さくら咲
とを山どり
の
しだり
尾の
なが/\
しひ●
あかぬ色●
新古今和歌集巻第二 春歌下
釋阿和歌所にて九十の賀し侍りしをり
屏風に山に櫻かきたるところを
太上天皇
さくら咲く遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな
よみ:さくらさくとおやまどりのしだりおのながながしひもあかぬいろかな 隠
意味:遠くの山に咲く桜が、山鳥の垂れる尾のように長くなっていく春の日でも見飽きない景色のように、、貴方の歌は、歌聖人麿や紀貫之、友則のように見飽きることがありません。
作者:後鳥羽院
備考:柿本人麻呂と紀友則の本歌取り 建仁3年(1203)11月23日俊成が九十歳になった時に和歌所で祝賀会が開催され、屏風歌として歌われた。
時代不同歌合、 八代抄、新三十六人歌合、美濃の家苞、常縁原撰本新古今和歌集聞書、新古今抜書抄、新古今注、九代抄、九代集抄、新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫)
本歌:
足引の山鳥の尾のしだり尾のながながしよを一人かも寝む(拾遺集 柿本人麻呂)
わが心春の山辺にあくがれてながながし日を今日も暮らしつ(春歌上 紀貫之 私説)
春霞たなびく山のさくら花見れどもあかぬ君にもあるかな(古今集恋歌四 紀友則 私説)
江戸時代初期の皇族。後陽成天皇の第8皇子で母は典侍庭田具子(権大納言庭田重具の娘)。当初は徳川家康の猶子として直輔親王と名乗った。知恩院初代門跡。通称は八宮。
極札 印不明
し(志)
の
良純法親王真筆 日本書蹟大鑑より
令和5年9月30日 壱