(※2008年9月訪問。)
・琴似屯田兵村兵屋跡
西区にある琴似地区。中心部からかなり離れているが、繁華街として大きく発展している。街を歩いてみると、中心部に負けないくらいにぎやかでびっくりする。1875年、屯田兵とその家族965人が最初の入植地としてやってきたのが、この琴似地区だった。
屯田兵とは、北海道の開拓と護衛を任され、本州から派遣された人々である。普段は開墾作業を行い、時には軍事訓練を受け、いざという時に備えた。当時は原始林だったという琴似地区での、厳しい冬に耐えながらの開墾作業はかなり厳しいものだったに違いない。
そんな屯田兵に開拓使から与えられたのが「屯田兵屋」である。屯田兵屋はいわゆる屯田兵とその家族の住む「家」だが、現在から見れば、小さくて壁も薄く、冬はかなり冷えただろう。開拓時代、琴似地区には、いくつもの屯田兵屋が規則正しく並び、一種の「村」を形成していたという。
現在、繁華街から一歩住宅街に入ったところに、1軒の屯田兵屋が保存されていることはあまり知られていない。この兵屋は宮城県出身の清野専次郎という屯田兵に与えられた第133号の兵屋で、かなり地味だが、国指定史跡に指定されている。
兵屋の小さな窓から外を見てみると、繁華街のビル群が見え、にぎやかな音が聞こえてくる。琴似地区がこれほど発展したのは、屯田兵の苦労があったからだという事を忘れてはいけない。
屯田兵村兵屋跡・・・西区琴似2条5丁目
地下鉄東西線「琴似」駅1番出口より徒歩3分
・琴似屯田兵屋跡
琴似地区にはもう1軒、屯田兵屋が保存されている。琴似屯田兵村兵屋から徒歩5分ほど、「琴似神社」の境内にあるのがそれだ。こちらは佐藤喜一郎という兵隊に与えられた兵屋を復元したもので、北海道指定重要文化財に指定されている。
もちろん、こちらも訪問することにした。しかし神社に入ってみると、看板や説明板はあるのだが、肝心の兵屋が見当たらない。数分境内をうろうろし、木々をかき分けて進むとようやく兵屋の裏に出ることができた。それは境内の奥の方にひっそりとあった。
いざ、中に入ると、先ほどの兵屋と比べてずいぶん薄暗く、埃っぽい。しかも当時の暮らしを再現したのか、タンスや掛け時計などの当時の日用品がたくさん置かれていて、少し怖い雰囲気。なんだか、今にも喜一郎さん一家が帰ってきそうな感じだ。この薄暗い兵屋の中には自分ひとり。なんだかあまり長居してはいけない気がしたので、写真を数枚撮り、そそくさとこの場所を後にした。
余談だが、この兵屋がある琴似神社の境内には、「奉安殿」という、戦時中に教育勅語の書物を納めていた建物も現存している。
屯田兵屋跡・・・西区琴似1条7丁目
地下鉄東西線「琴似」駅1番出口より徒歩8分ほど
・琴似屯田兵村兵屋跡
西区にある琴似地区。中心部からかなり離れているが、繁華街として大きく発展している。街を歩いてみると、中心部に負けないくらいにぎやかでびっくりする。1875年、屯田兵とその家族965人が最初の入植地としてやってきたのが、この琴似地区だった。
屯田兵とは、北海道の開拓と護衛を任され、本州から派遣された人々である。普段は開墾作業を行い、時には軍事訓練を受け、いざという時に備えた。当時は原始林だったという琴似地区での、厳しい冬に耐えながらの開墾作業はかなり厳しいものだったに違いない。
そんな屯田兵に開拓使から与えられたのが「屯田兵屋」である。屯田兵屋はいわゆる屯田兵とその家族の住む「家」だが、現在から見れば、小さくて壁も薄く、冬はかなり冷えただろう。開拓時代、琴似地区には、いくつもの屯田兵屋が規則正しく並び、一種の「村」を形成していたという。
現在、繁華街から一歩住宅街に入ったところに、1軒の屯田兵屋が保存されていることはあまり知られていない。この兵屋は宮城県出身の清野専次郎という屯田兵に与えられた第133号の兵屋で、かなり地味だが、国指定史跡に指定されている。
兵屋の小さな窓から外を見てみると、繁華街のビル群が見え、にぎやかな音が聞こえてくる。琴似地区がこれほど発展したのは、屯田兵の苦労があったからだという事を忘れてはいけない。
屯田兵村兵屋跡・・・西区琴似2条5丁目
地下鉄東西線「琴似」駅1番出口より徒歩3分
・琴似屯田兵屋跡
琴似地区にはもう1軒、屯田兵屋が保存されている。琴似屯田兵村兵屋から徒歩5分ほど、「琴似神社」の境内にあるのがそれだ。こちらは佐藤喜一郎という兵隊に与えられた兵屋を復元したもので、北海道指定重要文化財に指定されている。
もちろん、こちらも訪問することにした。しかし神社に入ってみると、看板や説明板はあるのだが、肝心の兵屋が見当たらない。数分境内をうろうろし、木々をかき分けて進むとようやく兵屋の裏に出ることができた。それは境内の奥の方にひっそりとあった。
いざ、中に入ると、先ほどの兵屋と比べてずいぶん薄暗く、埃っぽい。しかも当時の暮らしを再現したのか、タンスや掛け時計などの当時の日用品がたくさん置かれていて、少し怖い雰囲気。なんだか、今にも喜一郎さん一家が帰ってきそうな感じだ。この薄暗い兵屋の中には自分ひとり。なんだかあまり長居してはいけない気がしたので、写真を数枚撮り、そそくさとこの場所を後にした。
余談だが、この兵屋がある琴似神社の境内には、「奉安殿」という、戦時中に教育勅語の書物を納めていた建物も現存している。
屯田兵屋跡・・・西区琴似1条7丁目
地下鉄東西線「琴似」駅1番出口より徒歩8分ほど
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