新古今和歌集の部屋

歌論 無名抄 隆信定長一雙事




近頃隆信、定長と番ひて若くより人の口に同じ樣にいはれ侍き。彼の俊惠が家にて百首を十首づつ十座に讀みて十座の百首と名付け侍る事有りけり。各挑みて心を盡したりけるに何れも劣らざりけり。又俊成卿の十首の哥よませ侍りける時も共によく讀みたりければ、彼の卿は
世の人の一番に申す由聞けど何事かはあらんと思ひて過ぎつるに、この十首の哥に
こそ返抄もたびぬべく覺ゆれ
となんいはれける。
しかるを、九條殿右大臣と申しし時、人/\に百首を召されしに、隆信作者に入りて、公事なる内に日數もなくて物騷がしかりければ、いとよろしく哥なかりけり。其比定長は出家の後にて、身の暇もあれば、今少しのどかに案じて、無題の百首を磨き立てゝ取出したりけるに、たとしへなく勝りたりければ、其時より寂蓮左右なしといふ事になりにき。
御所邊には、
いかなるおこの者の、同じ列のよみ口とは番ひけるぞ。
とまで仰せられけるとぞ。後に隆信からき事にして、
早く死なましかばさる程の哥仙にてやみなまし。よしなき命の永へて、かく道の恥を現す事とぞいはれける。


○隆信
藤原隆信(1142~1205年)定家の異父兄。似せ絵が得意とし、源頼朝像、平重盛像などの画家といわれる。
○定長
寂蓮(1139?~1202年)俗名藤原定長。醍醐寺阿闍利俊海の子叔父の俊成の養子となり、新古今和歌集の撰者となったが、途中没。
○俊惠
(1113年~?)源俊頼の子。東大寺の歌林苑の月次、臨時の歌会を主催。鴨長明は弟子にあたる。
○俊成卿
藤原俊成(1114~1204年)法号は釈阿。千載和歌集の撰者で定家の父。
○九條殿右大臣
藤原兼実(1149~1207年)忠通の子、慈圓の同母兄、良経の父。月輪殿、後法性寺殿と呼ばれる。1196年の政変で失脚。1202年出家。
○人/\に百首を召されしに
右大臣家百首。治承二年(1178年)5月に題を提示し、7月に詠進と俊成歌集にある。題は立春、初恋、鶯、忍恋、花、初逢恋、郭公、後朝恋、五月雨、遇不逢恋、月、祝、草花、旅、紅葉、述懐、雪、神祇、歳暮、釈教など。散逸したので、詳細は不明。
○御所邊
後鳥羽天皇(1180~1239年)譲位後三代院政をしく。承久の変により隠岐に流される。多芸多才で、新古今和歌集の院宣を発し、撰者に撰ばせた後更に撰びいわゆる隠岐本を作った。
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