「倭」から「日本」へという国号変更には、大義名分を「倭国」から継承しつつ「新王朝」であることをアピールする目的があったと見られますが、他方その変更において特に「日本」という名称が選ばれた具体的な理由づけとしては「遣唐使達」が口にしたように「倭」という名称が「雅」ではないと理解したからというのは確かにあったと思われます。その根底には「倭」というものが「倭国」が自ら名乗ったものではないと言うことが意識としてあったのではないでしょうか。
この「倭」というのは「古」から続く由緒あるものではあるものの、自称ではなく「中国」側から見てつけられた名前であると思われ、それを「倭国側」が臣従の証として採用していたと思われるものであり、そのような経緯から考えて変更することとなったものではないでしょうか。そう考えると「朱鳥」が「しゅちょう」などと言う「音」ではなく「あかみとり」と「訓」で呼ぶとされていることとつながるといえます。
この時点で「年号」も「国号」もその国の言葉で書かれまた読まれるべきであるという考え方が起きたとしても不思議はありません。これは「国風文化」の萌芽ともいえるものであり、そうであればこの時「国号」として採用された「日本」についても中国風の「音」ではなく「朱鳥」と同様」「訓」で呼んだという可能性があり、「ひのもと」と呼称したものではないかと推察されます。
そもそも「朱鳥」とは「四神」つまり「青龍」「玄武」「白虎」とならぶ「獣神」であり、「天帝」の周囲を固めるものでした。その起源は「殷代」にまで遡上するとされ、その時点では「鷲」の類であったとされますが、その後「鳳凰」やその意義を持った「雀」などの「鳥」とされるようになったものです。
(「『全唐詩』卷百六十九 李白」より)
「草創大還贈柳官迪」
「天地爲橐籥,周流行太易。造化合元符,交媾騰精魄。自然成妙用,孰知其指的。羅絡四季間,綿微無一隙。日月更出沒,雙光豈云隻。姹女乘河車,黃金充轅軛。執樞相管轄,摧伏傷羽翮。『朱鳥張炎威』,白虎守本宅。…」
(『論衡』物勢篇第十四 王充」より)
「…東方木也,其星倉龍也。西方金也,其星白虎也。『南方火也,其星朱鳥也。』北方水也,其星玄武也。天有四星之精,降生四獸之體。…」
(「『淮南子』天文訓」より)
「…南方,火也,其帝炎帝,其佐朱明,執衡而治夏;其神為熒惑,其獸朱鳥,其音徵,其日丙丁。…」
以上のような例を見ると、「朱鳥」は天球上の明るく輝く赤い星からのイメージと思われ、そこから転じて「火」や「火炎」の意義が発生したものでしょう。「五行説」でも「火」であるとされています。また、「鳳凰」は「火の鳥」ともいわれ、火の中から再生するともいわれており、「不死鳥」のイメージも併せ持っています。
位置的には「うみへび座」のアルファ星「コル・ヒドラ(別名アルファルド)」がそのイメージの原初的背景にある星ではないかと思われます。この星は二等星でありそれほど明るくはありませんが、周囲に明るい星がなくその意味では目立つ星です。また色は確かに「赤」く見えます。(天文学的には「赤色巨星」に分類されています。)
その位置する方位は「南」とされ、また「日」(太陽)に纒りつくともいわれますし、また「鳥」というものと「太陽神信仰」とは関係が深いという説もあるようです。
つまり、この「朱鳥」という年号名は「太陽」を指向したものであり、それが「日本」という国号になった時点での「年号」として選ばれた理由であると思われ、この両者には「太陽神信仰」あるいは「日神崇拝」という形で深い関係があると考えられるものです。