ホルマリンのマンネリ感

札幌出身苫小牧在住、ホルマリンです。怪しいスポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、一人旅、昭和レトロなどなど…。

三十路記念の旅 西と南の果てへ その7

2024-02-09 01:24:05 | 旅行(道外)2020~
2日目 午後1時半 ~龍の背~

「自転車で与那国島一周」完走までもう一息という所まで来たが、ゴールの祖納集落へ戻る前にもう1か所見ておきたい場所があった。
今にも雨が降り出しそうな中、島一周道路から細い脇道に入るとすぐにお目当ての光景が現れた。



道路わきに年季の入ったコンクリートの構造物が密集している。
まるで遺跡のようだが、これらは全てお墓。ここは「浦野墓地群」と呼ばれるエリアである。


沖縄のお墓は本土民が見慣れる四角柱型のものに対し規模が大きく、独特な形をしているのが特徴。
昨日、祖納の集落を歩いた時もあちこちで見かけ、どれも存在感があった。
屋根がなめらかな曲線を描いているものは「亀甲墓(かめこうばか、きっこうばか、カーミナクーバカ)」と呼ばれる。
亀の甲羅に似ていることからこう名付けられているが、実はこれは母体を模したもの。
「人は死ぬと子宮へ帰る=子宮回帰」の思想から生まれたという。
墓地内には大小さまざまな亀甲墓がある。



中には家のような四角い屋根を備えたものもあり、こちらは「破風墓(はふばか、ハフーバカ)」と呼ばれるものか。

亀甲墓、破風墓ともに斜面に造られているものが多いが、これは沖縄に「風葬」の文化があったことに関係している。
自然形成された洞窟や掘った横穴に遺体を運び入り口を封じる。もともとはこのような「掘り込み墓」であったものが、その上部を装飾し亀甲墓となっていった(17世紀後半~)。
遺体は数年後に一度墓から出し洗骨、厨子甕(ずしがめ)と呼ばれる骨壺に収められ墓の中に並べられる。
白骨化するまで遺体を安置する場所が必要であったため、沖縄の墓は大きいのだ。
ちなみに戦時中はその大きさと構造から防空壕としても使用されていたらしい。



与那国島ではいまも風葬の文化が残っているというから驚きだ。
島に火葬場が無いことが関係しているのだろうか。
白骨化した遺体へ行う「洗骨」には海水や泡盛が使用される。
度数60度の「花酒」が与那国島でのみ製造が許されている理由は、こういった島内の儀式にも深く関係しているためなのだ。

小高い丘から海を見下ろせるこの浦野墓地群は「死者の都」とも形容される。
上記の風習を思いながらひとり歩いていると、確かに死がとても近く感じる。
この場所にはあまり長く居ない方がいいのかもしれない。私は逃げるように墓地を後にした。



墓地の片隅に小さな砂浜があり、美しい風景に思わず引き寄せられてゆく。
その小ささから「四畳半ビーチ」という名がついている。
島の人の愛称は「あぶひてぃ浜」。「あぶ」はおばぁ、「ひ」は女性器、「てぃ」は愛称。



波打ち際まで降りてみると、確かに「秘密の入り江」とでも形容したくなるような小ささ。
そしてぶ厚い雲に覆われたこの天気でも息をのむ綺麗さである。
ただし風が出てきたためだろうか、中々に波が高い。
岩々にぶつかり白波が高く上がり、ここでも私は歓迎されていないかのように思える。


午後1時50分、そそくさと浜を後にして進むとすぐに祖納集落に入った。
もはや見慣れた「ティンダバナ」が家々の向こうに見え、戻ってきたのだとホッとする。
何とか雨に当たらず、無事に与那国島一周を成し遂げたのだ。


共同売店で飲み物を調達した後、天候は心配だがまだ時間があるので、与那国空港までの往復4キロを追加することにした。
というのも、島一周中に自分や職場へのお土産を買いたかったのだが、良い土産物店が見つからなかったのだ。

再び自転車に跨り、15分ほどで空港へ。地面が濡れていたので、この辺ではざっと一雨あったみたいだ。
昨日クーポンを貰った売店で職場への菓子と、ぜひ入手したかった「日本最西端到達証明書」(500円)を無事に購入できた。これは島内でも売っている場所は少なそうで、なかなか入手困難なアイテムかもしれない。
売店のおばぁが良い人で、店の利益そっちのけで「いかにクーポンでお得に買い物できるか」を計算してくれた。結果、計3000円の買い物でクーポンが3枚使用でき、半額で1500円。なんとありがたいことか。



午後3時、空港から祖納集落へ戻り、最後の目的地へ。
県指定の名勝、集落を見下ろす岩山「ティンダバナ」(標高100メートル)だ。
側面の岩が窪んでいる部分が展望場所になっており、歩いて行けるようだ。島に横たわる銀の龍の背といったところか。


てっきり麓から山道が延びているのかと思ったが、近くまで車道が通じているようで、急坂を自転車を押して登って行く。
所々雨で濡れた道は、路肩に生える南国の植物のせいだろうか、やけにヌルヌルしていて滑る。
帰りに下る時は注意しないと……などと考えながら10分ほどひたすら登ると、ティンダバナの入り口に到着した。



すでに展望台部分の標高まで登ってきているらしく、あとは平坦な遊歩道を歩くだけのようだ。
高台にあるためか、先ほどから風が強くなってきている。ここでも私は良く思われていないのか。


岩が張り出した遊歩道を5分も歩かないうちに、麓から見えた岩がえぐれた展望場所に到着した。
狭い一角に木製のベンチが備え付けられてある。



標高は低いにも関わらず、ベンチからの眺めは中々のものだ。祖納集落を一望できる。
白い砂浜はナンタ浜、その向こうは祖納港、さらに向こうは東シナ海だ。
いつのまにか波がかなり高くなっているのがここからでも分かる。明日以降の天気が不安になってきた。


展望場所の先にも岩場の遊歩道が続いていたので行き止まりまで歩いてみる。
島の祭事で供えられるという湧き水があり、詩人・岩波南哲の詩が刻まれた2つ目の展望場所で終わりとなっていた。


午後7時。
夕方に自転車を返却し宿に戻って休憩後、眠い目をこすりながら食堂へ向かうと既にN村さんがいらっしゃった。
今日は私の少し後に同じ店で自転車レンタルしたようだが、まずは島を縦断し祖納→比川へ向かったそうだ。
聞くところによると、その後は反時計回りで一周した後、再び島を縦断して比川→祖納へと戻ってきたというから私よりかなり距離を走っている。島一周ならぬ「島θ周」といったところか。
私より40歳近くも年上だというのに恐れ入る。

その後はK岡さんも加わり2夜目の宴に盛り上がる。
K岡さんは自転車ではなく中型バイクをレンタルし、私とは正反対の時計回りで島を一周したようだ。どうりで遭遇しなかった訳だ。
そして気になる「人面岩」の感想だが「あれは絶対に全身が地中に埋まっている。ラピュタのロボット兵としか考えられない」と興奮した様子だった。

「与那国島一周はお互い自慢になるのお。もっと飲みぃや」。
N村さんが祝杯とばかりにオリオンビールを注いでくれる。先ほど空港の売店で購入し、部屋の冷蔵庫でキンキンに冷やしていたので非常に美味しかった。
明日の朝イチで与那国島を発つが、もうこの島に思い残すことはなさそうだ。


次回、3日目。石垣島へ移動。
続く。
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三十路記念の旅 西と南の果てへ その6

2024-02-07 01:59:43 | 旅行(道外)2020~
2日目 正午 ~晴れのち曇り~



美味しい八重山そばで早めの昼休憩を終え、島の東側を走破すべく比川集落を出発した。
地図を見ると東側半分は山林が広がっているようで、道中に人家は無く道は険しそうだ。
案の定、集落を出るとすぐに長い上り坂の山道が始まり、たまらず立ち漕ぎをすぐ諦めてしまった。


延々と続く坂道を自転車を押してとぼとぼ登ってゆく。
近年は車移動が中心になってしまい、自宅と職場の10分程度しか自転車に乗っていない私は慢性的な運動不足。当然、札幌~稚内間を走破した10年前の体力などあるはずもなく、すぐに息切れし汗もかいてきた。
老けたな……。

自転車を押すのもうんざりしてきたが、道端に現れた案内看板によると島の最東端「東崎(あがりざき)」まで残り6.5キロ、意外と近い。
そして東崎の写真を見てすぐに気力が戻ってきた。
この場所、敬愛する赤瀬川原平氏が雑誌のインタビューで語っていた「訪れて最も感動した秘境」ではなかったか。
恐らくそうだ。楽しみになってきた。

上り坂がようやく終わると、次は長い下り坂。
ブレーキ性能がやや不安な自転車なのでスピード控えめで下る。それでも澄んだ風を感じて気持ちが良い。
自転車での移動はこういったご褒美があるからよい。



上り坂、下り坂がいくつか繰り返されるうちに路肩の高い木々が無くなり、視界が開けてきた。
振り返ってみると昨日、祖納集落の向こうに見えた日本最西端の山「宇良部岳」が左後方に見え、移動距離を実感する。

何個目かの長い下り坂を下っていると、けもの道の入り口に立つ「人面岩」の看板が後ろに流れて行った。
ここか、昨日K岡さんが話していた場所は。
入り口に自転車の類は止まっていなかったと思うが、すでに探検済みか、それともいま現在探検中なのか。
人面岩は私も気になるが、山道をハイキングしなければならないそうで今回は体力的にパスだ。
夜にK岡さんに会えたら感想を聞いてみよう。



坂を下りきったところで振り返り、人面岩の眠る森を振り返ってみる。
高さ2メートル、幅3.5メートル、奥行き3メートルの人面岩は与那国海底遺跡の関連調査により平成14年に発見されたのだとか。
それにしても、またもやあの恐竜映画を思い起こさせるようなダイナミックな風景だ。


午後12時半、島の南部の景勝地である「立神岩」の展望ポイントに到着した。
ベンチのある小さな場所から見下ろしてみると、断崖のすぐ真下に高さ25メートルの立神岩を見下ろすことが出来た。少し積丹の神威岩を思い出す。



少し進んだ場所にコンクリートの屋根つきの展望台があり、こちらからは立神岩を島南部の雄大な地形とともに遠く望むことが出来た。
立神岩にはその昔、海鳥の卵を採ろうと若者がよじ登ったものの降りられなくなり、神に祈りながら眠りにつくと翌朝には戻ることができたという伝説がある。

そして岩の向こうに見える飛び出た岬は「新川鼻」と呼ばれる場所で、ここの沖合約50メートルの場所に海底遺跡が眠っている。
1986年に発見され、東西約250メートル、南北約150メートル、高低差は約25メートルという大規模なもの。階段構造が見られるなど石の巨大神殿のような構造をしており、謎多き場所としてオカルト好きを魅了している。
与那国島はロマンの宝庫だ。


午後12時45分、立神岩からさほど離れていない場所にある「軍艦岩(サンニヌ台)」に立ち寄る。
小さな展望台から眺めてみると、確かに軍艦のような角ばった巨岩が波打ち際に横たわっていた。

この辺りからみるみるうちに雲が多くなってきて、小雨が腕に数滴落ちてきてすぐに止んだ。
天気予報の通りだ。このあと雨が降ってきてしまうのか。
早めに島一周を成し遂げたいところだが、目指す東崎を目前にして再び上り坂が現れたので道端で15分ほど休憩した。


午後1時、中々に疲れが溜まっているが、島の東の突端「東崎」入り口に到着した。
広い駐車場に自転車を停めて歩いていくと、東崎灯台がある先端部分が見えてきた。
相変わらず人はいないが、開けた草原には再びヨナグニウマの姿があった。
そういえば先ほど2か所目のテキサスゲートがあったな。



西の突端が「西崎(いりざき)」で、ここ東の突端が「東崎(あがりざき)」。読みの由来は太陽の「上がる・入る」だろうか。わかりやすい。
そして、やはりこの場所は赤瀬川原平氏が挙げていた場所だ。
確か岬の突端で島のおばぁ達が民謡を歌っていて、その光景が現世離れしていてすこぶる感動した―と書いていたな。来れてうれしい。
今日は残念ながらおばぁは居ないが、四頭のヨナグニウマが出迎えてくれた。



遠慮なく近づく私を威嚇するでも怖がるでもなく、相変わらず地面の草をのんびり食べ続けている。
年中暖かくストレスの無い離島で育ったからこその余裕なのだろう、みな穏やかな顔をしていて羨ましい。
島の外を全く知らないまま一生を終えるとはどのような感覚なのだろうか。そもそも、先ほどの西牧場の馬とここの馬でさえ一生顔を合わせることは無さそうだ。
自分の人生とまるっきり違いすぎて不思議な感覚になる。



東崎からゴールへ向かう西側、つまり祖納集落の方向を望む。
島一周の4分の3以上まで来ているので、ゴールの集落まで遠くはないだろう。
道が険しくないことと、なんとか天気が持ってくれることを祈る。


所々にヨナグニウマが歩く草原の道を15分ほど走ると、Dr.コトー診療所のロケでも使われたという「六畳ビーチ」の入り口を見つけた。
白い砂の道に誘われて少し入ってみる。.


ドラマでは「秘密の海岸」というポイントらしく、崖の上から砂浜を見下ろすことができる。
見事なエメラルド色だ。
ここからつづら折りの細道を降りて波打ち際まで行けるようだが、向こう側から嫌な色の分厚い雲がどんどん近づいているので早々に切り上げた。

次回、2日目ラスト。
ティンダバナへ行く。

続く。
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三十路記念の旅 西と南の果てへ その5

2024-02-05 00:46:59 | 旅行(道外)2020~
2日目 午前10時 ~絶海のコトー~

日本最西端の石碑と展望台で3~40分ほど旅情に浸っていたが、K岡さんやN村さんは現れなかった。
追いつかれるかなと思っていたのだが、いったいどこに居るのだろうか。


最果ての風景に満足したので、相変わらずのマイペースで島一周を再開する。
西崎から坂を下って一周道路へ戻ると、すぐにレンタサイクル屋のおじさんが言っていた「テキサスゲート」が現れた。
この辺りは南牧場線という名の通り、島の固有種の「ヨナグニウマ」が放牧されているエリアで、敷地の外へ脱走しないように道路に深い溝が掘られているのだ。
おじさんに言われた通りに自転車を押して通過すると、確かに道路一面に馬のものと思しきフンがそこらじゅうに落ちている。

しばらくはその姿が全く見当たらず、天気が悪くなるからどこか屋内で過ごしているのかな?と思ったが、そんな事は無かった。
車通りのほとんど無い路上を歩く数頭の群れが見えてきた。





与那国町指定の天然記念物となっているヨナグニウマは日本在来馬の1種。
西の最果ての与那国島という場所柄、外来の馬との交雑が少なく在来馬としての純度はかなり高いという。
体長は120センチほどと小柄である。
現在の生息数は110~120頭ほどなのだそうだ。



道路から目を凝らすと、海に迫る岩肌のあちこちにも草を食む姿が。すごい光景だ。
立ち入りが禁止されている訳ではなさそうなので、草原に足を踏みさせてもらい近づいてみる(馬糞に注意)。



ヨナグニウマはかなり温厚だという話は聞いていたが、どの馬も近づく私には全く動じず逃げもしない。
その性格から、かつては農耕や移動の足、荷物の運搬などの役目で島民に重宝されていたという。



なかなかに足のすくむ絶壁が迫る。
まるで絵葉書のような光景だ。


牧場の中を15分ほど走ってゆくと、自転車で走るのが楽しみだったポイントが現れた。
フジテレビのドラマ「Dr.コトー診療所」で、吉岡秀隆演じるコトー先生が自転車で快走する海沿いの道だ。



名作と名高い「Dr.コトー診療所」のドラマは「志木那島」という架空の島が舞台だが、実はロケ地は与那国島。
残念ながら私はリアルタイムでドラマは見ていなかったのだが、この旅に出る直前、2022年公開の劇場版が本当にたまたまテレビで放送されていたので、予習とばかりに視聴した。
完全なるニワカだが、コトー先生の人柄や小さな島ならではの人間模様はもちろん、へき地診療の現状や課題もテーマとなった見応えある作品であった。
作中に映し出される与那国島の絶景が、今回の旅を強行する後押しにもなったかもしれない。


午前10時45分、南牧場を抜け、宿泊している祖納のほぼ反対側の南に位置する「比川(ひがわ)」の集落に到着した。
これで島の西側をほぼ半周したことになる。案内板にはコンクリ製のヨナグニサン。

土産物を扱う共同売店やあちこちに飲食店があるなど、比較的観光に力を入れているなという印象。
それもそのはず、大きな案内看板を頼りに集落の端まで進むと、そこには「Dr.コトー診療所」の「志木那島診療所」が建っていた。



こちらはまさにドラマと映画に使われた建物そのもので、2003年にフジテレビが撮影用セットとして建てたもの。
台風にも耐えうる頑丈設計で造られ、撮影後も観光地として活用されているのだ。
無人だが、入館料300円を払い内部が見学できる。




島民が集い団らんしていた待合室や受付など、画面の向こうに名優たちがいた光景が目の前に広がる。
2003年のシーズン1から追っていたらもっと感動していただろうな。
下駄箱にはコトー先生の草鞋もあった。この草鞋のエピソードがまた感動ものらしいので、帰ってから履修しようか。



コトー先生が診察を行う事務室。白衣を着て記念撮影もできる。
建物は当時新築で建てられたが、美術スタッフの手によって年季の入ったような塗装や汚れが施された。
棚に並ぶ薬品などの備品は昭和の実物を集めたのだろうか、色あせ具合などリアルで目を見張る。



コトー先生の自転車(初代)と2006年版の特大ポスターもあった。吉岡秀隆が若い!
事務机の上には小道具のヤシガニラーメンもあった。劇場版では高橋海人くん演じる新人看護師が食べていたね。


病室の窓からは、これまた作中によく登場する「なあた浜(比川浜)」がよく見える。なんと写真映えする場所だこと。
難破船が印象的だったが、撤去されてしまったのだろうか?見当たらず。

見学中、ちょうど観光バスで年配の団体さんが入ってきた。
ゆっくり見物したかったのにタイミングが悪かったな……と思ったが、小さな診療所内で老人たちがにぎやかに笑いあう光景は、まさに志木那島診療所のそれであった。
少しだけ撮影時の雰囲気が味わえたので、これはこれで良かったか。


午前11時、少し早いが、朝から何も食べていなかったので集落内で昼食。
診療所からすぐ近くの「お食事処さとや」で八重山そば(1000円)を注文した。
分厚い豚肉の角煮と与那国産のカマボコが乗っている。これは美味しかった。
1000円以上で1枚使える、空港でもらったクーポン券のおかげで半額の500円で頂くことができ嬉しい。

さて、島を半周し、私が見たかった場所はほぼ行くことが出来た。
ここから島を縦断して祖納の集落に戻ることもできるが、まだお昼前だし天候も大丈夫そうなので、このまま東側の半分も周ることにした。
地図上ではこの先、ゴールの祖納まで集落は無さそう。ここで昼食をとって正解だったかもしれない。

次回、島の天気は変わりやすい。
続く。
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