はしばらく広大な農村地帯を走る。前方を望むと雪原に真っ直ぐな線路が続き、なんとも気持ちの良い光景だ。
そんな中に「北一已(きたいちやん)」「秩父別(ちっぷべつ)」「北秩父別(きたちっぷべつ)」などの秘境駅ファンに人気の駅たちが続く。秘境駅だけあって、いずれの駅も利用客は居ない。

1972(昭和47)年まで札沼線が繋がっていたという「石狩沼田」駅では地元住民らしきおじいさんが一人乗車したが、隣の「真布(まっぷ)」駅ですぐ下車してしまった。
その後はNHK連続テレビ小説『すずらん』のロケで使用された「恵比島」駅、有人駅時代の立派な駅舎が残る「峠下」駅など個性的な駅が続くが、やはり乗下車客は一人も居ない。


12時15分、路線内で最も大きな駅である「留萌」駅に到着した。
15分の停車時間があり、その間で後ろの回送車両を切り離す作業が行われるのだが、ここで時刻表を見てようやく納得した。
こちらの回送列車は、このあと運行される留萌発・深川行き普通列車の車両だったのだ。
起点の駅までカラの車両を運んでいたというわけだ。



2年前に札幌からママチャリでやってきた事のある留萌駅。列車だとまた違った到達感がある。
跨線橋から駅構内を眺めると、小さなワンマン列車の停車駅には不釣り合いなほどの広大な駅構内が広がっているのが分かるが、これは国鉄時代に巨大ターミナルであった名残である。

現在でこそ盲腸路線の中間駅である留萌駅だが、かつては日本海側を北上し、宗谷本線へと繋がる「羽幌線」(141.1キロ)の起点として栄えていた。
駅には羽幌からの石炭を積んだ長大な貨物列車がひっきりなしに停車し、加えて増毛からのニシン輸送の列車も多くあったことから、昭和期の留萌駅がどれほど重要な拠点であったかがお分かりいただけるだろう。
当時の留萌本線は、北海道の経済を支える幹線のひとつともいえる路線であった。

1987(昭和62年)の国鉄民営化に伴い羽幌線は廃止され、留萌本線は完全なる盲腸線となる。
現在は1日10数本のワンマン列車が運行されるだけの細々とした路線へと成り下がり、「本線」とは名ばかりとなってしまった。



しばらくして留萌駅を発車すると、列車はすぐに日本海へと出る。
海岸線に沿って続く線路からは、寒々しい真冬の海と、古びた海沿いの住宅がポツリポツリと見えるだけだ。
1月の日本海には色が無い。



「瀬越(せごし)」「礼受(れうけ)」「信砂(のぶしゃ)」「舎熊(しゃぐま)」といった独特な名前の駅が短間隔で続くこの区間こそが、2016年度の廃止が決定している区間である。
この辺の利用者は1日で数人にも満たないというのが現状で、それに加えて海岸段丘に沿って敷かれたこの区間では雪崩や土砂崩れの被害が多い。数年前にも土砂が線路上に流出したために運行が休止となった時期があった。維持費などの問題を受けての廃止決定だったようである。
これらの個性的な駅名がもうすぐ消えてしまう事を考えると、残念なものである。
(注:2016年3月現在、留萌~増毛区間は気温上昇による雪崩が危惧されているため、終日運行見合わせが続いており、再開時期は未定とのこと。)


礼受駅は北海道内ではおなじみの「貨車駅」であった。潮風を受けているせいなのか傷みが目立つが、数日前に宗谷本線の「安牛」駅を利用した身なので、もはや驚きもしない。
意外な事に、この駅ではおじさんがひとり下車した。服装では地元の人かどうかは判別できなかったが、乗客の視線が一斉に注がれていた。


「朱紋別(しゅもんべつ)」「箸別(はしべつ)」と小さな駅が続き、列車は10数人の乗客を乗せて、いよいよ終点の「増毛」駅へと辿り着いた。

続く。
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新幹線開業前の函館を旅する その7(最終回)

2016-03-15 14:16:08 | 北海道内の旅行・風景
1月14日 正午。

「摩周丸」をじっくり見学しているうちに、時間は昼をまわっていました。
本日は夕方の特急列車で札幌に戻る予定ですので、それまで少し函館をぶらぶらしたいと思います(^_^)。


・金森赤レンガ倉庫群

…やはり「函館の観光スポット」といえばココですよね♪
過去に一度来たことがあるますが、改めてもう一度散策してみましょうか。


といっても、連なる倉庫の中はお土産屋さん、アンティークショップ、ファッション雑貨の店など意外と平凡(^_^;)。一人で歩いてもねぇ…。
そのかわり、通路の一角には面白い形のポストが♪「ユメール」というらしい…妖精さん?

「にっぽんCHACHACHAショップ」のイカオブジェ。

細工物などに使われる籐(とう)で編まれたオブジェらしい!スゴイ!!

再び街へ。

やはり歴史のある街・函館だけあって、街中を歩いていると到る所に重厚な歴史的建造物が。
企業のオフィスビル(確か)もこんな感じ。

旧・ホテルニューハコダテ

残念ながら現在は閉館状態らしいのですが、こちらは元々旧安田銀行函館支店として昭和7年に建てられたものらしいです。函館市景観指定建築物の一つだそうです。


…前を行く観光客の方がマンホールを撮っていたのでよく見てみると、何とイカがデザインされているではないですか!!函館って、なんかこう到る所にネタが散りばめられていて面白い街だと思います。

函館市地域交流まちづくりセンター

こちらも雰囲気満点の外観ですが、1923(大正12)年に建てられた旧・丸井今井百貨店の建物なのだそう。
内部には「東北以北最古のエレベーター」も残っており、見学も可能です(*^_^*)。
こちらは内部の写真をたくさん撮影してきたので、後日に別記事として更新します。お楽しみに。


まちづくりセンター内にあった「イカールロボ」の写真。
五稜郭タワートランスフォームですね、これは(^_^;)。イカール星人のキャラってどれも可愛いよね。

日本最古のコンクリート電柱

あの「ラッキーピエロ」の近くにあります。
街中にこういう物件がさりげなく存在しているのが素敵ですよね(*^_^*)。
こちらも後日、別記事として更新します。

北海道新幹線「はやぶさ」カラーの市電が!!

きちんと側面に紫のラインが入っていて、窓もフィルムで塞がれて小さなものになっていました(笑)。
この他、写真は撮れませんでしたが街中のタクシー(プリウス)にも同様のカラーが施されたものが走っていました!

駅前の百貨店から眺めた函館駅



駅の2階にある多目的ホールの名前は「イカすホール」。素晴らしすぎるネーミングセンス(笑)。新幹線開業に向けた改装工事の真っ最中でした。

駅前にあった激レアのイカ型ポスト。

これはブログ友達のぱるるんさんが以前教えてくれていたものですね♪
容量はあまり無さそう…(^_^;)


最後に…。
新幹線の開業により、3月26日のダイヤ改正で廃止されてしまう特急電車を撮影してきたので、ご紹介。この2つの列車を見られるのは今だけ!!

特急「スーパー白鳥」

青函トンネルを通り函館~青森を結ぶ定期列車として2002年に登場。中学の修学旅行で一度だけ乗車した記憶があります。
その時は旧型車両の「白鳥」に乗りたかったので「コイツか…」とガッカリした記憶が(^_^;)笑
ダイヤ改正後は、車両は札幌圏の「スーパーカムイ」に使用されるとか。

特急「白鳥」

こちらも2002年に登場した定期運行列車ですが、車両は国鉄時代につくられた「485系」を大幅リニューアルしたものを使用しているため、車齢は中々のものだと思われます。
故に、ダイヤ改正後は車両ごと消滅するというお話です。


午後4時30分。

せっかく函館に来たので、函館朝市で海鮮丼を食べてから帰ろうと思っていたのですが、「どんぶり横町」内の店は営業終了のお店ばかり…。(;O;)どのお店も昼食メインでやっているんですね…。
開いているお店もわずかにありましたが、いずれも営業終了ギリギリなので迷惑をかけてしまいそう…。

残念ですが、海鮮丼は諦める事に…。くそう。
駅で弁当を買い込んで帰りの特急列車に乗り込みました。

17時16分発 特急スーパー北斗13号

こちらの列車はダイヤ改正後も元気に活躍予定。
新幹線の新函館北斗駅にも停車する事になるので、むしろ4月以降は活躍の場がより増える事となりそうですね。


新幹線開業を目前に控え、道内外の期待が集まる函館周辺エリア。
今回は駆け足での函館観光しか出来ませんでしたが、わずか1日ながらも「生まれるもの」と「消えるもの」、新旧それぞれの光と影を見て聞いて、行ったり来たりしたので、まるで過去と未来を飛び越えて観光したかのような満足感がありました…(*^_^*)。

「新幹線開業前の函館を旅する」
完。


2016年 冬の鉄道旅
最終章へ続く。
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新幹線開業前の函館を旅する その6

2016-03-13 02:36:19 | 北海道内の旅行・風景
※内定先の研修等があり、更新がままならず失礼いたしました。m(__)m
また、コメントを頂いたにもかかわらず返事が遅くなってしまった事をお詫び申し上げます。

(多少の余裕が出て来たので、これからは再び通常の更新ペースに戻っていくと思われます(^-^))

元・客室フロアの一画に「喫茶・軽食コーナー」が。

窓からは船の先端部分と函館のベイエリアを望むことができます。
残念ながら、この時は喫茶コーナーは営業していませんでした。

船内から函館山を望む


コーナーの一角には「洞爺丸台風」のパネル展示が。

青函連絡船の歴史を語る上で避けて通れないのが、「洞爺丸台風」による悲劇的な事故です。
1954(昭和29)年9月26日、北海道に接近中であった台風15号の影響により青函連絡船「洞爺丸」が函館港内で転覆。悪天候で運行を見合わせたのち、4時間遅れで函館桟橋を出た後に起こった事故でした。
乗船していたうちの1155人が死者、行方不明者となり、日本海難史上最悪の事故と言われています。
洞爺丸の他にも、「第十一青函丸」「北見丸」「日高丸」「十勝丸」の貨物船4隻が函館港内で転覆し、犠牲者は総数1430人。
この事故により、連絡船は最新鋭のものに設計の見直しがなされ、また計画段階であった青函トンネルの建設が具体化されたとも言われています。

3階「船のしくみ」コーナー

歴代の連絡船で使われていた設備、部品、救命用具、また各種模型などが展示されています(*^_^*)。


港に敷かれた線路とをつなぐ可動橋は、様々に変化する港の潮位、船体の揺れ、気象条件などに対応できる構造をしており、導入当初は他に例を見ないものであったそうです。
右の写真の器具は、船内で貨車を固定するために使われた「緊締具」と呼ばれるもの。


貨車を積み込む「車両甲板」は非公開エリアのため立ち入りは出来ませんが、ご覧のようにライブカメラでリアルタイムの様子を見る事が出来ます。モニター下のマウスを使って遠隔操作も可能ですよ(*^_^*)。

階段を上り、いよいよ4階「操舵室」へ。

…こりゃスゴイ!


おぉ~!ほぼ原形のまま♪
ここまで自由に見学できるとは思っていなかったので、とてもワクワクしています!(*^_^*)
複雑に配置されたスイッチやボタン類、時代を感じる受話器…。自由に触れるのがまた嬉しいですね♪


これが操舵輪ですか♪大きなのりものを操縦するのは男の子の永遠の夢(笑)。こんな所に立てるなんて嬉しいですね!
僕も思う存分グルグル回して船員気分に浸らせて頂きました(笑)。
…なお、赤いボタンの上には「汽笛を鳴らせます」の表示が。恐る恐る押してみると…。

ドゥーーーーーーーーーーーッ

…すげぇ!!
お腹に響き渡るような重低音が港じゅうに響き渡ります。
もはやこれを鳴らせただけでも函館に来た甲斐が…(*^_^*)笑

操舵室には…やはり神棚が。

一歩間違えば重大な海難事故につながる船の仕事。乗組員だけでなく、数多くの乗客の命を海上の機嫌にゆだねなくてはならない連絡船ですから、神を祭るのも重要な儀式だったのでしょう。

操舵室隣の「無線通信室」。こちらも当時のまま。

うはぁ~、こっちもイイ感じ!(*^_^*)
部屋の真ん中に存在するのは、もちろん通信士の作業席ですね♪


こちらも数多くのスイッチがズラリと並んでおり、目が回りそうです。
机の上にはモールス信号を送っていた機器(すみません名前わかりません)もちゃんとありました。押すとしっかり音も鳴りますよ。
そして机上には、ご親切にモールス信号の種類を解説した表が(笑)。


通信室内にはタモリが来館した時の写真が♪
昨年放送されていた『ブラタモリ』(NHK)の函館回の時ですね(*^_^*)。僕もきちんと見ましたよ!
自分もタモリのような品のあるオタクになりたいものです(笑)。

普通座席(カーペット敷き)再現コーナー

…なぜか上階の多目的ホールにポツンとありました。こちらはレプリカだそうです。
やはり定期船の客室というと、座席よりもこちらのカーペットのイメージが強いですね(^-^)。

壁に飾られていた当時の国鉄案内

急行「せたな」、特急「おおとり」って…(;O;)ブワッ
古き良き昭和の鉄道…。



さて、これにて「摩周丸」の観光は終了です。
冬期間なので甲板などへは出られなく、見物できるエリアは限られていましたが、それでも大満足でした!(^O^)
新幹線の開業をきっかけに、こちらの「摩周丸」や青函連絡船の歴史にも再び注目が集まると良いですね…。

次回!第2章ラストです。
函館市内プチ観光&消えゆく特急電車。

続く。


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新幹線開業前の函館を旅する その5

2016-03-05 19:18:35 | 北海道内の旅行・風景
大変お待たせしました。第5回目です。

青函連絡船「摩周丸
(函館市青函連絡船記念館 摩周丸)函館市若松町12番地先


…1965(昭和40)年就航、1988(昭和63)年の連絡船運行最終日まで活躍し続けた「摩周丸」がそのまま保存されており、現在は博物館として内部を見学する事ができます。
猛烈な寒さの中、函館駅から徒歩で近づきます。
なお、船の前の駐車場にはツアーの大型バスが何台も停まっていて「意外と混んでそう?」と思いきや、皆さん函館朝市目当てだったようで…(笑)。ほとんどお客さんは居ませんでした(^_^;)

入場料500円を払って乗船~♪

…この入り口、なにやら旅立ちの瞬間みたいでワクワクしますね(*^_^*)

補助汽船の錨と、実際に付いていた「JR」&「国鉄」マーク

国鉄の「JNR(Japanese National Railways)」マークがステキですね♪
青函連絡船、最後の1年間はJRの管轄となっていたため、煙突に付いていたこのマークもJRのものに変えられました。

ロビーには、もはや芸術的ともいえるポスターが。



1枚目は青函トンネル開業1年前のもの、2枚目は連絡船廃止直前のものですね(*^_^*)。いずれもキャッチコピーが秀逸。旅情漂うショットに添えられた文章も感動モノです。
僕も連絡船の旅をしてみたかったなぁ。

3階「青函連絡船のあゆみ」コーナー

おぉ~っ、元・客室だったフロアを展示コーナーに改装しているんですね!
実は僕、連絡船がつい最近まで現役だった勘違いしていたくらい無知な人間なので、この機会にしっかり学んで帰りたいと思います…(^_^;)笑


…この青函連絡船「摩周丸」は、1964年就航の「津軽丸(2代目)」に続いていくつか造られた「高速自動化船」のうちの一つで、津軽丸を含め「八甲田丸」「松前丸」「大雪丸」「羊蹄丸」「十和田丸」が姉妹船となっています。いずれも旅客と共に、鉄道車両をそのまま船内に積みこむ貨物輸送を行い、函館~青森間を結んでいました。


船内に貨車ごと積み込むというのは何とも大胆な輸送方法ですよね。船の下部は線路が敷かれた輸送専用フロアとなっており、停泊時は可動橋を用いて港の線路と接続、函館駅までやってきた貨車を船の後部から積み込んでいました。
現在は行き止まりとなっている函館駅ですが、かつてはその先にある港(ちょうどこの船が保存されている場所)まで線路が延びていたのです。
1925(大正14)年には既に行われていたというこの輸送方法、作業時間が短縮されたことで道内~本州間の物流がかなり盛んになったといい、「流通革命」と呼ばれました。

かつての乗組員の制服


乗船キップと、各種記念乗船券

普通乗船券は当時の鉄道と同じような硬券だったんですね(*^_^*)。その他、グリーン券や入浴券、「遅延証明書」まであります。水色の券は、国鉄時代の最終便乗船証明書。マニア垂涎ですな。
なお、青函連絡船は自家用車の輸送も行っていた模様。
国鉄連絡船」か…、泣かせるぜ。

船員の粋なサービス「飾り毛布」

こちらは「摩周丸」が登場する前のサービスだったようです。寝台室のベッドメイク時、船員が季節に合わせたテーマで毛布を折りあげて乗客を楽しませていたようです(*^_^*)。様々なパターンがあり、その数10種類以上
1964年の津軽丸就航時に折り返し時間が短縮されたため、作業時間が取れず廃止になったようです。

そして…。展示フロアに当時の座席が!!

赤い座席がグリーン席、青い座席が普通座席です。
座席が並ぶ先には大きな液晶テレビがあり、連絡船に関する映像をいくつか視聴する事ができます(自分で選択可能)。これまた粋な計らいを…(*^_^*)笑
自分もグリーン座席を楽しみながら「さようなら青函連絡船」のドキュメント映像をじっくり拝見させて頂きました。


座席に座りながら外に広がる函館港を眺める事もでき、当時の船旅の雰囲気を味わう事ができます♪昔ながらのモケット生地の座席がイイ感じです。
そして座席後部には、折り畳みの机や注意書きのプレートがそのまま残っています。
そして…。


センヌキ
「フタのカドをひつかけて 
 ビンを上へこじる」!!!


あぁ…この塗装の剥げ具合。素晴らしい。
まさかこの旅で2回もコレが見られるとは…!!
函館に来てよかった!

次回!摩周丸の操舵室へ。
そして連絡船といえば…忘れてはいけない悲劇。

続く。
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新幹線開業前の函館を旅する その4

2016-02-28 13:12:15 | 北海道内の旅行・風景
開業前の「新函館北斗」駅、外へ出てみます。

おぉ~!出入り口の表示は既に「新函館北斗駅」になっているんですね!(*^_^*)
ここから出入りできるとは…。何だかひと足先に、といった感じで来た甲斐があったというものです♪

駅前ロータリー

ホントに出来たばかりな雰囲気です。バリケードが作られていて奥には入れないようになっていました…。
ぐるりと迂回して、駅舎が見渡せる駅前の通りへ向かいます。
なお、通りは既に「新函館北斗駅前環状通」という名前が付いていて、真新しい標識が立っていました。


…これが新函館北斗駅だ!!
2階部分が新幹線のりばになっている訳ですね~。駅の向かって右半分には「北斗市観光交流センター」が併設しているようです。

そして駅前の光景。



…まだまだ再開発中のようで、周りを見回しても何もない。工事中のカーディーラーのような建物や金融機関のようなもの、そして一軒家らしき建築物がポツリポツリと見受けられるだけでした。植えられたばかりの丸裸の街路樹が寒々しさを際立てますね…(^_^;)
車通りは意外とあり、普通乗用車や資材を積んだトラックが何台か通っていました。いずれも工事関係者の車でしょうか。

嬉しそうに掲げられた「あと71日」の巨大看板。



再開発エリアのすぐ隣には、古くからこの場所に住んでいたであろう方々の住宅が見えました。年季の入った商店のような建物も見受けられ、勢いづいている駅前通りとのギャップに混乱してしまう。
少し前まで小さなローカル駅だった渡島大野駅周辺、数年間でこんな巨大ターミナルが出現するとは周辺住民もビックリでしょう。
新駅舎が建設されるにあたり、駅前から撤退した住宅や商店も多くあったようです。


空き地が目立つ駅前の光景。新幹線の開業後にはどのように発展していくのか楽しみですね!(*^_^*)
この閑散とした様子も今しか見られない貴重な光景。

「在来線」ホームから見た風景

現在は住宅と畑が広がる静かな場所です…(^-^)
札幌まで新幹線が延びるまでにはどのように様変わりしているのでしょうか。


8時24分 函館行き普通列車に乗車。

僕の他に、同じく駅を見に来た様子の男性が1人乗るだけでした。
やはりこの時期に駅を訪問するのは物好きだけなのですかね…(笑)。

午前9時、函館駅に戻る。


まだ時間も早いので、駅の周辺を少し散策。函館なんて修学旅行で軽く散策したのと、家族旅行で一度訪問した事があるぐらいですからね…いずれも7~8年以上も前のお話です。

市民の足「函館市電」

おぉ~!こんな古い路面電車が走っているのか!
札幌市電と比べてレールの幅が広いようで安定感がある様子。約90度の直角カーブを恐ろしいほどのスピードでクリアしていくさまが、札幌人にとっては恐怖でした(^_^;)。
ヨロヨロと低速で走る札幌の路面電車と比べると、何とも頼もしい限りですな。


さて!せっかくなので、これから函館観光をしようと思います!♪
どこへ行こうか?と観光情報を調べてみると、どうやら駅の近くに青函連絡船「摩周丸」が保存されているようで。(^-^)

…思い出しました。
中学の修学旅行で函館を訪問した際、「船なんて見てもねぇ…」という事で自主研修のルートから却下したのがココでした(^_^;)笑
あのときは「青函連絡船」なんて全く興味がありませんでしたが、今は違いますよ!

消えゆく「急行はまなす」で函館を訪れ、青函トンネルの新たな主役となる新幹線の駅を見学、そして往時の青函連絡船に赴き、津軽海峡における交通史を学ぶ。
新幹線開業前にこれほど素晴らしい旅行プランは他に無いのではないか!!
今すぐ行きましょう!

次回!!

連絡船の記憶。津軽海峡今昔物語。
続く。
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