埼玉県出身でピッカピカの現役、それも日本や、地球ではなく、宇宙で光り輝いている人がいる。
宇宙飛行士・若田光一さん(13年で50歳 63年8月1日生まれ)である。
今度は13年11月7日、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ち上げられたロシアの宇宙船ソユーズで、国際宇宙ステーション(ISS)に向かい、約半年間滞在、後半の2か月、14年3月9日からは39代船長を務め、5月14日まで他の5人の乗組員を指揮し、帰還した。
宇宙滞在はこれで計188日。日本人で最長を記録した。
船長は日本人では初めて。これまでの38人の船長は、米ロが36人、欧州、カナダも務めているのに、関係国で日本だけがやっていなかった。
宇宙飛行は1996年、2000年、09年と3回経験しており、今度で4回目、ステーションでの長期滞在は09年に次いで2回目になる。英語だけでも大変なのに、ロシア語もできるようになったというから驚きだ。
さいたま市の科学館に関係しているのは、若田さんが生まれも育ちもさいたま市で、この館との名誉館長を務めているからだ。訓練の合間に帰郷した時には、科学館で講演もした。(写真)
当時の大宮市(現・さいたま市北区)生まれ。父親は建設省に勤める公務員。二人兄弟の長男だった。1976年大宮別所小、79年宮原中卒、82年浦和高卒と高校までさいたま市で成長した。
小学4年からリトルリーグ入り。高校では野球部で捕手、ベンチ入りはかなわなかった。趣味はこのほか、テニス、スキーと多彩。どこでも寝られるのが自慢。いかにも宇宙飛行士向きだ。
野球部の経験は、宇宙ステーションの中でも生かされた。
宇宙にはズブの素人の私にも、講演の中で最も興味を魅かれたは、無重力の中で、投手としてボールを投げると、球より早く走れるので、今度は打者としてバットで打てるという話だった。
若田さんと正反対で、とりわけ数学や理科が苦手な私には、なぜそんなことが可能なのかさっぱり分からない。
09年4月、東京ドームのプロ野球の巨人・阪神戦で宇宙ステーションから「宇宙からの始球式」をしたのを覚えている人も多いだろう。
地上でも、01年の高校野球の甲子園大会始球式に招かれ、宇宙に持って行った玉を快速球で見事にストライクを決めた。
もう一つ面白かったのは、カラオケが好きで、ステーションの中でも口ずさんでいるという話で、下手の横好きの私も思わず「快哉」を叫んだ。はやりの言葉で言えば、「いいね」というわけである。
大学は両親の実家があることなどから九州大学に進み、1989年大学院工学研究科を修了。工学博士。在学中に民放の「鳥人間コンテスト」に出場したこともある。
大学ではドイツからの留学生シュテファニー・フォン・ザクセン・アルテンブルクさんと知り合い、結婚して一男がいる。
卒業後、日本航空に入社、整備訓練部に所属しているうち、1992年NASAの前身のNASDAからミッションスペシャリスト候補に選出され、宇宙航空士の道に入った。
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